ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

アルジャーノンに花束を ダニエル・キイス

2010-04-22 15:19:00 | 
いつか来る日だと覚悟はしている。

難病の難病たる所以は、治療法が確立してないだけではない。原因が分らない故に、いつ再発するかが分らないところが難しい。

この春で、ついに25年目を迎えたが、今でも二ヶ月に一度の外来診療は欠かせない。病状は外見的には分らないが、詳しく検査しなければ分らない程度には安定している。だから、ほぼ健常者として生きていられる。

だが、完全に治ったものではないことは、今でもしっかりと自覚している。何度も再発の憂き目にあっているので、過労と感染症に注意していれば、或る程度再発を防げると信じている。ありがたいことに、ここ十年以上再発はしていない。

それでも不安は拭えない。再発のなかには、原因が思い至らぬケースも多々あったからだ。いろいろ調べてみても、やはり原因不明の再発は少なくないらしい。

だが、予想されることならば、それ相応の対策を練ればいい。その覚悟だけはしている。心に枷をはめられたようなものだが、その枷自体はそれほど苦痛ではない。哀しいことに、馴れてしまったからだ。

それでもやはり恐れていることがある。

いかに副作用がきつくても、薬が効くうちは対処できる。では、薬が効かなくなったらどうする?

私はその場合の結果を知っている。幾人か、そのような同病の患者を見て来たからだ。全身の筋力が衰え、やせ細り、寝たきりになり、やがて多臓器不全で死んでいく。

怖いのは、身体よりも心の衰えだ。治らぬことを自覚し、介助なしでは身動き一つとれぬ寝たきりの生活は、間違いなく心を蝕む。

弱った心が現実を認めることを拒否したとき、人は幼児に戻る。精神の退行現象が起きるのだ。多くの場合、幸せだった頃の記憶にすがりつく。だが、目が覚めて現実に気がつくと、やりきれぬ苛立ちから逃れられない。

私は耐えられるだろうか?正直、自信はない。

表題の本は、あまりに有名でいまさら取り上げるのも気が引ける。人はいつかは死ぬものだ。どうせ死ぬなら、笑顔で穏やかに死にたい。

そう思うと、もしかしたらチャーリーは幸せなのかもしれない。失った悲しみや絶望すら忘れて、無邪気な笑顔で人生を終えることが出来るのだろう。

異論はあると思うが、他人の目線を気にせず、自分だけの殻に閉じこもるのならば、笑顔で死を迎えるのは幸せなことだと思う。

ただ、墓石に花束を置いてくれる人が少しは居て欲しい。死ぬのは仕方ないが、忘れ去られるのは死ぬよりも辛いことかもしれない。

だからこそ、アルジャーノンに花束をと、書き残したのだと思う。知性が衰えていくなかで、それだけは覚えていたのだろうな。

私は散骨が希望なのだけれど、やはり墓所は必要みたい。死ぬ覚悟はできても、忘れ去られる覚悟はできそうもありません。
コメント (8)
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国労組合員との和解に思うこと

2010-04-21 12:19:00 | 社会・政治・一般
またしても民主党政権がおかしなことをしてくれた。

20年以上前だが、国鉄が分割民営化された際、現・JRに採用されなかった人たちがいる。その多くは労働組合の熱心な活動家たちだった。なかでも国労の組合員が多数不採用となっていた。

採用されなかった旧・国鉄の職員たちが再雇用を求めて、この20年間闘争しつづけていたが、長く与党にあった自民党政権は彼らとの妥協を許さなかった。

しかし、前政権との違いを強調したい民主連立政権は、彼ら国労組合員との和解に応じ、一人当たり2000万円の和解金を払うそうだ。おまけに民間企業であるJRに、彼ら組合員らの雇用を求めるつもりらしい。

なにか忘れていませんか?

20数年前、国鉄が分割民営化された際、国民の大半はそれに反対せず、むしろ積極的に支持していたことを。JRが一部の労働組合員たちを不採用としても、さして同情もせずにいた事実を忘れていませんか?

昔のことを知らなければ、分割民営化の際、採用されずにいた組合員たちに同情してもおかしくない。しかし、当時を知る国民の多くは冷淡だった。

何故に?

