こんな人たちが増えると、困ることになると思った。
週末の夜、映画館でのことだ。観たい映画の入場開始を待って、ロビーでポップコーンを食べていると、騒がしい声がする。なにかと思えば、5人ほどの20代と思える若者たちである。
なにやら苛立っているようである。ちょっと耳、ダンボにして聴いてみる。(暇だったしね)
「信じられねえ、吹き替え版は昼間だけだってよ」と若い男性が喚く
「え~~、字幕版じゃダメなの~」女の子、ごねる
「だ、か、ら、オレ、字幕なんてダメ!、速過ぎて読めねえよ」と若い男性、両手フリフリ、言訳している。
どうやら「美女と野獣」を観にきたようだが、吹き替え版が昼間で終わり、夜は字幕版しかないようだ。吹き替え版は子連れの家族向けだから、夜に上映することはないらしい。
字幕がダメなので、日本の映画にしようと件の若い男性が、女性たちを説得しているっぽい。ただ、女性陣は「美女と野獣」が観たいようで、字幕を読めないと主張する男性に呆れ気味。
女の子同士で「A君、授業出てないか、寝てばっかりだったしね」などと云われ、ますます猛る件の若い男性。
「だってよぅ、授業なんてマジ退屈じゃん」
周囲の人たちも、少々呆れ気味である。私も苦笑を隠すため、下向いて誤魔化す。絡まれるのも厭だしね。
私の観たい映画の入場が開始されたので、その場を立ち去る。しかし、まァ、冷静に考えると怖い話だ。おそらく既に社会人であろうと思われる若者が、字幕が読めないとは、どれほど国語力低いのだろう。
近年、若者の学力低下が危惧されるようになって久しいが、これほど滑稽な実例を見たのは初めてだ。もちろん、普通の国語力を持つ若者もいる。だが、その下というか、低学力のままで社会に出てしまった若者の比率が増えているようなのだ。
実は他にも似たような事例はある。私が毎月のように行く群馬県の太田市周辺では、日系ブラジル人やシナ人、フィリピン人の親を持つ子供が多いことで知られている。
そこでの大きな問題の一つが、日本語の読み書きが出来ない親子の存在である。実のところ、当地では日本語の読み書きがダメでも、多少話せれば、ある程度生活が可能となっている。
だが、これを放置すると、ゴミ処理、騒音など様々な問題が生じてしまう。そこであのあたりでは、放課後、あるいは休日を利用してのボランティアによる日本語教室が開催されている。
話すだけでもコミュニケーションは可能だが、やはり読み書きが出来ないと誤解や勘違いが生じやすい。役所、学校だけでなく、地元の自治会なども協力しているらしい。たいへんな労苦らしいが、それをやらないと、治安問題にまで発展することもあるようなのだ。
これは一部の地域だけの問題ではない。出生率の低下した日本では、少子化の問題はまったなしだ。空き家が増える一方で、外国人家庭も増えている。少子化の進む日本人家庭と異なり、外国人家庭は子供が多いことで知られている。もっとも、すべての日本人家庭が子供を持たない、あるいは一人っ子という訳ではない。
多少、偏見混じりだとは思うが、いわゆるヤンキー層というか、やんちゃな青年たちは早熟で多産である。十代後半で複数の子持ちの若夫婦は少なくない。でも、問題は多い。正直、低学歴の夫婦が多く、教育熱心な家庭は少数派で、下手すると育児放棄さえある。
いくら子供が多くても、教育を十分受けていなければ、冒頭の青年たちのように字幕が読めない低学力の大人になってしまう。この若者たちが21世紀の日本を背負うと云われると、少々背筋が寒くなるではないか。
ちなみに外国人家庭も、比較的子供の多いことが多く、当然にこの子供たちの教育もまた、重要な課題である。国際化とかグローバル化なんて言うは容易いが、実際にはたいへん難しい問題を孕んでいることは覚悟しておいた方がいいと思います。
毎回、思うのだけど、アメ車って頑丈だ。
