ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

アリとキリギリス イソップ童話

2010-04-08 12:32:00 | 
ある居酒屋でバイトしていたアリさんとキリギリスさんがいました。

アリさんはいつも疲れていました。そりゃそうでしょう。誰よりも早く店に来て、掃除をして仕込みを始め、お客さんが来れば笑顔を絶やさず、明るく接待。仕事が終えると片づけを手伝い、くたびれきってアパートへ帰って寝るだけの毎日。

一方、同じ店で働くキリギリスさんは飄々としたものです。どんなに忙しくても定時退社。なんでも、夜にはモンハンとかいうゲームをネット上でやるため、どうしても家に居なければならないとまくし立てて、さっさと帰宅してしまいます。

くたびれた顔のアリさんを見て、キリギリスさんは笑います。なんでもっとプライベートを大切にしないの?青春は一度きり、人生楽しまなければね、と。

アリさんは、そうだねと肯きながらも、でも仕事も大事だと思うと静かに呟きました。キリギリスさんは更に哄笑して、そんなに働いたって稼ぎは微々たるものだよと、悟ったように言い切りました。アリさんは黙って微笑んでいました。

やがて居酒屋も不況のため売上が落ち込み、バイトさんたちの首切りが始まりました。キリギリスさんは首を切られる前に辞表をだし、もっと稼げる仕事を探すよと立ち去りました。

アリさんも転職を考えましたが、店のオーナーから是非残って欲しいと頼まれました。みんなで力を合わせて頑張ろうとのオーナーの声に励まされ、今まで以上に仕事を頑張りました。

不況を乗り越えた時、オーナーから新しい店の店長を頼まれ、アリさんは雇われ店長として奮闘し、店も軌道にのりました。今の夢は、お金をためて自分の店をもつことです。

一方、キリギリスさんは楽に稼げる仕事を求め、何度も転職を繰り返しました。でも、彼のプライベート最優先の考えはどこにも受け入れられず、気がついたら家賃を滞納して追い出され、今はネット・CAFEに寝泊りする毎日。

キリギリスさんは貧困者に成り果てても、インターネットで遊ぶことを止められませんでした。世間からはワーキング・プアと呼ばれ、人生の負け組扱いです。

もう一度、思いっきり働こうと志したこともありますが、年齢と共に体力も落ち、若い時の馬力はありません。思えば、その若かりし頃の体力をゲームに費やした人生でした。

若くて体力があった時に仕事に没頭してノウハウを身につけたアリさんと異なり、キリギリスさんにはゲームを遊んだノウハウしかありません。遊びは所詮遊び、仕事には代えられない。

今更のように若かりし時の過ちを悔いても、時間は元には戻せない。イソップの書いた寓話は、今も通用する。人間って奴は、今も昔も変らないものなのだと、つくづく思います。
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サイコロジカル 西尾維新

2010-04-07 12:26:00 | 
気に入った本は、何度でも繰り返して読む癖がある。

ただ、西尾維新だけは再読を意識して控えている。決してツマラナイからではない。面白いのは確かだ。新時代のエンターテイメントだと認めている。

それでも避けるのは、その文章が妙だからだ。初めて読んだ時、まるでチョコパフェにゼリーをトッピングしたかのような印象を受けた。基本は甘味なのだが、味が複雑すぎる。

こればっかりは読んでもらうしかないのだが、こんな癖のある文章を書く人を私は他に知らない。一応、ライトノベル系の作家とされるが、これはイラストを担当するTake氏の威力だと思う。たしかに魅力的なイラストです。

でも本の中味は奇想天外、摩訶不思議。その文章の怪しいリズムは、私の感性を惑わせてやまない。それでいて、その困惑は不快ではない。

非常に饒舌な文章なのだが、なにより微妙に言い回しを変えて繰り返される文章の妖しさが、私を戸惑わせる。こんな文章を書く人を、私は西尾維新以外では知らない。

変った日本語を読みたいと思ったら、一度はトライしてみてください。多分、けっこう驚くと思う。でも、これは戯言シリーズの4巻目。最初は「クビキリサイクル」からですね。
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プロレスってさ ミル・マスカラス

2010-04-06 12:24:00 | スポーツ
自分だけがヒーロー。

それが仮面貴族ミル・マスカラスだ。70年代にヒットしたロック・ソング「スカイ・ハイ」の音楽が流れると、さっそうとリング上に現われて、コーナーポストの上に立ち観客の歓声を浴びていたのがメキシコから来た覆面レスラーであるミル・マスカラスだ。