当然である。あの時代、国鉄のあり方はひどかった。本当にひどかった。社会主義に基づく自分たちの政治的主張を押し通すため、国鉄はストライキを頻発し、国鉄の利用者に多大な迷惑をかけていた。

大幅赤字ゆえに国民の税金で維持されていた公共の交通機関である国鉄は、労働組合の政治活動に利用されていた。利用者である国民の不便など顧みもせず、傲慢不遜に労働組合はふんぞり返っていた。

勤務時間は守られず、勤務中にさぼることを既得権として堂々主張する組合員たちを、多くの国民は冷たく見ていた。頻発するストライキのため、会社に泊まりこみ、家族の顔もみれずにいた民間企業の社員たちの不満は爆発寸前だった。

しかし、当時(今もだが)の新聞TVの大半は労働組合に同情的で、国民の不満なんぞ報道せず、ひたすらに政府と戦う正義の労働組合を賛美していた。

だからこそ、中曽根内閣の下で豪腕を発揮した三塚運輸大臣の強引な手で、分割民営化がされた時、与党自民党は選挙で圧勝した。労働組合を母体とする野党勢力は議席数を大幅に減らすこととなった。

マスコミは黙り込み、労働組合は言葉を失した。

この頃から労働組合は劇的に支持を失い、加入率は減る一方。いくら声高に自らの社会的正義の正当性を叫んでも、支持者の減少は止まらなかった。彼らはようやく気がついた。自分たちが国民に支持されていないことに。

普通ならここで自らの誤りを反省する。しかし、自らの善意を確信している彼らは、自らの誤りを認める勇気は持ち得なかった。自分たちは正しいはずだと、頑なに信じ込んだ。

私見だが、このときから社会主義的正義を掲げる勢力は、孤立したがゆえに過激になった。若い人が多い学生運動は、内ゲバに走り自滅した。

暴力に走ることがなかった労働組合(とりわけ教職員組合)は、自分たちの正義を盲信してくれる支持者を育成することに活路を見出した。それが自虐的歴史教育だ。

従軍慰安婦などの反日的な自虐活動は、彼らが少数派に落ちた時から始まった。マルクス主義の担い手であった大学教授らを中心に自虐的な教科書を作り、子供たちに自分たちの正義を教え込む囲い込み教育が横行した。

その成果が、民主党政権のもとで試されている。国民の多数派の声なんか聞こえない鳩ポッポと、それを操る権力亡者である幹事長にとって、少数意見の擁護者というポジションは心地よいようだ。

今後もおかしな少数意見の実現は続くと予想される。次の選挙にむけて、国民は政府のやることをよくよく注視するべきでしょうね。
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対セルビア敗戦を受けて サッカー日本代表

2010-04-20 16:22:00 | スポーツ
不様だ、その一言に尽きる。

Jリーグが始まって十数年がたち、不毛と言われた日本サッカーもようやく薄日が差した。ワールドカップにも連続出場を果たし、アジアの強豪国となったのは嬉しい限り。

でも、今回の南ア大会ほどしらけた雰囲気で臨むのは初めてだ。これほどまでに期待されない駄目チームがあっただろうか。多少なりともサッカーを好きな人たちは、既に諦めモードに入っている。

原因は岡田監督の能力不足。世界に通じる戦い方など分らぬ癖に、世界のベスト4を目指すなどと絵空事を語るのは冷笑すれば済むだけのこと。

問題はこの人、自分が王様でいたがる。フランス大会の時もそうだった。実績、名声が遥かに上の三浦カズを嫌い、代表から追い出し、マスコミの尻馬にのって中田英中心のチーム作りをして、かえってチームのバランスを崩した。

今回も実質チームリーダーである俊輔と遠藤の跋扈を嫌い、自分がチームを仕切ろうとして、かえってチームを駄目にしている。新しくチームに選手を呼ぶのはともかく、その選手は対戦相手よりも岡田監督の顔色ばかり伺い、誰と戦っているのかわかりゃしない。

はっきり言えば、岡田監督よりも選手たちのほうが国際試合の経験も実績もはるかに上だ。ただ、岡田監督の嫉妬癖を知っているので、仕方なく監督に従うふりをしている。対戦相手と戦うよりも、岡田監督の歓心を買うことに執着してしまう。

これじゃあ、チームが弱くなって当然だと思う。戦って勝つことよりも、岡田監督に気に入られ代表に残れることを選択している選手が大半のチームが勝てるわけがない。

この時期は、怪我を怖がり選手が頑張らないのも事実だが、それ以上にこの駄目監督をのさばらす日本サッカー協会が一番悪い。これだけ駄目だと明白になっている人物を監督をやらせることは罪としか言いようがない。

今最も求められるのは、日本サッカー協会の幹部と岡田監督が共に辞任することだ。日本が勝つためには、それが最善の手段だと思う。
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複合不況 宮崎義一