デカい、力強い、そしてタフ、それがアメ車だ。アメリカの男性が思い描く理想の男性像そのものではないかと思う。アメリカの女性がどう思っているのかは知らないが、この映画、既にシリーズ化して8作目なのだが、毎回大ヒットをかましているところからすると、やはり同じなのではないかと思う。
今回は、悪役も女性であり、これまた狡くて賢くて、スマートだ。これもまた、アメリカ人の思う強い女性像の一つなのだろう。もちろん、ヒロイン役の女性だって強いし、逞しいし、しなやかだ。案外と、男どもよりも強く思えることもある。
だが、この映画の見せ場は、デカくて速くて、タフな車のカーアクションだ。毎回、感心するほどに、車は派手に転び、吹っ飛び、ぶっ潰れる。前作では空を飛んでいたが、今回は原子力潜水艦とのバトルである。
もう、呆れてしまって笑うしかないではないか。
余計な理屈は置いといて、この手の映画は単純に楽しむに限る。飽きない二時間半を提供してくれること請け合いですぜ。
一歩間違えれば犯罪者だった。
5月の青空は、眩しいほどに蒼く、とてもじゃないが家にこもる気にはなれない。いや、青空とは無関係に、無性に身体を動かしたかった。じっとしていると、心がざわめいて気が狂いそうだったからだ。
23で難病にやられ、既に三年目。長期入院は終えていたが、自宅療養に切り替わっただけ。治る見通しはなく、ただ薬を大量に服薬して、眠るだけの毎日は、気が狂うほどに退屈であった。
それに昨日の電話が心をかき乱した。十代の頃の友人の結婚報告であった。もう4年以上、連絡とっていなかったのに突然かかってきた電話であった。多分、舞い上がっていたのだろう。それは嬉しそうな声であった。正直、結婚の報よりも、係長に昇進した話のほうが心に堪えた。
私は当時、平静を装うことを心がけていた。内心の激情なんて、絶対人に知られたくなかった。だから月並みなお祝いの言葉と、式典への出席を約して、さりげなく電話をきった。
明日も、明後日も私は生きていることは分かっていた。でも5年後は?と問われれば、肩をすくめるしかない現状で他人の幸せは、時として心を引き裂く。まだ二十代前半で、世の中から置き去りにされる孤立感と焦燥感は、確実に私の心を病ませた。
床に就き、暗闇を見詰めながら「狂ってしまえば、楽になれるかな・・・」などと独白してみる。分かっている、狂ってしまうには、私は冷静に過ぎる。激情を表に出すのを極端に抑制する性分が、今にして恨めしい。
基本、楽天家の私は一晩寝てしまえば、昨日の気分を引きずることはないのだが、今回はダメだった。こんな時は、身体を動かすに限る。本当は安静を守るのがイイのだが、心が耐えられない。
幸いにして日差しが眩しいほどの晴天であった。自転車を漕ぎ出し、多摩川まで走り、川沿いのサイクリングロードを走らせる。風は微風であり、絶好の自転車日和であった。
府中近くまで走り、コンビニでお弁当を買い、川原で昼食をとる。昨日までの鬱屈が、汗とともに流れ出たような気持ちである。やはり、基本私は脳みそ筋肉系なのかもしれない。
ただ、体力の衰えは如何ともし難く、満腹感と共に急速に眠気に襲われる。人目につかなそうな茂みをみつけ、そこに銀マットを広げ、お日様の下でのお昼寝である。
多分、小一時間は眠ったと思うが、足音が地面から伝わり、ぼんやりと目を覚ます。足音のほうへ首をひねると、ショートパンツとTシャツ姿の若い女性が十メートル先で、私に背を向けて座り込んでいる。
いや、坐っているのではなく、草むらで小用を足しているようなのだ。あの水音は間違いない。多分、私のことを見過ごしていたのだろう。
さすがにビックリして目が覚めた。が、困った。私は人並みにスケベだし、同世代の若い女性に興味がないなんて、口が裂けてもいえない。しかし、スケベはスケベでも正統派だと思っている。
いわゆるスカトロ趣味は皆無である。草むらの丈がけっこうあるので、上半身は見えないが、下半身は丸見えである。まさか、大きい方はないよなァと、一応悩んでみる。
