漫画の実写化は難しい・・・は過去の概念かもしれない。
それほど思い入れのない作品であったからかもしれないが、率直に言って楽しい時間であった。ただ、短い時間でまとめるので、漫画ほど濃密ではないし、物足りない部分も多々ある。
それでも楽しめたのは、元々のプロットが面白いからだ。最恐最悪の破壊者が最良の教師であるという殺先生(コロセンセイと読む)の存在が、漫画、実写を問わず十分に楽しめる。
私の生徒時代を振り返っても、ヒネクレ者の私がこいつは(←生意気だね)良い先生だと認めた教師は、案外と暴力的な部分を持った人が多かった。ただし、この暴力的な先生だちは、暴力と体罰の違いを体得していた。
生徒が悪いから罰する、ただそれだけであり、暴力を弱いものに振うことを楽しむ人たちではなかった。しばかれた私たち悪ガキどもには、それは云わずとも理解できた。だからこそ良い先生だと認めていた。
ちなみに殺先生は、体罰なんかまったくしない破壊者である。マッハ20で移動でき、毎朝の朝礼は、生徒たちが殺先生を倒そうと銃火器を打ちまくる騒音の中で、出席をとることから始まる。
そして、その銃弾から逃げ回り、弾切れになった時に朝礼は終わる。授業は、その銃弾の空薬きょうを掃除した後に始まる。月を破壊し、地球さえ破壊できる能力を持ちながら、決して生徒に手を挙げたりしない。それでいてクラスを完璧に把握し、落ちこぼれ生徒の吐き溜めだったそのクラスの成績さえも上げてみせる。
こりゃ、子供たちに大人気となるのも無理はない。
映画は、殺先生がCGで描写されているだけに、わりと漫画の雰囲気を残している。でも、出演している生徒たちが原作の雰囲気をよく読み、それに合わせた演技をしていることも楽しめた一因である。特に暴力教官役の鷹岡役を演じる高島(弟)がいい。一番原作に近いキャラとしての演技だったと思う。
実は先週末、確定申告疲れをとるために温泉に行き、その帰りに渋滞に巻き込まれるのが嫌で、時間潰しのつもりで観た映画なのだが、思いのほか楽しめた。それにしても、最近の映画は漫画が原作であることが非常に多い。それだけ漫画の世界に才能ある人が集まっていることであるのは分かるけど、まだまだ隠れた名作は多いぞ。
売れている漫画雑誌ばかりに集中しすぎなのが、ちょっと不満な私です。
二十歳前後の頃だが、新宿の地下街にある深夜喫茶でボーイをしていたことがある。
渋谷で夜11時までホテルの駐車場でアルバイトを終えると、すぐに山手線に飛び乗って新宿に向かう。駅を降りると、階段を幾つか上り下りして、あの複雑な地下街に赴く。当時は風営法改悪前であり、今ほどお洒落ではなく、むしろ猥雑な印象さえある地下の繁華街であった。
地下街なので地上の天候とは無縁だと言いたいが、実際はなんとなく分かる。特に雨が降っている時は、雨が降らない地下にいても不思議と分かる。なんとなくだが、空気が湿るというか、音の響きが変わるからだ。
そんな時の深夜勤務は憂鬱だ。雨宿りが目的の客が自然と増えるので、忙しくなるだけではない。雨の鬱陶しさを持ち込むような妙な客が混じるからだ。そんな時は、出来る限り客の目の届かぬところで待機して、ただ声がかかるのだけを待つ。
場所柄、ヤクザの客筋もあり、気晴らしに苛められることもある。あの時もチンピラ風の若いが品の無い連中が4人ほど現れ、席につくより先に「濡れちまったから、お手拭を持ってこい」と言い放ち、6人鰍ッの席を4人で占拠して、ふんぞり返った。
お手拭を多めに持っていくと、こちらに目も向けずに、一人ひとり勝手に「ビールだ」「水割り」「ロック」「チョコレートパフェ」「ホットケーキ」などとオーダーを取る暇もくれずに、がなり立てる。もしオーダーを間違えれば、後で因縁つけられること間違いない。