見事にビルドアップされた上半身の筋肉が見事だが、それ以上にカラフルな覆面に観客の目は引き付けられる。そして試合が始まれば、メキシカン・レスラー独特の関節技や投げ技を繰り出し、止めは高い跳躍から生まれる空中攻撃だ。

大人から子供まで幅広い支持を誇る人気者であり、メキシコでもアメリカでも、そして日本でも大人気であった。

ただ、私はあまり好きではなかった。試合が面白くないからだ。端的に言えば、正義の仮面レスラーであるマスカラスが悪役レスラーをやっつけるだけの試合であった。いかに華麗な技で、マスカラスが相手の悪役レスラーを唐キかだけが見所であった。

それが気に食わなかった。プロレスの試合は、相手があってこそ成立する。互いに力の限りをつくしてぶつかり合い、殴り合い、投げ飛ばしあい、技を決め合うことで盛り上がる。

ところが、マスカラスは相手レスラーを輝かす試合が苦手であった。自分の良い所だけを見せ付ける傲慢な試合ぶりが鼻に付いた。

ちなみにマスカラスは決して下手なレスラーではない。受身も上手いし、運動神経もかなりいい。ただ、自意識が強すぎて、相手の見せ場を作ることを厭う傾向が強かった。

そのせいで、同じプロレスラー仲間からの評判は良くなかった。本来なら潰されてもおかしくない傲慢レスラーでさえあった。しかし、潰されなかったのは、人気レスラーであるだけでなく、実力があったからだ。意外なほど喧嘩に強いレスラーでもあった。

メキシカンとしては異例の大柄なヘビー級の体躯であり、俊敏さ、技の多彩さがあるだけでなく、レスリングの実力も十分にあり、しかも気の強さから喧嘩も強い。

もっとも、同じ覆面レスラーの実力者デストロイヤーに睨まれ、怪我をさせられてからはデストロイヤーと同じシリーズで来日することはなくなった。

日本ではお笑いタレント役をこなした変り種だが、デストロイヤーはチャンピオンクラスの実力者であり、レスラー仲間からも人望は厚い。そのデストロイヤーに言わせると、仲間を思いやらない我が侭坊主を懲らしめただけだそうだが、プロモーターである馬場は苦りきっていたらしい。

マスカラスは確実に観客を呼べる、稼げるレスラーなので興業主である馬場にとっては大事な手駒だったからだ。以降、馬場はマスカラスを呼ぶときは、同行するレスラーの人選に頭を悩めたらしい。

そしてマスカラスは、相変わらず自分だけがヒーローを演じ続けた。

そのせいか、馬場の全日と猪木の新日が外人レスラーの引き抜き合戦をやった時も、マスカラスは蚊帳の外だった。対戦相手を光らせる名人であった猪木からすると、マスカラスの試合ぶりは評価に値しなかったようだ。

なんか悪口ばかり書いてしまったが、マスカラスのプロ意識は一流であった。常に自分がどう観客の目に映るかを過剰なまでに意識していた。とりわけカメラマンやTVカメラに自分がうまく写るように考えた試合をする名人でもあった。

私が試合会場に足を運んで驚いたのは、試合前にTVカメラの位置を確認しに来たことだ。そして自分でカメラを覗いて、どうリングが映るかを確認した上で、あらためて着替え部屋にむかって行った。

私はマスカラス以外で、こんなマメなことをするプロレスラーを知らない。人気レスラーであったのも当然かもしれない。
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大接戦 レスター・サロー

2010-04-05 01:36:00 | 
中学生の頃までは、一位とか一番という立場とは無縁であった。

いや、一度だけ200メートル走で一位になったことがある。先行する二人の足が絡んで転倒し、3位の位置にいた私が棚ボタで一着になっただけだ。一位の旗の下に立ちながら、えらく居心地が悪かった覚えがある。