この時点で邪な考えがなかったとは言えない。首をひねって注視していたのは確かだしね。ただ、ここで初めて自分が痴漢行為をしていることに気が付いた。こりゃ拙い。どう言訳しても、バレたら警察行きだよなァ。
寝っころがって悩んでみたが、なんだか面倒臭くなって、再びまぶたを閉じて寝ることにした。20代の若者としては、いささか情けない気もするが、疲労感と睡眠欲の方が重要だった。
次に目が覚めた時は、既に日が傾いており、周囲には人気はなかった。件の現場を確認する気もなく、自転車を置いた場所に戻り、夕暮れ時の川原をひたすら走り、夜には帰宅した。実家で夕食を食べ、家に戻り入浴すると凄まじい疲労感で、そのまま熟睡してしまった。
翌朝、起きた時も、まだ疲労感は残っていたが、精神的には快適であった。なまっ白いお尻を見ただけなのだが、こんな他愛無いことで、気分が変るのだから、我ながら呆れるほどにおバカである。
いや、バカだからこそ、あんな苦しみのなかでも生きていられたのだろう。もう少し賢かったら、あるいは誇り高かったら、きっと自殺でもしていたかもしれない。
最近は忙しくて、多摩川沿いのサイクリングもご無沙汰だが、いつか暇があったら再び走ってみたいものだ。
戦火は近いかもしれない。
何度か書いているが、北朝鮮が戦争を仕鰍ッる可能性は低い。この国はシナかロシアの兵站支援がないと戦争をすることが出来ない。ミサイル発射実験は、北朝鮮にとって精一杯の虚勢である。
一方、その北朝鮮を敵視して止まないアメリカであるが、これまた半島へ地上軍を派遣する可能性は極めて低い。せいぜい、トマホークミサイルを撃つ程度であろう。その程度の攻撃で、この国の対外攻撃システムは崩壊する。征服は難しいが、攻撃的な軍事施設だけを破壊するのは意外に容易い。
アメリカが覇権国たる所以は、他国に比して桁外れに正確な攻撃が出来るからだ。単純に核ミサイルの数とか、戦闘機の数だけなら、ロシア、シナも相当なものだ。しかし、アメリカほど正確には攻撃できない。
少しうろ覚えだが、第二次世界大戦時におけるアメリカの攻撃、特に爆撃機による目標破壊率は0,4~0,7%程度である。何百万トンの爆弾を降らせても、目標の破壊は非常に難しい。だからこその大量爆撃であったのが実情だ。
これが朝鮮戦争、ベトナム戦争になると、もう少し精度は上がるが、それでも目標破壊率は2%を超える事は稀であった。この数字を飛躍的に上げたのが湾岸戦争とその後のイラク戦争である。
この段階に至り、ようやく1割を超えるどころか20%近い目標破壊率を達成できている。お気づきの方もいるだろうが、その原因はIT技術の発達による情報収集力と、情報分析力の飛躍的進展にある。
衛星軌道上からのスパイ衛星は今も健在だが、やはり映像解析にも限度がある。その状況を一変させたのが、無人偵察機である。20世紀後半から、今日に至るまでの期間、もっとも技術的に進展したのが、実はこの無人偵察兵器である。
IT技術、ステルス技術、高性能なバッテリー、GPS機能などを複合的に備えたこの無人偵察機は、ハイテク技術の塊であり、また攻撃を受けて失っても、人的な損失がない。これは民主主義国家にとって、非常に大きな要素である。
マスコミの報道などで、病院や学校などを誤爆したとの報道があるので、意外に思われるかもしれない。しかし、誤爆がニュースになるほどの正確な攻撃であるのも事実である。
この精密な長距離攻撃を浮黷ト、アルカイーダやISSはわざわざ民間施設に紛れて、隠れているのが実態である。太平洋戦争時なんざ、爆撃による民間施設破壊なんて、わざわざ問題視することもない当たり前の現実であったことを思い出して欲しい。
このような地球規模での精密長距離攻撃を可能なのは、現時点ではアメリカだけである。北朝鮮はそれが分かっているからこそ、アメリカ本土に届く、届くぞとミサイル実験を繰り返して、アメリカを威嚇する。
でも、北朝鮮の本音は、21世紀最強のアメリカに自国の体制保証をして欲しいからに他ならない。しかも、叶うならば対等の立場で!
