入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’25年「冬」(33)

2025年02月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 鳥の声がする。歌声の主は分からない。最近、脚立の上に用のなくなった盆栽の鉢を置き、そこに食べなくなったリンゴや、車の中にこぼした米粒を持っていってやる。すると、翌日にはない。
 
 一昨日、昨日は都会の工事や車の騒音で目を覚まし、そのまま寝付かれず長い夜を過ごした。田舎に戻ってきてもそれがまだ続いているのか、今朝も3時ごろから起きていて、嗜眠癖にとってこれはかなり厄介である。これまで安眠を貪さぼり過ぎた報いだろうか。

 いたずらに炬燵の虜囚の身であっては、日々は呆気なく過ぎていくばかりだと、何事か計画でも立てたりすれば、今度はそれに振り回されてしまう。今度も「年齢のことを考えろ」と言われているが、では何をどうすればこの年齢に相応しいのかよく分からない。
 確かに喜寿を目前にした者は老人である。しかし、歳月は必ずしも誰でも彼でも磨いてくれるわけではないらしく、その典型である自分は、尖がったころのままでいる自覚の足りない老人である。

 昨年も、今年も、1日の平均歩行数は5000歩を上回るらしい。万歩計の記録である。牧場で働いているときは、それが7000歩を超える。
 先日は腎臓結石のお蔭で少々慌てたものの、今は身体に格別不自由はなくて有難い。ただそのせいで、意識とか気分と、実際の年齢とを同調させるのがなかなか難しくなるのだ。
 たまに同世代の人をテレビなどで見て「オレもこんなジジイなんだ」と教えられ、そこで一挙に気分が歳を取ることはあるが、長くは続かない。すぐに年齢不詳に戻ってしまう。
 例の結石は、そういう能天気な者への灸であったと考え、元気なうちが花よとの思いを強くしつつも、それの短命であることも忘れてはいけないと言い聞かせる昨今である。

 やれやれ、外が明るくなってきた。寝不足で頭が濁っている。只今6時を少々過ぎたところで気温は零下6度。2月は思っていた通り日の経つのが早く、もう半分が過ぎてしまった。喜び半分、寂しさ半分。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
 
 
 
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«       ’25年「冬」(3... | トップ |       ’25年「冬」(3... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

キャンプ場および宿泊施設の案内など」カテゴリの最新記事