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ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

月の武将 黒田官兵衛 上田秀人

2022-11-22 11:23:04 | 

人は変る。

年齢により、あるいは地位により人は変る。新しい家族の誕生や欠くべからざる家族の喪失でも人は変る。そして変わることで良くなる人生もあれば、悪くなる人生もある。多くの場合、人はそれに気づかない。

そんな典型例が、下働きの下っ端から出世して天下人にまで栄達した豊臣秀吉ではないかと思う。

秀吉(木下藤吉郎)の魅力は人懐こさと、多彩な才能と努力、そして人たらしと呼ばれた人心掌握術であろう。もちろん失敗は幾度もしている。せっかく仕えた主君には気に入れられても、古参の部下から妬まれて追われたこともある。

下剋上が当然であった戦国時代であっても、古くからのしがらみは根強く残っていた。しかし、藤吉郎は織田信長という異才に出会って、ここで初めて自分の才能を活かせる場所を得た。

藤吉郎は幾多の職業経験から得た多才さと勤勉さにより出世したが、己の限界も弁えていた。武士としては弱すぎ、文官としては教養に欠ける。だから自分にはない才能を持つものを集めて、利用して更に飛躍して木下を名乗り、やがては柴田勝家と丹羽長秀から一字づつ貰って羽柴秀吉を名乗るに至る。

多才な部下に恵まれて出世した秀吉は、部下を失うことを厭う。だから野戦よりも攻城戦を好んだ。力づくで攻めるよりも知恵を絞って城を落とすほうが、部下の喪失を減らせると考えていたのだろう。

そんな秀吉の努力を認めた信長から西日本最大の大名である毛利攻略を担っていた最中に飛び込んできた訃報。光秀の裏切りと本能寺における主君・信長の死に呆然とする秀吉。

しかし配下の軍師である黒田官兵衛から「天下取りの好機であるますぞ」と進言され、動揺しながらも一晩で決心しての西国大返しを決行し山崎の戦いで明智光秀を破り、一躍信長の後継者足り得ることを天下に知らしめた。

おそらくだが、この頃から秀吉は変った。

そのことを誰よりも身近に感じていたのが軍師・黒田官兵衛ではないか。古参の蜂須賀小六や官兵衛らはゆるやかに遠ざけられ、替わって石田三成や大谷行部らが用いられるようになる。大事な補佐役であったはずの弟さえも徐々に離されていった。

それを冷静に観ながら、徐々に自身の先行きを模索し悩む軍師・官兵衛を取り上げたのが表題の書である。

江戸時代には、黒田官兵衛は主君信長の死を契機に秀吉を煽動した腹黒な人物として評されることが多かったという。関ヶ原の勝利後、家康から直々に賞された息子・長政に対し「お前はその時、なぜ家康を弑さなかった」と叱責したとの寓話もある。

官兵衛は生涯、一度も主君を裏切ったことはない。秀吉の死後は豊臣家ではなく徳川に近づき好待遇を得たが、これでさえ石田三成らに厭われた結果であり、当の官兵衛は秀吉に対する忠誠心はあっても、その幼子や淀君に対してはそもそも忠誠心はなかったはずだ。

来るべき新たな戦国覇者を決める未来に向け、可能性の高い家康側に付いたのが実態であろう。他にも秀吉古参の部下たちの多くが、家康側に付いているので、これをもって官兵衛を腹黒だと決めつけるのは如何なものかと思う。

黒田官兵衛の物語は普通、西国大返しと山崎の戦いでの勝利を頂点とすることが多い。しかし、この書ではその後の官兵衛と秀吉の関係を丁寧に描いているのが好ましい。秀吉の変貌とその理由、官兵衛の迷いと模索は十分堪能できました。

ただ一点気に障ったのは、官兵衛が側室を持ち、その子が熊太郎だと書いていることだ。官兵衛はあの時代には珍しく側室を持たなかったことで知られ、賢妻として知られる光(みつ もしくは てる)とのオシドリ夫婦であったはず。気鋭の歴史小説家である著者は、いかなる根拠をもって側室を持ったとしたのかが不明なのが難点でした。