私見だが、これは正しい方向性だと思う。北朝鮮は極めて孤独な国だ。同じ民族であるはずの南コリアとは休戦中に過ぎないし、断じて膝を屈する訳にはいかない。
建国のスャ塔Tーであったロシアとは事実上縁切りをしての独立であり、血を分けた同胞と称せられる漢民族の共産シナこそ、長年朝鮮半島に野心を抱く潜在的敵国に他ならない。
当然にかつての支配者である日本は敵に他ならず、妥協はあり得ない。世界中でこれほど周囲を敵に囲まれた国は稀だと思う。しかも、イスラエルと異なり、世界各地に支援してくれる同胞は少ない。
だからこそ、武力に拘る。これは当然にして必然の結論である。
だが、ここにきて、いささか拙いことをやらかした。よりにもよって、共産シナが国家の総力を挙げてのイベントの初日に、弾道ミサイル発射実験をしてしまたのだ。
中国が主導してアジア、中東、欧州にまたがる経済圏の構築を目指す「シルクロード経済圏構想(一帯一路)」の初の国際会議が14日、北京で始まった。これは国家の面子を賭けた一大事業である。その初日だけに、衝撃は大きかった。
シナ人はなによりも面子を大事にする。その面子を丸潰しにしたのである。北京の習政権は怒り心頭であろうと思われる。既に根回しを始めているようで、真っ先に北朝鮮と国境を接するロシアは、このミサイル実験を非難している。
正直、シナの軍隊が北へ侵攻する可能性はないと断言できない状況にある。ただ、直接的な侵攻よりも、北の軍部が呼応しての裏切りというか、金王朝打破のクーデターの可能性のほうが高いようにも思う。
ただし、あの刈り上げデブ君は、それを予見していたのか、既に北の政権内部の主な親シナ派を粛清しているので、事態はますます不明瞭になっている。いずれにせよ、しばらくは目を離せない状況にあるように思えてなりません。
長時間労働は良くない。
そんな事は分かっている。良くないからといって、やらない訳にもいかないのが実情だ。なにせ、グローバリズムに歩調を合わせて以来、日本経済はコストダウンと人件費抑制が至上の課題となって久しい。
マスコミはあまり報道したがらないが、所得格差の広がりはグローバリズムがもたらした成果である。グローバリズムは大企業や資産家を潤す一方で、中産階級を没落させる。自由競争の名のもとに、大資本による零細潰しが横行する。
地方都市の駅前通りの惨状が、それを証明している。大店法による規制があった頃は、小さな店舗でもやっていけた。しかし、自由競争と規制緩和をぶち上げたグローバリズムは、小さな店舗から売り上げを奪い、潰していった。
裏通りの町工場は、その仕事をより安い人件費の国の同業者に仕事を奪われ、潰れた工場の跡地にはマンションが建てられた。かつて日本の中小企業を育ててきた銀行は、手のひら返して中小企業を潰していった。
このことは、中小企業、零細事業者をメインの顧客としてきた、私のような小さな事務所の売上に甚大な影響を及ぼした。事務所を維持するために、従来断わっていた手間のかかる仕事もやらざるを得ない。
結果、どうしても労働時間は長くなる。大手が手を出さない採算性の低い仕事が増えた以上、致し方ない。いくら政府が法令で長時間労働を規制しようと、背に腹は代えられないのが実情だ。
今回の背景にあるのは、広告代理店業界の帝国といっていい電通の過労死事件である。二十代の若さの娘さんを失ったお家族の辛さが深刻であることは分かる。
だが、本当に長時間労働だけの問題なのだろうか。これは電通に限らないが、景気のいい会社では、業務命令があろうとなかろうと、長時間仕事をしたがる傾向が強い。嫌々働いているのではなく、喜び勇んで会社に居ついている労働者が少なくない。
これは私自身にも身に覚えがあることなので、実感として良く分かる。いくら長時間労働はダメだとしても、働きたがる者には通用しない理屈である。
ただ、心身のストレスが過度になっている場合は別だ。これは実のところ、本人が一番分かりづらい。だからこそ、上司による適切な管理が必要となる。件の電通の女性社員も、周囲が彼女の体調などをもう少し配慮していれば避ければ事故であったかもしれない。
私自身、かなり労働時間は長いほうだが、もとより怠け癖がある上、自身がトップなので、自己管理は可能である。病歴が長いので、このあたりの自己管理には日頃から注意している。
むしろスタッフが無理してないかの配慮のほうが難しい。それなりにベテランなので、プライドが高く、迂闊に休めといっても聞いてくれない。プロ意識が優先されて、無理していることも多々ある。これは、経営者としてマズイと思っている。
でも、労働時間を規制して片付く問題ではないのも確かだ。私は代休を必ず与えることで、対応しているけど、それで十分なのかは迷うところだ。
今回の労働時間の規制程度では、まず解決しないと思います。私自身がたしかな解決法をもっている訳でもないだけに、忸怩たる思いはあるのですがね。