2010-04-19 12:36:00 | 
もっと易しく書いて欲しかった。

そりゃ確かに私のマクロ経済に関する理解は浅い。統計学は苦手で赤点スレスレの成績だったと記憶している。その後も、それほど努力して学んだ覚えがない。

でも、そこそこの経済知識はあると思うし、多分平均以上の知識はあると思う。それでも私はこの本を理解するのに苦しんだ。正直、今でも理解しているとは言いがたい。ただ、表面上の字ズラを追っているだけだと思う。

じっくり考えて、つくづく思うのだけれど、経済ってやつは沢山の要因が絡まり、影響しあって作られる。複合しているのが当然のものだ。

もちろん石油価格の高騰や、為替レートの予想外の暴落など単一の要因をもって経済の動きを説明できることもある。しかし、多くの場合は多様な要因が影響し合い、複雑な流れと澱みを起して我々の眼に触れる。

不況という現象を紐解いてみれば、たった一つの事柄が主要因であることのほうが稀なのだろう。つまり複合不況は当然の現象なのだ。とりわけ今日のように、市場の変動を考慮に入れた先物取引や為替予約などの金融技術が発達し、さらにデリバティブ(金融複合商品)が過剰に膨らみ、投資家でさえ市場の流れが読み難い以上、経済の変動は複雑に絡まりあっているのが常態になっている。

敢えて言いますが、それを分りやすく説明するのが経済学者のやるべきことではないのか。

そう考えると、表題の本は問題があると思う。暴言との誹りを受けるのを覚悟して言いますが、この本を読んだ人で、完全に理解したと公言できる人は稀だと思う。

ただ読んだだけで、漠然とわかったような気持ちになっただけの人のほうが圧倒的に多いと思う。恥を忍んで言えば、私もそうだった。

私はこの著者の他の本も数冊読んでいるが、これほど分りにくくはなかったと思う。専門家なら難しいことを易しく解説してほしいもの。だって、これ新書でしょ。専門書ならイザ知らず、普通の人こそ新書から読むのだから、もう少し分りやすい表現にして欲しかった。

でも、この本売れたんですよね。みんな分ったのかなぁ?

ってこれ禁句?!
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影の兄弟 マイケル=バー・ゾウハー

2010-04-16 12:36:00 | 
そろそろ訊いておいたほうがいいかもしれない。

離婚してから、父は数年間を海外で過ごしている。祖父母の死を知らずにいるほど、現地で夢中で仕事をしていたらしい。

実を言うと、私は父が何をしていたのか良くは知らない。父が自ら語ろうとしなかったのも事実だが、私が父の私生活を知りたがらなかったのも確かだ。

私は父の経済的支援があったからこそ高校にも大学にも進学できた。そのことは感謝しているが、見捨てられた数年間を忘れることは出来なかった。そのため、父を「おとうさん」と呼ぶことにさえ抵抗が強く、その言葉を口に出来たのは、おそらくは20代後半か、30過ぎだと思う。

どうしても、無意識に一線を父との間にひいた距離のとり方をしてしまうので、父の人生については呆れるほど無知だ。

だが、この冬に母が病に倒れて闘病生活に入った姿をみて、このままじゃ拙いとも思い返すようになった。父がいかなる人生を送ってきたのか、息子として訊いておいたほうが良いようだ。

父と距離を置きたがる私と異なり、妹たちはかなり無邪気に娘として父に甘えていたようだ。当然に私よりも会話は多く、私が知らないことも知っているようだ。

しかし、この年になって分ったことがある。どうも親という奴は、息子と娘に対しては語る内容が異なるようだ。これは子供のいない私でも、なんとなく分る。おそらく妹たちには話していないこともあるのだろう。

おそらく父はあと10年は持たないだろう。既に片目は見えず、大好きだった車の運転もできないようだ。だから最近は連絡もよこさない。

私も依怙地さを捨てて、父に話す機会を与えてあげるべきなのだろう。別に相続財産なんて欲しくないが、父の人生の一端を知ることぐらいは必要だろう。多分、嫌がらないはずだ。

でも、ちょっと怖い。あいつ海外で何してたんだ?いや、どんな暮らしをしていたんだろう。まさか・・・とは思うが、異母兄弟がいるなんてことはないだろうなぁ?

表題の作品は、冷戦の最中にアメリカとロシアで別々に育てられ、やがてそれぞれの情報機関の一員として再会してしまった兄弟の半生を舞台としている。

イスラエル出身の異色のスパイ小説作家であるゾウハーが本領発揮した大作だ。読み応え十分なので、機会がありましたら是非どうぞ。
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