いちきゅーはちよん流れで、どこに着いた。「罪の声」に着いた。で読んだ。
「罪の声」 塩田 武士 2016
いちきゅーはちよん あるいは そのあとさき、自分はどんなだったんだ。
「ふぞろいの林檎たち」見て(録画とかしてたんだろか。録画っていつごろからできてたんだろか。だいたいこの本の中にも「ベータマックスはなくなるの?」一面広告話でてくるやないの。で できてたんだろか。)
“深夜に鳴る、電話。
あの頃 電話は 深夜によく鳴ったものだ。
携帯もメールもないその時空間に
深夜に鳴った電話での会話は 時に 一時間も二時間も続くことがあった。
(モーリー・ロバートソンの本の中にも 似たような場面が出てきて、その時も懐かしく思ったものだった。)”
の まんま実例よろしく、♪ えーりいーっ エンディングの先の来週予想を あるいは 仲手川 耕一の不器用さを 真夜中に半分眠りこけながら話していた。
そんな記憶の存在位置を 「ついこのあいだ、」とは もう言えなくなった。昔だ。
その時間・31年前から を連なって
このストーリーは 存在している。
「今」に続く連なりの始まりは、それはもう「昔」ではなかった。だってここに「声」がある。
「昔」とするわけにはいかないのだった。
今に生きる人たちが 二手の方向からその道筋を追っていく。