なお本作の前編にあたる「日輪にあらず 軍師・黒田官兵衛」もお薦めですよ。

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カタールW杯、開幕

2022-11-21 14:18:01 | スポーツ

いよいよ開幕したカタールW杯。

我が日本代表は初戦のドイツ戦に向けて準備中であろう。正直応援はしているが、引き分ければ上等だと思っている。

日本サッカーは強くなった。今や海外のチームで活躍する選手だけで二チーム作れるほどに層が厚くなっている。しかし、活躍するチームの大半は欧州の二部リーグのチームであり、各国のトップチームでレギュラーを張れる選手は少ない。

それでもサッカー強国に一泡吹かせるぐらいの可能性は秘めたチームだと考えているし、期待もしている。

その日本代表チーム最大の弱点は監督を始めとしたコーチ陣であり、世界相手の経験値の乏しい日本サッカー協会であり、低レベルの報道しか出来ないメディアである。

もっとも、この問題の解決には時間がかかる。決して無為無策ではなく、例え負けても経験は積めるはずとの思いで決定した日本人コーチ陣である。このような体制で挑む以上、過剰な期待は禁物なのは当然であろう。

私は試合の勝ち負けを一人の選手に負わせることには、あまり賛同できない。でも、今回のチームの勝敗の肝は、トップ下の選手であろうと考えている。そのトップ下を任されると思われるのが、現在フランスリーグ・アンのモナコで活躍する南野拓実だ。

はっきり言います。これはギャンブルです。

南野選手が日本代表で活躍したのは2019年がピークでした。この当時の彼は切れ切れのドリブルと、決定機に得点する日本代表のエース格でした。私もその将来に大いに期待をかけた選手でした。

しかし、その後は低調に終始しました。厄介なことに時々、輝くような華麗なプレーでチームを助ける。でも肝心な時に、フカすは外すは揉めるはと問題だらけ。私は当落線上の選手だと予想していたくらいです。

ところが森保監督は、その南野を攻撃の核に据えたいようです。大迫や原口を落選させてまでして選んだ攻撃の中心選手として、南野を選んだのです。これを意気に感じて覚醒するのか、それとも決定機で外しまくるオオボケで終わるのか。

巧さだけなら堂安や久保がいますが、南野にはもう一つ特徴があります。それは、現在の日本代表では断トツの喧嘩番長であること。とにかく気が強い。痩身の甘いマスクに騙されると、喧嘩っ速い気性が見抜けません。

ひょっとしたら一発レッドで即退場の可能性もありますが、その気の強さからチームを牽引する可能性もある。まさにギャンブルです。

先日のカナダ戦では、いるんだか、いないのだか分からない平凡なプレーに終始していました。多分、これは怪我を恐れてか、あるいは本性がばれるのを恐れてかの演技でしょう。

初戦のドイツ戦、果たしてトップ下南野がどう機能するのか。早く観たいような、観るのが怖いような不思議な気持ちですね。

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鯉の悩み

2022-11-18 11:04:25 | 健康・病気・薬・食事

今年三回目の入院は、ある意味後始末でもあった。

今年初めに心室細動により入院したが、これは心臓の心拍異常である。この原因は心臓内部に壊死した箇所があり、そのために心臓の脈動がブレてしまった。

これは再発率が高いため、二回目の入院ではICDという機械を体内に埋め込んで、心室細動を人工知能が判断して対処させることで突然死を防ぐ方法をとったわけだ。

ただ、これでは心臓内の壊死した箇所が残ってしまうので、今回の入院ではカテーテル手術でその壊死した箇所を焼き切ることにしたそうだ。

本当は6月に予定していたのだが、血液中の鉄分が少なすぎて出血が止まらなくなる可能性があったので、6月は入院手術は中止となっている。なので、今回は二度目のチャレンジである。

しかし、入院直前の血液検査でまたも問題が発覚した。主治医曰く「白血球と血小板の値が低すぎる」と。これもまた出血が止まらなくなる原因であり、感染症リスクを高める原因ともなる。

長い病歴を誇る私からすると別に珍しいことではない。20代の頃は外出を禁じられるほどに免疫力が低かったが、その判断基準が白血球と血小板であった。

でもまだ若い主治医からすると、医師として当然問題視すべき重要なことだと力説する。

厄介だ。なにが厄介かといえば、私が30年以上前お世話になったN医師は、一応名誉教授として名を残しているが、現在は実務に携わっていない。もうカルテも残っていないのだが、今の主治医にとっては殿上人にも等しい格上の方だ。無視は出来ないが、比較されるのは本能的に嫌らしい。

