桶狭間の戦いで、一躍日本全土に名を知らしめたのが織田信長であるが、案外とその前に何をやっていたのかは知られていない。
尾張の一地方の小大名に過ぎなかった信長を主人公にして、四コマ漫画として刊行されたのが表題の作品です。
「信長の忍び」という歴史を題材にした四コマ漫画で成功した重野なおきが、外伝として発表した作品なので、本編ともつながっていて、非常に楽しい。
四コマ漫画家としては既に中堅どころの重野なおきだが、実は社会科の教員免許も持っている。もちろんペーパー教師なのだが、根が真面目なのか、この四コマ漫画でも、歴史上の事実に基づき、ギャグ漫画としてのツボを押さえつつも、しっかりと歴史上の人物を見事に描き出している。
この作品で、私が上手いな、と思ったのは、信長の父・信秀の人物造形。尾張の一土豪に過ぎないが、戦上手で実力で成り上がった人物だけに灰汁の強い人物として描かれている。
その信秀は25人の子持ちなのだが、後継者に世間から「うつけ者」だと馬鹿にされた信長を選び、死の間際にそれは間違いではなかったと号泣する場面が秀逸。
多分、重野の想像に基づく場面だと思うが、実際そうであって欲しいと思わせる説得力があった。信秀は単に武将として強かっただけでなく、流通の拠点としての津島を支配して経済力を上げたり、状況に応じて拠点である城を変えたりと、かなり先進的な武将であった。
ただ、あまりに敵が多かった。東海一の戦国大名である今川氏や、梟雄として名高い斉藤道三、松平、六角と周囲は敵だらけ。それどころか尾張内部には、本来の上司というか本家筋の織田家が、成り上がりの信秀を狙ってあれこれ仕掛けてくる。
そんな父親の悪戦苦闘ぶりを見て育ったのが信長であった。そして跡取りとは思えぬ悪童ぶりを発揮する。世間から誹謗されることを厭わず、当時はまだ農民兵主体であった時代に、不良少年たちを集めて部下とし、後の馬回り衆という子飼いの兵士を育てた。
頻繁に町を見て回り、海運業や商店を自分の目で見て、後の楽市楽座の原型ともいうべき形を見つける。情報の重要性を知り、格式や伝統に囚われない自由な発想は、この時期の「うつけ」時代にこそ養われた。
たかが四コマ漫画と馬鹿にせずに読んでみると、信長を中心とした戦国時代の一世相が見えてくる。けっこう良質な四コマ漫画だと思います。
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