ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ナマケグマの嘆き

2022-11-11 11:22:00 | 日記
私の本性はナマケグマである。

そりゃ平日は仕事に集中する。決して仕事が嫌いな訳ではない。むしろ仕事が生き甲斐になっていると考えている。だからってナマケグマの本性はなくならない。

自宅では可能な限り怠けていたい。ゴロゴロと寝っころがって好きな本が読みたい。気分転換にPCで遊ぶも良いし、気まぐれに掃除を始めるのも悪くない。

こんな怠惰な生活を楽しめるのも、日本が平和な国であるからこそである。戦争なんて真っ平御免である。戦争になったら、ナマケグマの生活を楽しめないではないか。だからこそ、平和を守るための努力を怠る戦後の日本の姿勢が不快で仕方ない。

戦争は不幸しか生まない?では今、あなたが使っているPCの始まりは軍用の弾道計算機から始まったことをどう思う。平和の配当という言葉は奇麗すぎて、私は嫌いだがコンピューターが軍用から始まったことは確かである。これはインターネットも同様である。

現実問題、現生の人類と称する哺乳類が地球上で繁栄しているのは、集団闘争に長けているからに他ならない。個体としての人間は、牙もなければ鋭い爪もない。筋力は弱いが長距離走には向いているから逃走は得意である。でも走力からいって所詮狼などには敵わない。

器用な手を使って武器を持ち、言葉のやり取りにより複雑な情報交換を戦闘に活かすことで、強い者が正義である野性社会を勝ち抜いた。いわば戦争の申し子といってよい生物が人間である。

そんな戦争の申し子である人間ではあるが、だからこそ平和の大切さを知っている・・・はずだ。知っていると思い込んでいるお馬鹿な人間がいるようだが、実は分かっていない。それが戦後の日本人だ。

太平洋戦争において日本はアメリカに敗北した。負けたのであって、戦争が終わったのではない。敗北を終戦だと言い換えて、屈辱の現実から目を逸らし続けた卑怯者、それが戦後の日本人だ。

終わった、終わったと誤魔化して、負けた原因を真摯に考慮することから逃げた卑怯者、それが戦後の日本人だ。

私は社会人になってすぐ難病により長期の療養を強いられた。その療養期間に図書館に通い、様々な書籍を読み漁った。勉強したかったというよりも、いつ終わるともしれない療養生活への不安から逃避するための読書であった。

そこで知った驚くべき事実。日本はアメリカに物量で負けた、そう教わってきた。しかし、それは必ずしも事実ではない。太平洋戦争開始時においてアメリカが、対日本に向けて振り分けられる戦力は全体の4割程度であった。

なぜならヨーロッパ戦線こそがアメリカが本気で戦うべき戦場であるからだ。従って対日本軍に当てられる戦力は、日本を後進国だと見下すが故に二線級のもので十分なはずだった。

立場を変えれば、日本軍はその二線級のアメリカの兵器に対して概ね六対四の比率で物量的優位を有していた。ぶっちゃけ、互いに全軍を打ち当てれば、日本軍の勝利であったはずだ。まァ、あくまで大雑把過ぎる推論でしかない。でも物理的に優位を確保していたのは日本であった。

しかし、日本軍というか軍を統括する幕僚本部はド間抜けであった。皇族やお勉強の良く出来るエリート官僚からなるこの軍指導者たちは、日本本土を守ると称して、一部の兵力のみを大陸と太平洋に投じた。

あの一九四〇年前後で、日本を直接攻撃できるのはアメリカ海軍と、イギリス海軍があるのみ。つまり本土を守る必要なんてなかった。派遣可能な兵力すべてをもってしてシンガポール及びハワイを侵攻すれば、日本はほぼ北太平洋全域を支配できた。

考えても益なきことだが、ハワイを空襲しただけでなく占領していれば大分戦局は変ったはずだ。ハワイで満足せず、パナマ運河へ特攻をかけて使用不能にしてしまえば、ますます有利に運べたはずだ。なに長門級の戦艦を運河に突入させて破壊すれば、当分使用不可能となる。それで十分だ。

大西洋にあるアメリカ海軍の主力は、パナマ運河が使えないと、はるばる南米最南端を回ってしか太平洋に出れない。この長旅でヨレヨレとなるアメリカ軍艦に勝機は薄い。

ところが日本の軍指導者たちは、天皇陛下がいる日本本土を守る兵力を保持したがり、結果的にアメリカ軍のほうが兵力優位のまま戦争に突入している。実戦を知らぬ馬鹿に指導された日本が負けるのは、ある意味必然であった。

ちなみにアメリカ軍、特に海軍の兵力差が完全に逆転するのは一九四三年前半である。ただし兵站では本気のアメリカには敵わない。真珠湾攻撃以降、アメリカの民生施設の多くが軍の指揮下におかれて、武器、食料、薬などの生産に当てられている。

馬鹿らしいことに一〇倍の国力差があるにも関わらず、日本が民生施設を軍需用に完全転換させたのは一九四三年以降である。本気で勝つ気があったのか疑いたくなる愚かさだと思う。

まだまだあるが、私は日本が負けたのは物量差ではなく、戦いに勝つための思考が低劣だったからだと考える。果たして本気でアメリカに勝つつもりがあったのか、私は疑わしいと思う。

思い出されるのは、山本五十六が東郷首相に「二年間に限ればアメリカとも戦えます」と妙な返答をしたことだ。アメリカに留学経験のある山本には、日本の勝機は短期決戦のみだとわかっていたはず。

どうも当時の日本政府は、アメリカに初戦で勝てば意気消沈して和平交渉に持ち込めると、勝手に根拠もなしに思い込んでいた節がある。長期戦になった場合の戦争の終着点を考えていなかったらしい。

何のために戦争を仕掛け、如何に終結させるのか。これを十分に考慮せずに行った世紀の愚策、それが太平洋戦争であろう。

改めて考えて欲しい。ユーラシア大陸の東端にある弓状列島である日本にとって、平和とはなにか。その平和を守るために何が必要か。その悪しき教訓になるのが太平洋戦争であろう。

本気で敗戦を反省し、後世に活かそうと考えるならば、やるべきことは何かをよく考慮して欲しい。間違っても憲法九条を守ることではないはずですけどね。
コメント
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