私がそのことに気が付いたのは、前回の退院時のカンファレンスの時だ。循環器科の教授はあまり気にしていないようだが、まだ中堅どころの私の主治医はけっこう気にしていた。

ここで変に意地を張られての手術の中止は避けたい。多少余裕がある今のうちに済ませておきたいのだ。だから私は慎重に、かつN教授の話は出さずに、やんわりと多少のリスクは覚悟の上なので、手術をお願いしたいと話した。

これ以上、手術を延ばされて繁忙期に食い込むことのほうが、私にとってはリスクが高いと思ったからだ。結局、血液内科の医師の意見を訊くことが妥協案として持ち出され、主治医とは微妙な緊張関係のまま入院続行となった。

幸いなことに、派遣された血液内科の医師とは円滑に問診を終えたせいか、好意的な意見が主治医の元にもたらされたようで手術決行が決まった。私としては、もうまな板の上の鯉である。

つまりどうにでもなれ、が私の本音だ。手術が失敗して死ぬのならば、それが私の終着駅だ。やらずに終えるよりも、やって結果を出したほうが後々後悔せずに済む。

手術はけっこう長丁場で、13時に手術室に入り、私が病室に戻ったのは18時過ぎだった。主治医が病室に顔を見せたが、安堵感よりも緊張感が高そうな顔つきであったと思う。もう手術は終わっているんだけどね。

だが、翌日は一転して笑顔で病室にやってきて、手術は順調であったと説明してくれた。ある意味、私の予想通りであった。

元々、この手術は主治医から積極的に推し進められた。医師にとって技術レベルの高い手術の実績は、なによりも重要な目標の一つだ。2月にICUに入れられた段階で既に複数の医師から、この手術をしたいと私の下に話が持ちかけられたほどだ。そして、その機会を入手したのが、今の私の主治医である。

ただし、絶対に失敗はしたくないとも痛切に思っていたはずだ。慎重なのは、その顕れだと私は憶測していた。自分でいうのも何だが、私はこの大学病院に30年以上通っていた。多少の裏事情は知っている。

大組織の中における医師の出世競争の厳しさは、断片的ではあるが患者であった私らにも伝わってくる。30年前、N医師は当時、第一内科の講師であり、組織内ではナンバー3の立場にあった。私の症例は珍しいものであったからこそ、N医師が担当となったはずだ。

幾度か治験にも協力したが、4回目の治験では悪い結果が出てしまった。もともと実験的な意味合いがあることは承知していたので、私は気にしなかった。でもN医師は相当に気を病んだらしい。以降、治験には参加させてもらえなくなった。もっともリスクの少ない微妙な治療の繰り返しとなり、最後は精神論になってしまったほどだ。

幸い私は成功例として医学雑誌に掲載されたと聞いている。そのせいだと思うが、私はかなりN医師から好待遇を受けていた。実際、医学部教授の名前の威力は相当であり、私は他の科を受診する際もN医師の一言で優先的に診てもらえたほどだ。

だから今回の手術に挑んだ主治医のストレスが相当なものであったと想像できた。おそらく手術後の循環器科の検討会などで好意的な評価を貰えたのが、笑顔の理由だと思う。

医療とは誰の為のものなのかという疑問がない訳ではない。しかし、このようなストレスの積み重ねが技量の高い医療を作り上げる一つの土台だと私は認識しているので、個人的には問題はない。

しかし、まな板の上の鯉としては、さばかれた後の評価までは気にしてはいられませんね。無事退院できただけで、あたしゃ満足ですよ。ね、K先生。

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税収アップでも増税

2022-11-17 11:00:51 | 経済・金融・税制

2022年(令和4年)の税収が当初見通しを三兆円近く上回り、68兆3500億円に達すると報じられた。

にもかかわらず国民年金の徴収期間延長や、値上がりする一方の厚生年金や健康保険料。そして消費税の更なる増税の噂と、庶民の心情を逆なでする話ばかりが報じられる。

挙句に走れば走るほど納税額が増える自動車走行税なんて話もある。ところが政府の税収は空前の増収なのだから、マスコミのみならず大衆が怒るのも無理ないと思う。

だが霞が関界隈では、増税は当然との思いが強い。なぜなら官庁が使える予算は増えていないからだ。たしかに歳入は増えているが、国債の発行残高も戦後最高額であり、既に国債の償還も始まっている。

現在、国債の償還(国の借金返済)は税収の2割弱である。手取り30万のサラリーマンが毎月6万円のローンを返済しているようなものだ。払えない数字ではないが、自由に使えるお小遣いが制約を受けるのは間違いない。でも、その程度の家庭なら結構あると思う。で、なんで増税?

