なにかの大会で
この学校にいったことがあった。
大会の内容は すっかり忘れてしまったが
この学校の
坂道
優雅なトイレ を
時々 ぼんやり思い出す。
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学生運動が燃えひろがった1968年前後の数年間を、ミラノにいた私はおそいハシ
カをわずらった病人みたいに若い人たちの波に乗り、彼らとともに流された。 112ページ
自己をたえず言語で表現しようとすることがそのまま生きる証左でもある作家にとっ
て、自国語を話す機会もなく、またこれを聞くことができない空間に生きることが、二
重の孤独を意味するのは容易に理解できる。 132ページ
…そして、なによりも、私生
児を生んで兄の世話になっている彼女に、たましいの高さで話しかけてくれた人間は、
シモンをおいて他になかった。 224ページ
ことばで生きるものにとって、それによって生かされていることばが、身のまわりに
聞こえないところで死ぬのが、なによりも淋しいのではないかと、考えたことがある。 252ページ
(読了できていた。)
「ユルスナールの…」は、ネ。
「マルテの手記」が残っていた。
それって 順番違うんちゃう?
時間がないんだ、青春は! 時間がないんだ、中年も!
すっ飛ばしているもんですから
途中 ノンフィクションにたましい持ってかれたりしてるもんですから
順番の反古くらい やすやすと乗り越えて?読んでいる。
17年くらい、を読み止しとする どんな基準なんだ、の中
抜き書きと
坂道/優雅なトイレ の記憶(時も地も違えど)を手に。。。