江戸時代の米沢藩藩主である上杉鷹山は統治者の鑑といえる人物だとされる。その名言の一つがこれだ。
してみせて 言ってきかせて させてみる
霞が関のエリート様は、よくよくこの意味を噛み締めて欲しいと思う。
先日のことだが、国民年金の支払い期間の延長方針が報じられていた。従来の40年から45年に国民年金保険料の支払期間を延ばしたい意向であるようだ。
60歳で定年を迎えた人に、後5年間保険料を支払い続けさせるための改正である。
この国民年金は、自営業者や退職したサラリーマンなどが支払っているが、御多分に漏れず年金機構の財政状態の悪化により、現在の水準での年金支払いが厳しいことからの保険収入増加を目指したものだ。
霞が関のエリート様はお役人様向けの高利回りの厚生年金基金で保証されているし、60歳で定年となっても再就職に困る訳もなく、むしろ高額な退職金目当ての天下りを繰り返すので心配はない。
しかし庶民は違う。大企業でさえ厚生年金基金の解散が幾つも報じられているように、決して将来は安穏とはしていられない。大企業の役員クラスなら子会社や関連会社への転職もあるが、役員までいかなかった平のサラリーマンに再就職は必ずしも保証されない。
ましてや企業の7割を占める中小企業では、55歳定年から60歳定年に移行するのさえ四苦八苦であり、定年後の再就職は各自の努力次第である。この人たちは厚生年金から国民年金へと移行するので、働かなければとうてい65歳までの国民年金保険料の支払いは厳しい。
霞が関のエリート様は中小企業には関心が薄いようなので、高齢者は再び働けば良い程度の認識なのだろう。まるっきり世情に疎いことが良く分かる。
21世紀の日本は世界史に類を見ない高齢化社会であり、その高齢者の生活を支える年金制度の維持は、政府にとって重要な問題だと思う。高齢者に若い時と同じように働けると無邪気に想定するエリート様の幼稚さには辟易する。
このエリート様の暴走を止められない国会のだらしなさには怒りさえ感じる。エリート官僚は官を下っても生活が保障されるが、国会議員は議席から落ちたら、ただの無職者である。
21世紀の日本の有権者における高齢者の割合は今後増える一方である。彼らを犠牲にして制度を維持しようとするエリート様の軽薄さはともかく、彼らの一票により議席を左右される国会議員の無神経さには、いずれしっぺ返しがある。
既に危機感をもっている議員も動いているようだが、年金の元締めである厚生労働省の記者クラブで飼い馴らされたマスコミ様はお上には逆らえぬと黙り込んでいる。
高齢者が増加し、年金受給者が増加する以上、年金の財源が厳しくなるのは必然だ。消費税の増税は、それを見込んだものだと説明されていたが、これは財務省の管轄である。厚生労働省としては、独自財源を欲しがってのものだと私は邪推している。
財政が厳しいので、国民に更なる負担を求めたいのならば、まず自らが率先して模範をみせよ。それこそが江戸時代に財政が困窮した米澤藩を建て直した上杉鷹山の改革の骨子である。
自らは安穏とエリート暮らしを堪能しつつ、国民のなかでも弱い立場の高齢者に負担を押し付ける。これを恥知らずと云わんでなんと呼ぼうか。
この問題を放置するようなら、戦後70年以上続いた自民党による政権運営も危ういと思いますよ。
財務省財務官僚が財政と税制を握っていて、政治家もマスコミ、学者もまるで相手になってないですよね。
ヌマンタさんの方が専門なので言うまでもないかもしれませんが・・・
この状況、どうしたらいいのでしょうね。