しかし政府とりわけ財務官僚の見方は違う。既に日本国は債務超過にあり、債務の削減に本気で取り組まなければならないとマスコミを通じて、国民に広く訴えかけている。

日頃、反日発言を繰り返すマスコミも、この点に関しては財務省に極めて協力的である。厭らしいのは全くの嘘ではないが、視方によっては歪んだ視点だとも云えることだ。

債務超過とは、資産よりも負債が多い状態、すなわち自己資本がマイナスの状況を意味する。財務省が提示する日本国家の財政状態は、たしかに債務超過である。現時点で日本のGDPの2倍の負債があるのだから当然だろう。これはウソではない。

でも会計学の基礎が分かっていれば、疑問が生じるのは必然である。端的に言えば資産の評価がどうなっているのか、それにより財政状態は変わってくる。私が知る範囲では、資産の評価は取得時簿価である。つまり時価ではない。また収益還元方式による評価もしていない。

日本政府が膨大な海外金融資産を有しており、その利子配当収入により外貨準備高は常に世界トップレベルである。その金融資産を時価評価せずに債務超過だと云われても納得できない。

正直、私は財務省による情報操作の一環が、債務超過論だと思っている。そもそも日本の借金である国債の保有者は、日銀や政府系金融機関、民間の銀行、保険会社であり、日本人一個人が有する国債は微々たるものだ。

日銀や政府系金融機関が、日本政府に対して国債の早期返還などを求めない限り、財政破綻はあり得ない。また銀行や保険会社が日本政府の逆鱗に触れるようなことは、絶対にやらないし、出来る訳もない。その意味で国債の償還問題は、まだまだ危機的には程遠い。

では、なぜに財務省は財政危機を訴えるのか。その本音は予算の制約にある。

歳出(日本政府の支出)のうち国債の償還の割合は、現状2割弱である。そして、この割合は今後増える一方だ。つまり官庁が使える予算が年々低減していくのは明白である。だからこそ、新たな財源となる税収が欲しい。

官僚にとって予算は命綱である。予算を握っているからこそ絶大な権限が振るえる。予算を天下り先に配布できるからこそ、退官後に退職金の甘い汁が何度も吸える。その予算が減ることは、なにがなんでも避けたい。これが本音だと私は邪推しています。

ただし、ここまで書いて於いてなんだが、予算の削減は官庁だけでなく、民間とりわけ公共事業部門に多大な被害をもたらします。実際、民主党政権時代に財務省は公共投資を大幅に減らして、国民から大反発を受けました。予算の削減は正しい方向性ですが、やり方を間違えると不況を呼び込むのも確かなのです。

だから税収を確保しつつ、国債の償還と公共投資のバランスを取る必要がある。私は財務省はよくやっていると思っていますが、まだまだ覚悟が足りないとも思っています。

財務省に限らず官庁及び公共団体が、自ら身を削ってのリストラを同時並行でやらない限り、日本の財政問題は解決しないと確信しています。機会がありましたら霞が関の官庁街を実際に見てみるべきでしょう。

お暇そうにしているお役人様、けっこう散見しますよ。日本政府が自ら率先してリストラをやらない限り、財政再建は至難の道でしょうね。まずは国会議員の削減をして、立法府が範を見せるべきでしょう。10増10減ではダメです。

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現代の空中戦

2022-11-16 15:01:54 | 社会・政治・一般

周囲を海に囲まれた日本にとって、国防は広大な海域と空域を守ることである。

なかでも防空は戦闘機が主役であることは太平洋戦争の頃から変りはない。しかし、その中身は劇的に変貌している。まず戦場においては陸地であろうと、空域であろうと情報が死線を制する。

かつてナポレオン戦争の頃、イギリスのウェリントン公は「あの丘の向こうの仏軍の布陣が分るのなら、全財産を差し出しても良い」と言ったとされる。戦場における情報の重要性は今も昔も変りはない。

