■1年3カ月ぶりにジブチを取材しました。成田からドバイ、アジスアベバ経由で26時間かかりジブチに着きました。たまたま出発の前日午後8時からNHKのプレミアム8という番組で、世界一番紀行「世界で一番暑い土地~アファール三角地帯 ジブチ~」と題して、ジブチの特集番組が放映されたので、ご覧になった方も多いと思います。
「世界で一番暑い土地」と呼ばれる所以は、最高年間平均気温34.5度を記録したためですが、暑さの理由についてNHKでは、①海面より標高が低い盆地状の地形のため熱風が停滞して異常な高気温になる。②活発な火山活動がもたらす地熱が暑さに拍車をかける、と説明していますが、ジブチ人いわく、「この国の季節は、HotとVery Hotの2つしかない」というとおり、乾季の最も暑くなる6~7月には最高気温が50度近くまで上がります。しかも湿度も80%近くになり、まるで蒸し風呂です。
今回の訪問は1月でしたので、Hotシーズンにあたります。それでも、日中の気温は30度を超え、明け方の気温も22度程度あります。
↑アジスアベバ空港からジブチに飛ぶエチオピア航空の78人乗りボンバルディア社製DHC-8 Q400型機。↑
■このような環境なので、仕事ができる時間にも工夫が必要です。ジブチでは、政府機関、民間企業も始業時間は朝7時~日差しが厳しくなる前の午後1時までです。民間企業の場合は、夕方に営業を再開する場合もあります。その代わり、週休日は金曜日だけです。一般の商店は、日中店を閉めますが、暑さがやや凌ぎ易くなる夕方から夜、遅いところでは午後10時頃まで、営業します。
さて、夕方6時(日本時間深夜0時)にジブチの空港に着陸する際、飛行機の窓から日の丸を付けた2基の機体が見えました。どうやら海上自衛隊のP3C哨戒機のようです。空港ターミナルは、以前と同じですが、周辺の施設はだいぶ整備が進んでいることがうかがえました。
↑ジブチ国際空港の片隅で翼を休めている海自のP3C哨戒機2機。この後方に47億円をかけて活動拠点施設を建設中。今年3月末までに完成予定らしい。↑
■今回、取材班は、ジブチに6日間滞在しましたが、街を歩くと前回よりも「ジャポネ!」とか「コンニチワ!」などとジブチ人から声をかけられる回数が格段に増えた感じです。それもそのはず、ジブチ人いわく、現在約1000名の日本人がジブチに滞在しているそうです。
そのほとんどは自衛隊員とその支援業務の関係者のようです。なお、ジブチに派遣中の青年海外協力隊員は現在18名です。3年半前に初めてジブチを訪れた際には、日本人は協力隊の事務所員2名と協力隊員12名の計14名だけでした。面積は四国の約1.3倍で、人口は約70万人の小国ジブチに、今や約1000名の日本人がいるというのは驚きです。
■前述のように、当会取材班が最初にジブチを訪れたのは3年半前の2007年6月でしたが、当時は、日本人の間でもジブチ国の名前を知る人は僅かでした。東京都目黒区にある在日ジブチ大使館は1989年4月に開設されましたが、在ジブチ日本大使館は2009年10月に開設するまでは在仏大使館が兼轄していました。
ジブチが日本にとって注目されたのは1986年に当時の南イエメンから脱出した邦人を、同国が迎え入れてくれた事です。更に、1994年5月、緊急脱出したイエメン在留邦人及び邦人旅行者73名が、ジブチ国経由で帰国したこともありました。
その後も両国の緊密な外交関係が続いていたところ隣国ソマリア沖で海賊問題が発生し、アデン湾を通過する船舶の安全対策が急務となりました。
■そこで、2009年4月3日に当時の中曽根弘文外相と来日中のマハムッド・アリ・ユスフ外務・国際協力大臣との間で「ジブチ共和国における日本国の自衛隊等の地位に関する日本国政府とジブチ共和国政府との間の交換公文」が締結されました。