こんな時のため、店ではしっかりとオーダーを速記できるよう工夫を凝らしている。まだボーイとしては新人の私では、とてもじゃないが覚えられない。でも、衝立の裏でメモをとっているのを知っていたので、平然と対応する。でも内心ドキドキだった。
厄介な客ではあるが、金払いはいい。二時間ほどいたが、その間に追加のオーダーを含めて結構な売り上げになる。ただ精神的な圧迫感がきついので、やはり嬉しい客筋ではない。
彼らが店を出た時は、思わず安堵のため息を漏らしたほどが。そこに隙があったのだろう。いきなり声を掛けられた。はい、と思わず返事してすぐに後悔した。一番、声をかけて欲しくない客だった。
長い黒髪といえば聞こえはいいが、枝毛が多く傷んでいることが分かる。ダークな服装で落ち着いた雰囲気ではあるが、傍で見ていると挙動不審で危なっかしい。チーフに言わせると、ダウン系のお薬に手を出しているらしいとのこと。
年齢?薄暗い店内ならば20代後半で通じるかもしれないが、首筋の張りの無さや、いつもタバコを手放さない手のやつれからして、おそらくは40代から50代と思われる。
この店の常連客ではあるが、実は一番警戒されている客でもあった。大体、深夜3時過ぎにやってきて、注文するのはいつもスパゲッティ、ただし大量のタバスコ入り。明け方までに水割りを3杯ほど、時間をかけて飲み、始発電車が出る頃に店を出る。
ここは新宿であり、おそらくはホステスさん。よくある客筋ではあるが、この人が店のスタッフから警戒されていたのは、その男癖の悪さであった。ちょっと可愛いボーイだと、すぐに声をかけ、閉店後のデートに誘いだす。
それだけなら良いのだが、そのデートの際に薬を盛るらしく、誘われたボーイのほとんどが数日は無断欠勤となる。後日給料を取りに来たある青年は「もう二度とあの女にはかかわりたくないので」と云って辞めていった。
チーフの話では、その可愛いボーイ君、数日間その女の部屋に閉じ込められて、意識朦朧となりながら淫らな時間を過ごさせられたらしい。その話を聞かされた時、チーフは「ヌマンタ君なら、多分守備範囲外だから大丈夫」と云っていたので、大丈夫だろうと思っていたのだが、どうも甘かったらしい。
自慢じゃないが、あたしゃ可愛いとは無縁のがさつ者である。自分だけは大丈夫だと思ってはいたが、一応警戒はしていた。ただ、その夜はヤクザものの対応を終えて、一安心していた隙を突かれてしまった。
「ねえ、あなたお店終わったら、お暇?」と色っぽい目つきで尋ねてきた。
とっさに、今日の夕方の電車で北アルプスに登山に行きます、と嘘を付いた。すると「ふ~ん、君、山登りするんだ。たしかに似合っているね」と投げ遣りな口調で返すと、後は関心を喪ったようにそっぽを向いた。
私はほっとしたが、これで数日はこの店を休まねばならないことになった。陰で聞き耳たてていたチーフも渋い顔つきであったが、臨時の休みは認めてくれた。正直、バイト代が欲しい時だったので、この嘘による臨時の休みは痛かった。
ふと、気が付くと外の雨は止んだらしく、それを察した雨宿りの客が少しずつ、店を出て行った。もう始発電車は動いている時間だし、雨宿りの必要はなくなったのだろう。
件の女性客も、少しふらつきながら、店を出て行った。その後、何度か深夜勤務の際に見かけたが、再び私に声を掛けることはなかった。ただ、私が休んだ際に臨時で雇った青年が、その毒牙にかかったらしく、二日勤務しただけで居なくなったとチーフが嘆いていた。
表題の作品は、宮部みゆきの短編集。ちょっと怖くて不気味だけれど、安心して読める短編ばかりが収録されている。その巻頭を飾る作品が表題のもの。私は読みながら、ついつい学生時代の深夜喫茶バイトのことを思い出していた。
もし、あの時誘いに乗っていたら、私の人生はどうなったのだろう。そう思うと少し浮「。世の中、知らずにいたほうがいいことって、確実にあると思いますね。
