緑が映えるこの時期は、野山に足を運ぶと、眩しいほどの美しい光景が迎えてくれる。
緑と一言で書いたが、実際は輝く黄緑から、深い濃緑、青に近い薄緑と多種多様な色彩を堪能できる。春は花が咲き乱れる季節なので、ついつい可憐な花に目がいってしまう。でも、緑が美しい季節でもあるので、葉っぱの輝きにも注目して欲しい。
大学受験に失敗した私を山に誘ってくれたのは、高校ワンゲル部のOBのYさんだった。当時、Yさんは、某登山スポーツ店でアルバイトをしながら、ある社会人山岳会にも参加して、登山に明け暮れていた。
季節は丁度今頃、GWの連休前、まだ山が静かな時期に行こうと誘われた。上越国境付近のわりとメジャーな山だが、たしか少し前に遭難事件があったはず。上野発の夜行列車の中で、遭難事件のことを尋ねると、まだ見つかっていない遭難者が気になるので企画された山行だと教えてくれた。
ビールを飲みながら「でも、本格的な捜索をするわけじゃないから心配いらないぞ」と云われたので、安心した。この冬は大雪で、各地で雪崩事故が相次いていたので、少し気になっていたからだ。
遭難が起きた現場とは、遭難が起きやすい場所であり、たとえ時期がずれていても、決して油断するべきでないことは、諸先輩方から口酸っぱく教え込まれたいた。山の遭難現場は、断じて軽い気持ちで足を踏み入れるべきではない。
明け方に駅に着いて、バスが来るまで待合室で少し仮眠をとる。その後、寝ぼけ眼でバスに乗り、目が覚めたら新緑の美しい溪谷が目の前であった。ここで、2パーティに分かれた。
渓谷沿いに登って行く上級者パーティと、稜線伝いに登る我々若手メンバーである。もう4月とはいえ、沢沿いにはまだまだ残雪が残っており、また雪崩の影響でルートが荒れているので、冬山経験の浅い若手にはキツイということで分けられた。
もっとも稜線伝いのルートも、北面や日陰部分には残雪というより氷の塊が残っており、おまけに場所によっては雪崩のせいで道が崩壊しているから、気の抜けるルートではない。
しかし、新緑と残雪の映える景色は美しく、気持ちが洗われるかのような新鮮な感動をもたらしてくれた。四時間ほどかけて稜線まで登り、後は合流地点である山小屋までゆっくりと歩く。
山小屋に着いて、夕食の準備をしていると、沢伝いに登ってきたパーティと合流する。やはりルートが一部崩壊していて、迂回などして時間がかかったそうだ。その後、夕食後の話では、行方不明者は見つからなかったそうであった。
翌日は稜線の反対側に降りて、上野駅で解散した。悩んでいたり、気持ちが落ち着かない時は身体を動かすに限る。私としては気分一新できたので、新たに受験浪人生としての覚悟を決めることが出来たと思っている。
ところで、件の行方不明者のことだが、発見されたのはその年の晩秋であったそうだ。まだ関係者が生存しているので、多少フェイク混じりでの話になりますがご容赦のほどを。
その遭難事件は、元々は冬季登山中に雪庇を踏み抜いて滑落した登山者を自力で救出したものの、怪我の度合いが大きくテントから動かせないことから、パーティから2名が離脱して、麓に救援を求めに行き、その二名が行方不明となったものだ。
ちなみに、滑落した遭難者は他の登山者からの通報で翌々日に救助されている。結局、助けを求めに下山した二人が発見されたのは、10か月以上後のことであった。奇妙なのは、その二人は、別々のルートで発見されたことであった。
12月の雪山で、救助を求めるために下山した二人が、同時にテントを出発して、別々のルートで発見されるなんて、普通ではありえない。先にも書いたとおり、遭難が発生した状況というのは、遭難が発生しやすい状況であり、第二の遭難が起こりやすいことは登山者ならば常識である。
にもかかわらず、何故に二人は別々のルートを採ったのか?
私は部外者であったので知らなかったが、後で聞いたところでは、この二人は一人の女性会員を巡っての三角関係にあったという。元々は仲の良い2人であったらしいのだが、その女性を巡って陰湿なさや当てを繰り返していたので、周囲は気にしていたらしい。
よくよく話を聞くと、私が登った稜線沿いのルートは難易度は低いが時間がかかるルート。沢沿いの上級者が登ったルートは、難易度は高いが下る時間は短いルートだそうだ。救助を求めて下山するルートを巡って、二人の意見が食い違った結果、両者ともに遭難したのではないかとの説が、一番可能性が高いと思われているようだ。
私はそれほど冬山経験がないけれど、この二人のとった行動が非常識であることは分かる。目的は遭難者の救助を伝えることであり、早さよりも確実さを優先するのが当然だと思う。まして危険な状況下で、二人に分かれるなんて本末転倒であろう。
当時はそのように憤ったものだ。もっとも、あれから30年以上経つと、実はこの手の異性絡みの事件が意外と多いと分かる。どうも人間という奴の性は、理性を押さえつけても、情理に左右されるものらしい。
新緑の季節は気持ちも浮かれることが多い。異性が妙に魅惑的にみえてくる季節でもある。これも、おそらくは生物としての本能に影響を受けているのだろうと思うと、ちょっと複雑な気持ちになりますね。
必ずという訳ではないのですが、命のリスクは男性の生存本能に働きかけることはあると感じていました。戦争終了後のベビーブームなどと同じ傾向だと思います。
ただ、山行中はご法度というか、論外だとも思っていました。恥じらいを知る若い世代よりも、中高年のほうが厚かましくなるのでしょうかねぇ。しっかりと公私の別をつけて欲しいものです。
GWで今季の雪山は終了しました。GW山行に向けてのトレーニングは新緑に心洗われ、本番の雪景色との季節差が醍醐味です。
山を始めてから、今までの人生より、男女関係やらセクハラに悩まされることが多くなりました。
命のリスクが高いとある欲求が高まるってことですか???
はっきり言って迷惑です。