今日では地上からのレーダーによる索敵のほか、空中警戒機と呼ばれる空飛ぶレーダー基地が重要な役割を果たしている。米国に次ぐ航空戦力を有するはずのロシア軍が、ウクライナの制空権を握れないのは、ポーランドの領空を飛ぶアメリカ軍の空中警戒機により情報が筒抜けだからだとされている。

もちろん日本の空軍もアメリカに次ぐ空中警戒機を保有して太平洋、日本海、東シナ海を網羅している。シナの空軍も空中警戒機を保有しているのだが、如何せんアメリカほど優れたレーダー探知機を持っていない。ちなみに日本空軍はアメリカ製の空中警戒機を保有しているから、シナはそれ警戒してうかつに戦闘機を出したりはしない。

制空権を勝ち取るには、優れた探知能力とそれに即応できる戦闘機が重要となる。そして現在の制空権を握る戦いは長距離戦である。ここが太平洋戦争時とは大きく異なる。

太平洋戦争前半において日本軍が制空権を有利にとれたのは、長大な航続距離を誇るゼロ戦という戦闘機をもっていたからだ。またこのゼロ戦は軽くて操縦性が良い点を活かした格闘戦に強かった。

第二次大戦中、最も優れた戦闘機であったアメリカのムスタングでさえゼロ戦との格闘戦は分が悪く、もっぱら上空からの高速急襲による一撃離脱戦法に終始している。

もっとも空中での格闘戦は、アメリカでもドイツでもパイロットの憧れであり、朝鮮戦争やヴェトナム戦争でも上空で東西陣営のパイロットたちが格闘戦を繰り広げた。

しかし現代の制空権を握る戦いは、もっぱらミサイル攻撃主体の長距離戦闘が主役である。このことをシナが痛感したのは、2015年に行われたシナ空軍とタイ空軍との合同演習であった。

シナ空軍は当時、空中格闘戦なら世界一ではと噂されたロシアのスホーイ27の無断ライセンス生産機であるJ11を自信満々で連れてきた。一方タイ空軍はスウェーデンの戦闘機グリペンを輸入して主力戦闘機としていた。

この両者による演習は10日近くに及んだが、その結果は驚くべきものであった。結論から言うと近距離での格闘技戦ならばJ11が優位であった。しかし、中距離から遠距離での戦いとなるとグリペンが圧勝となった。

その肝は電子戦能力の差であった。優れたレーダーを持つグリペンは、J11が気が付かぬ間に位置を捕捉してミサイル攻撃で圧勝してしまった。いうなれば狙撃用ライフルを持つ兵士と、接近戦用の重火器を持つ兵士の戦いであった。欧米も怖れるほど空中での格闘戦能力が高いとされたスホーイ27のコピー機であるJ11は、たしかに近距離戦ならば強かった。

しかし、高度なレーダーによる索敵能力と、それに見合ったミサイル攻撃の前には無力であることが分かってしまった。シナは率直にこの結果を認め、改めて電子走査能力の向上を課題とし、数兆ドルの予算を覚悟したとされている。

現在、日本空軍の主力戦闘機となる予定のライトニングⅡと称されるF35Aは、そのずんぐりとした格好からも分るように格闘戦は苦手である。しかし、優れた電子機器を搭載し、情報ネットワークを構築して戦闘を有利に進められる。

まだ実戦経験がないF35だが、アメリカは一旦引退を決めたはずのF15を改造してミサイル搭載数を大幅に増やしたF15EXと組んで制空権を制覇するつもりなのだろう。すなわちステルス機であり、飛行する情報統合機能を持つ司令機としてF35を中核に据えて、F15EXをミサイル発射機として運用するのだと思う。

日本にはF35はあれども、F15EXの導入予定はない。既存のF15を改良するのか?それとも国産予定のF3を転用するのか?

日本の平和を維持するためには、制空権の保持が絶対必要となる。莫大な維持経費がかかるF35がその中心戦力だが、補助戦力をどうするのか。防衛省が如何に考えているのか、そろそろ方向性を示して欲しいものですね。

追記 どうやらF15の日本版改良型を導入するようです。一度予算から消えていたのですが、復活するみたいです。

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