今日はちょっと暴言を吐きます。
旧・優性保護法のもとで何も知らずに強制不妊手術をされた人たちを救済する基本的な姿勢には反対しません。
でも、そもそも優生保護法に基づく不妊手術って悪いのかとの疑問が脳裏を離れない。正直言えば、不妊手術をしておくべきではないかと思う人々は実在すると考えています。そりゃ人権は大事でしょう。妊娠は生物の本能に基づく行為の結果であり、同意なくして行われるべきではない。それは分かる。
しかし、その妊娠の結果が不幸の連鎖になっている現実もあるはずです。ただ、あまりに醜悪で凄惨であるため、マスコミが報道を自粛してしまうので、一般的には認知されていないだけだと思う。実際、北関東での家族内での虐殺事件などは、典型的な報道自粛があった事案です。
私はわりと子供の頃から周囲に所謂「知恵遅れの子供」や「障害のある子供」を散見してきました。ほとんどの子は臆病で、ちょっと我儘で、それでも気の弱い子供ばかり。私ら子供たちは彼らを「お味噌」と呼んで特別扱いしていました。
鬼ごっこをやっても、缶蹴りをやっても「お味噌」の子を狙い撃ちするような卑怯なことはせず、敢えて鬼の役はやらせず、笑いながら逃げ回ったり、走り回らせることで一緒に遊びました。たまにイジメようとする子もいましたが、卑怯なことはするな、可哀そうな子に酷いことをするなとみんなが諫めていたものです。
幼心にも、彼らが普通ではないことが分かっていました。そして彼らの多くは大半が大人しかった。あくまで子供の頃は・・・です。体が成長するに従って厄介な問題が生じることを知ったのは中学生の頃だったと思います。
それが性欲でした。どこかの馬鹿が教えてしまったのです、自慰行為を。彼はどこでも、いつでもそれをしてしまった。もう誰にも止められなかった。周囲の大人たちもお手上げで、結局彼は姿を消しました。年頃の娘を持つ家庭からの要望が強すぎた、そう聞いています。
その後、30年以上経ちたまたまその街でよく遊んだ幼馴染に再会した時、その後のことを聞きました。噂話が元なので、どこまで真実かは不明です。成人になり身体も大きくなった彼は、ある工場で働きながら大人しく暮らしていたとか。簡単な作業しか出来なくても、云われたことを実直に繰り返すので、ある意味便利な存在だったようです。
でも幼馴染は声を潜めて話でくれた真相はおぞましいものでした。彼は仕事が終わると寄り道もせず、小走りで帰宅していました。その性欲を満たすためであり、その相手はほぼ間違いなく母親だろうとのことでした。
幸い子供は出来なかったそうですが、おそらく堕胎したか、不妊手術を受けていたのかのどちらかでしょう。よくよく思い返すと、私たちが鬼ごっこをやっている光景を嬉しそうに眺めていた、彼の母親も少し知恵足らずであった気がします。私たちと普通に会話できたので、その程度は軽いとは思います。
私はもうその街を離れてしまい、知人も少ないのでその後のことは知りません。ですが、母親だっていつまで息子の面倒をみれるのか分かりません。そのあとはどうなるのでしょうか。
旧・優性保護法を憲法違反だと非難することも一理あると思います。ですが、敢えて暴言と知りつつ言いますが、本当に強制不妊手術はいけないことなのでしょうか。人権を盾に反対するのは自由ですが、子孫を残すべきではない人たちって、確かにいると思います。
彼らにだって性欲はあるし、子孫を残したいという本能はあるでしょう。ですが、子供を育て、社会の一員として受け入れる体制は、まったくもって不十分です。欲望を抑える理性が十分でない人たちを社会に受け入れるのは、非常に困難です。
それは、本来知性も理性も十分であった人たちが高齢化により痴呆化し、性欲を抑えられなくなった場合も同様です。介護老健施設などでも深刻な問題となっています。現在もまだ適切な対応策はないのが現状でしょう。自分で自主的に避妊が出来ない以上、半ば騙し討ち的な不妊手術も解決策の一つではないかとの思いが拭い切れないのです。
人権を盾に反対するのならば、適切な対応策を提示して欲しいものです。他人任せで自分の善意を実現しようとするのは卑怯に思えてなりません。
そう言う事ですか!
分かりました。
ヌマンタさん、勇気がある記事だと思います。
そういう女子がバス停で待っていると変なオッサンが寄ってきておさわりしたりとか、ありますよ。
私が子どもだった頃、特別学級がまだありました。
そのクラスの子が担任の女性教師になついていて、教師が妊娠したとき、やきもちをやいてお腹を蹴り飛ばしたんですよね。
やっぱり、思いもしない事をやるんですよ。
良い先生でしたけど、辞めました、当然ね。
みんな口に出さないだけで、嫌な物や事を一度や二度は見た事あるんじゃないの、と思います。