先週末の寒波は、身に堪える厳しさだった。
都心にいても、かなり冷え込んだ。まして東京西部に行けば、氷点下が普通の冷蔵庫状態。雪が降らなかったのは幸いであったが、氷結しているところがあり、気が抜けない。
だが、寒さが辛い夜は、星が美しいのも事実だ。先週末は月が三日月であったせいで、他の星々が輝いてみえて美しかった。既に時間は深夜であり、後2時間あまりで東の空が明るくなるだろう。
子供の頃から、私はこの時間帯が好きだった。特に夜明け前の闇が一番濃い時間帯が好きだ。十代の頃、足を潜めて家を抜け出して、当もなく夜の三軒茶屋の街をうろついて、静かに暗く輝く風景を堪能したものだ。
冬のこの時期だと丑三つ時あたりが、一番寒さが堪える。が、一番、夜空が美しい時間でもある。煌めく星々を背景に、月が青く冷たく輝くのだが、時折、その月が暖かい黄色じみた色合いになることがある。
先週末がそうだった。三日月は暖色にぼんやりと輝き、周囲の暗く冷たい星々の輝きとは対照をなしていた。こんな時は、なんとなく周囲を見渡してしまう。
あれは、受験浪人中の1月のことだった。高校時代のWV部の同期のKが、雪原から望む富士山の写真が撮りたいというので、私とA先輩が同行することになった秩父登山を二泊三日で行った。
初日は快晴で、大菩薩峠からの富士山は、旧500円札の絵柄に使われただけあって、富士山が綺麗に観れる名所であり、新しいカメラを手にKはご満悦であった。ところが翌日の縦走中に天候が急変して、猛吹雪になった。
しかたなく、エスケープルートを下り、避難小屋に逃げ込んだ。無人小屋なので、非常食を食べて夜を明かしたが、明日には下山しないと厳しい。私とKはもうすぐ受験だし、A先輩も夜からバイトだそうだ。
予定外のエスケープルートなので、麓に降りてもバスの発車が遅い。ただ、歩けば1時間半で駅に着く。そこで、3時出発して下山することにした。これなら、昼には帰京できる。
2時には起床して、紅茶とクッキーだけの朝食を取り、すぐに避難小屋を出る。幸い天気は回復しており、時折粉雪が舞う程度なので、安心して歩き出す。ただ、思ったより積雪しており、膝まで沈むので、歩くペースは落ち気味だ。
先頭を歩く役割は、20分交替で行い、喘ぎながらも2時間ほどで麓が見えてきた。ところが、雪のせいでルートを間違えたようで、お寺の裏に出てしまった。まだ夜明け前なのだが、星明りで優しく雪面が輝いているのでヘッドランプは必要なかった。
だから、地図も見ないで、ひたすらに稜線を下ってきたのだが、一本稜線を間違えたようだ。街灯に照らされた車道は眼下に見えるので、いささかもどかしい。先輩と相談して、このまま下ってしまうことにした。
ふと気が付くと、既に月は向かいの山稜に消えそうな場所で輝いていたのだが、その輝きは少し前までの冷たい青色ではなく、黄色じみた暖色であった。なんとなく違和感を感じたことは覚えている。
私が先頭で、そのまま山稜を下ったのだが、途中からペースを落とさざるを得なくなった。雪から墓石や石灯籠が覗いていたからだ。どうやら墓地に入ってしまったらしい。
いくらなんでも、墓石を踏んでの下山は御免である。一応、一礼してから慎重に足を進めた。積雪のせいで、おそらくあるはずの道は分からない。でも、墓石と墓石の間をいけば大丈夫だろう。
なんとか墓石を倒すことなく、お寺の裏に出た時は安堵のため息が出た。表に回って階段を下りれば、そこは車道であった。嬉しいことに、ジュースの自動販売機がある。
暖かいお汁粉の缶ジュースを飲みながら、後は駅までひたすら歩けばいいだけだ。気が付くと、Kは空を見上げている。黄色い月が稜線の向うに沈みそうであった。写真でも撮るつもりなのか。それにしても、このクソ寒い早朝に、温かい缶ジュースは美味しいな。
と、思いきや、いつのまにやらKの奴はザックを背負って、勝手に歩き出している。おいおい、と思ったが、慌てて後を追う。先輩も怪訝顔であったが、肩をすくめて歩き出した。
ところが、なかなか追いつかない。なにせ、Kの奴は校内マラソン大会では、上位に入る健脚を誇る。歩くというよりも、早歩きであり、私も追いつけない。気が付いたら200メートル以上、間が開いてしまった。
予定よりも早く駅に到着すると、Kはぐったりと駅のベンチに座り込んでいる。怪訝に思い、どうしたんだと声をかけると、青白い顔でKは「追いかけられたんだ・・・」と吐き出すように云うと、そのままベンチに寝込んでしまった。
私とA先輩が顔を見合わせていると、いつのまにやらKの寝息が聞こえてきた。もう寝込んでいた。ほっとく訳にもいかないので、Kに上着をかけてやり、寒くないように対処した。
次第に日が登り、明るくなってくると、駅の傍の売店と、蕎麦屋が店を開けた。空腹に耐えかねた私らは、Kを起こして蕎麦屋で、蕎麦と握り飯を食べて、ようやく人心地がついた。
駅の休憩室に戻り、落ち着いたKの様子を見ると、本人も「もう大丈夫。心配かけて悪かった」と苦笑している。どうしたのだと尋ねると、途切れ途切れに話してくれた。
車道に降りたKは、誰かに呼ばれた気がして振り返ると、そこには頭上に黄色い月が見えるばかり。ヘンに思った次の瞬間、耳元で誰かが「戻ってこい」とささやいた。
思わず背筋がゾッとして、Kはその場を立ち去ろうと、ザックを背負い直して駅に向かって歩き出した。しかし、その後も耳元でささやく声は止まず、夢中で駅までたどり着いたら、眠気がして寝てしまったとのこと。
私やA先輩の声は、まるで聞こえてなかったらしい。私は訳が分からず、唸ってしまったが、A先輩は急に立ち上がり、Kの手をとると「こっちへ来い」と彼を駅の反対側に連れて行った。
私も付いていくと、そこには観音像があり、Kが跪いてお祈りをしていた。それを神妙な顔で見守るA先輩の真剣な顔つきに、声をかけるのも躊躇われた。なんとなく、私もKの横に並び、同じようにお祈りしてみた。
その後、平静を取り戻したKともども、何事もなかったかのように電車で帰京した。後でA先輩に、あれはなんだったのですかと尋ねたら、「まァ、鎮静剤のようなもんだ。あいつ、きっと気にしていたろうから」とのこと。
先頭を歩いてルート探しに夢中だった私は知らなかったが、墓地のなかを下っていた時、Kはなにかに躓いたらしい。その時に、卒塔婆に寄りかかってしまったようで、その後も振り返っては、しきりに気にしていたらしい。
「多分、思い込みだと思うけど、なにもしないよりはいいと思ってさ」とA先輩は苦笑していた。そういえば、Kは怪談の類いが苦手だった。きっと、気にかけていたのだろう。
もう30数年前の話だが、私は今でも黄色く光る月を見ると、あの時のことを思い出すのです。冬の夜空に青白く輝く月は好きですが、あの暖色の黄色い月を見ると、なんとなく心がソワソワしてしまいます。
まるで人気のない山奥よりも、人の居る気配の残る寒村であったことが、殊更何かを感じさせたのかもしれません。