もともと進学の気がなかったので、勉学は落第スレスレ。興味があった歴史とか生物は好成績だが、しっかり塾で勉強している連中に敵う訳がない。

しかし、父の経済的支援を受けて高校に進学してからは、一転して猛勉強に励んだ。一度くらい勉強でトップになってみたかったからだ。

落ちこぼれだったころに「それだけ本を読んでいるんだから、勉強だってやれば出来るはずなのよ」とのF子の言葉が事実かどうかを試してみたかったからでもある。

その言葉にウソはなかった。どうやら私には、或る程度の頭のよさがあったようだ。成績表は10、9、8で埋まり、学力テストで学年一位にもなっていた。

でも、なんだ勉強なんてこんなものかと見下したのは失敗だった。私は勉強の先に学問の世界があることに気がつかなかった。ただ、大学受験に役立てばイイ程度の認識だった。

もう一つ感じたのは、ある種の居心地の悪さだった。元々落ちこぼれの出である。成績がトップの奴を見上げたことなら慣れていたが、自分が見上げられる立場は初めてだった。

そして私の知らないところで陰口が叩かれていることも、なんとはなしに察していた。元・落ちこぼれ君であった私からすれば、当然のことであり、知らぬふりで押し通した。

興味深いのは、その手の陰口を叩くのは、日頃はまじめなクラスメイトたちであることだ。私が放課後つるんで遊んでいた連中は、まじめとは無縁の奴らなのだが、こいつらはその手の陰口とは無縁だった。文句があれば、面と向かって言ってくる奴らなので、或る意味信用していた。

むしろ真面目な奴らの妬みや誹りこそ厭らしかった。私は特段頭が良い訳ではなく、地道な努力を積み重ねて優秀な成績を勝ち得たので、恥じることも卑下することもなかった。棚ボタで一位を取ったわけではない。

放課後、パチンコや飲み屋で遊ぼうと、帰宅してアルコールが抜けてから夜更けに勉強していたのだから、好成績は当然だと思っていた。ろくに勉強もしないで妬む奴らこそアホだと思っていた。

ただ、落ちこぼれの気持ちを知っているので、わざわざ波風立てる必要も感じていなかった。ただ、堂々としていればいいだけだ。

表題の本は、アメリカが一人勝ちであった時代を終えて、日本とEUに追われ、追いつかれ、あるいは追い抜かれた90年代中盤に書かれた本である。

さすがに中国の経済的大躍進までは予想しきれてないが、アメリカ、日本、EUの三者が世界経済の大勢を占め、三者の違いと今後の趨勢を論じている点を興味深く読ませてもらった。

私が印象を受けたのは、世界経済の三大勢力となった日本は、超大国ゆえに必ずバッシングを受けるのだから、いちいちうろたえるなと叱咤している点でした。アメリカ人は「ヤンキー・ゴー・ホーム」とバッシングされても、あっさりと無視して我が道を行くだけだ。

その代わり責任ある大国の義務と権利を行使する。(多くの国には迷惑だとしても)サロー教授は、日本も大国の一員として責任と義務を果たすならば、21世紀も大国として存在し続けるであろうと述べていた。

それから十数年、残念ながら日本はサロー教授の期待通りにはいかず、相変わらずバッシングに過剰反応し、大国としての責任と義務から現実逃避を図っているだけ。

私は失敗を反省することは必要だと思うけど、自虐はかえって尊厳を損ね、むしろ卑しさだけが際立たせる。まっすぐ胸を張って堂々歩むことこそ、日本が目指すべきことではないか。

そのためには過去を美化することも、必要以上に卑下することもするべきではない。お天道様に恥じぬよう、堂々前を向いて生きていきたいものです。
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邪教集団トワイライトの追撃 ディーン・R・クーンツ

2010-04-02 13:29:00 | 
いくらなんでも、このタイトルはないと思う。

いや、内容はその通りなのだが、これじゃ知らない人は手に取らない。クーンツの面白さを知っている私でさえ、ちょっと躊躇ったぞ。

でも内容は面白い。読み出したら止められない面白さがある。これぞエンターテイメント小説の真骨頂だと思う。クーンツはホラー作家と呼ばれることを嫌うという。クーンツには読者を楽しませることにこそ、作家としての本領を発揮する。そこに徹底している。

不幸な家庭に育ったクーンツにとって、読書は数少ない楽しみであり、読書で救われた思春期を過ごしているそうだ。だからこそ、読者を楽しませることを至上の命題だと考えている。面白くって当然だ。

私はもっと沢山の人にクーンツの面白さを知ってほしいと切望している。

だが、未だ日本では知名度は高くない。原因の一つは本のタイトルではないかい?ホラー作家と銘打ってしまったことで、かえってホラーに興味がない読者を逃していないか?

私にとってはホラー作家の四天王なのだが、あくまでモダン・ホラー小説の語り部だ。いや、ホラーを超えたところで読者を楽しませることができる稀有な作家でもある。

実はもう一つ不幸がある。それは映画化された作品が、どいつもこいつも駄作ばかりなのだ。B級ホラーなら許せるが、C級としか言いようがない愚作ばかり。呆れるほど出来が悪い。おかげで原作までイメージダウンなのだ。

騙されたと思って一度は読んで欲しい。本当に面白いんだってばさ。
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