景気が悪いのに忙しい。
それが今年の確定申告を終えてみての率直な私の感想だ。なにせ、個人事業者で前年を上回る売り上げを持ってきた方が極端に少ない。如何に昨年が厳しい年であったから数字でも立証された形となっている。
もちろん、政府の御用聞きと化している大新聞やTV局などマスコミ様が伝えるように、輸出関連を中心に大企業では好成績であることは明らかであり、今年の5月ぐらいに発表される3月決算企業の業績は良いであろうことは間違いない。
しかし、その好業績は一部にとどまっているとの思いが、今回の確定申告で一層深まった。実のところ、今回の申告は低調だろうと予測していたのだが、まさかこれほど不動産売買が多いとは思っていなかった。
この十年で一番、不動産売却の申告が多い年であった。これには正直驚いた。株式の売買が多いであろうことは、事前に予想していた。しかし、昨年はあまり不動産売却の相談はなく、むしろ平成27年から上がる相続税を見越しての相談のほうが多かった。
ところが、いざふたを開けてみたら、次々と不動産売却の申告が舞い込んできた。普通なら、ここは嬉しい悲鳴と云いたいところだが、資料をチェックしてみると大半が売却損の申告であった。これでは、あまり嬉しくない。
よくよく聞いてみると、損を承知の売却であった。要は収益を産まない土地よりも、今使えるキャッシュが欲しいらしい。少子化を迎える今後の日本では、確実に不動産余りとなることが明白である。また、高度成長期のような右肩上がりの土地の価値も夢幻であることも分かっている。
だからこそ、将来の値上がり益が期待できない土地よりも、今の暮らしを良くするための現金が欲しい。そんな本音が透けてみえる不動産の売却話であった。
もちろん、全ての売却話が損であった訳ではない。
郊外の家族向けの物件を売却して、都心駅近ワンルームのような収益性の高い物件に買い替える投資家もいた。やはり長年やっているだけに、不動産情報には詳しいし、よく研究している。
だが、大半の不動産売却はそうではなかった。数年前までは、不動産売却損を他の給与所得などと通算しての還付申告が出来た。しかし、予告なしの抜き打ち的税制改悪のせいで今は使えない。おかげで手間は食う割に、やりがいの無い申告が多くて楽しくない。
おまけに今年は同時並行で、相続事案2件、税務調査2件をやっていたので忙しいったらありゃしない。3月は、ほぼ3週連続で休みなしの出勤であった。もう、身体ボロボロである。
哀しいことに、まだ終わっていない仕事が山積みである。だから明日も出るが、日曜日は絶対に休む。とにかく休む、遅ればせながら冬眠である。え?もう春の兆しがあるって。んなこと知らん。
とにかく、あたしゃ眠るもんね。
待合室でたまたまTVを見ていて唖然とした。
これまでも徘徊する老人などを不当に拘束する施設などの映像なら見たことがあった。だが、よりにもよって幼児を拘束する託児所があるとは知らなかった。
子供がありふれた国ではない。むしろ少子化と言われているように、子供が少なくなっている国である。当然、子供は国の宝であり、未来を担う貴重な人材である。
その子供たちが、託児所で縛られて無残な姿でいるのだから、こんな愚かな話はない。
いったい政府は何をしているというのか。公認の託児所には補助金が付く一方で、厳しい制約もある。それは、それなりに意義あることだが、いささか実情から乖離し過ぎている。
前から思っていたのだが、役人に改正法案の原案を作らせるのには限界がある。役所というものは、法律に定められた制度を実施するためにこそある。いわば現状をこそ正しいとした前提の上で仕事をする人たちだ。
それは行政の在り方として間違ってはいない。だが、今ある法律は正しい、制度は正しいとの前提で動いているので、変化する社会に法制度を変えて対応しようとしない。むしろ変化している現状を、無理やり古い法制度に適合させて対応しようとする。これは役人の本能的な対応である。
そもそも役人とは行政職であり、立法を仕事としている訳ではない。それは本来、議員の仕事として制度上定められている。しかし、我が国で実際に立法が出来る議員がほとんどいない。
むしろ議員の仕事は、市井の声を政府に届けると称して、政府を非難することだと思い込んでいる。自ら立法が出来るほどの議員など、滅多にいない。国会から地方議会まで含めて、議員の数は数多に及ぶが、法律を作る、改正する仕事をしている議員なんざ、まずいない。
そのかわりに霞が関のお勉強がよく出来るエリート官僚さんたちが、法律を作って、それを議員や経団連など政治的影響力の強い団体などに根回しし、議会の個別の委員会で賛成可決させる。後は国会なんざ素通りである。
本来の仕事を放棄している議員にも問題はある。だが、それ以上に困るのは実情を知らぬエリート官僚に立法を任せきっていることだ。彼らは部下である下級官僚の報告に基づいて法律を作る。
報告を送る下級職の官僚たちは、上司が不機嫌になるようなことは知らせない。なにせ、現状の法制度が、変化している実情に合わないということは、過去に保制度を作り、また改正してきた上級官僚たちの仕事に不備があったことに他ならない。
誰が猫の首に鈴なんざ、つけられようか。
かくして、頭のいいはずのエリート官僚たちは、本当の問題が押し隠された無難な(つまり役に立たない)改正法案しか作れない。こんな間抜けなことを繰り返してきたからこそ、幼児が託児所で縛られているような惨状が生じてしまった。
託児所の運営者や、その施設の職員を非難するは容易い。しかし、問題の根幹はそこではない。未だ公的に24時間対応可能な託児制度を作れない政府にこそ、本当の責任がある。
嫌な予測ですが、これからも託児所で悲惨な事故は起こるでしょう。今のシステムでは、社会の実情に合わせた託児システムは作れない。おそらく幾多の託児所を巡る悲劇と惨劇が繰り返されぬ限り、決して抜本的な解決はなされないと私は考えています。
やはり実質的な賃金は上がっていない。
これがアベノミクスの最大の欠点だといっていい。たしかに株価は上がったし、円安誘導による輸出振興の成果も出ている。おそらく今年の3月決算は、かなりの好成績を発表する上場企業(つまり大企業)が多いと思う。
それでも庶民の暮らしは楽にならない。少なくても公務員と大企業の従業員の給与は上がっている。それなのに好景気感に乏しいのは何故か。一つには昨年の消費税の増税が大きい。
政府は法人税の減税こそしたが、個人についてはむしろ増税(復興特別所得税など)したままだ。社会保険なんざ、国会を素通りして増額されているので、庶民の乏しい財布の中身は軽くなるばかりだ。
今年のベースアップも、大企業を中心に昨年を上回るとみられるが、昇給分も天引きされる税金や社会保険に3割から4割ちかくを取られるため、実質的な賃金はたいして増えない。
実は秘策がある。今年、あるいは来年までと年数を限って前年を上回る昇給分については、所得税、住民税をかけない。社会保険の算定基礎にも含めない。そうすれば、昇給分はまるまる庶民の懐に入る。
もちろん高額所得者(給与なら年額1500万以上)は適用除外にするなどの方策は必要だろうし、あくまで給与として支給したものに限定すべきである。そうでないと、抜け穴を考え出す連中が出る。
幸い、まだ今年の予算案は国会を通過していない。多少遅れてでも実施する価値はあると思う。ただ、財務省と厚生労働省が大反対するだろう。だから実現の可能性は薄いことは分かる。
断言するが、アベノミクスは限定的に過ぎる。確かに効果は出ているが、それが局所的なために日本全国に行き届かない。改憲などと云っている場合ではないと思いますがね。