締結前に既にジブチに向かっていた海上自衛隊の護衛艦2隻は、さっそく同月から日本関連船舶の護衛業務を開始し、同年6月からは哨戒機P3Cが上空からの警戒監視を実施しており、同時に、陸上自衛隊も哨戒機の格納施設警備の名目で隊員をジブチに派遣しています。
護衛艦1隻あたり約200名の乗員が必要なので2隻で約400名の海自隊員が派遣されていることになります。この他、海賊を逮捕するための法律執行業務として、海上保安庁から8名が派遣されて、護衛艦に乗務しています。また、P3C哨戒機2機の運用のために、整備補給要員など100名と、これを警護するため陸上自衛隊から50名が派遣されています。この他、C130輸送機を使用した日本からの補給業務を航空自衛隊が担っています。つまり、陸海空の自衛隊が揃って参加する初めての海外業務です。
↑ちょうど、船団護衛任務を終えて一時帰港する海自の護衛艦(写真中央)。艦名不詳。↑
防衛省では、陸海空の自衛隊が関与できる、願ってもない理想的な国際貢献事業だとして、ジブチへの海賊対策部隊派遣を最重要案件として位置付けています。
■新聞報道やネット報道をもとに、現在の自衛隊員の派遣数を予想すると上記のとおり、約550名となりますが、実際にジブチ人に確認するとジブチに滞在する日本人は約1000人に上るということです。となると、自衛隊業務の支援にかかわる関係者も数百人いることになります。
護衛艦の乗務員は普段は海上勤務なので、陸上の宿泊設備はとくに不要ですが、定期的に業務の合間には陸上で休暇を取らなければなりません。また、陸上支援業務に携わる隊員は常に宿泊場所の確保が必要です。2009年10月当時は、Bellevueなど市内のホテルを借り上げて宿舎として利用していました。
■それから1年余り経過しましたが、自衛隊による海賊対策活動に対する国際的な評価は高く、受け入れ側のジブチ国民にも、多数の隊員が落としてくれる金や、気さくな隊員のおかげで好印象を得られているようです。
このような中で、2010年7月17日、ジブチ国際空港の一角で、日本とジブチの関係者による起工式が行われました。
これは、2009年6月からジブチを拠点にP3C哨戒機でアデン湾の監視飛行を行っている海自の海賊対処航空隊の施設として、防衛省が、ジブチ国際空港の滑走路の北西側12ヘクタールの土地をジブチ政府から借り受けて、駐機場や隊舎、格納庫などを建設する工事の起工式でした。
■報道によると、2010年7月17日の起工式には駐ジブチ日本大使、海賊対処航空隊4次隊司令をはじめ、ジブチ国防相や国家治安長官、設備・運輸相ら政府高官、米、仏両国大使や軍関係者らが参加しました。
海自の海賊対処航空隊はこれまで、ジブチ国際空港滑走路の南側にある米軍基地を隊舎などとして無償で借りていましたが、哨戒機の駐機場所との移動に車で20~30分かかるため不便なので、効率的な活動のため自衛隊独自の拠点を整備することにしたのだそうです。派遣部隊は陸・海自約150人で編成されていますが、今後は給食など米軍の支援を受けてきた厚生面を含む支援業務の人員を約30人増員し、全体で180人規模とする予定だそうです。
もちろん、これらの建設工事を請け負った会社があるはずですが、いくらネットで調べてもわかりません。そこで現地でジブチ人に聞いてみるとマエダ・コントラクターという情報を得ました。どうやら入札は日本で行われ、日本企業が受注したようです。しかし、ネットで調べても、受注会社や受注金額はどこにも見当たりません。
■そこで、さらにネットで関連情報をチェックしてみると、次のようなことが判明しました。
(1) 2009年3月から海賊対策でそれぞれ派遣されている護衛艦や哨戒機の活動根拠は、自衛隊法に基づく海上警備行動から2009年6月に成立した海賊対処法に切り替えられた。
(2) 日本政府は2009年7月30日に、ソマリア沖の海賊対策にあたる自衛隊が拠点とするジブチにP3C哨戒機の駐機場や隊員宿舎など自前の施設を建設する方針を固めた。それまでは民間や米軍の施設を借りていたが、本格的な態勢をとることで国際貢献に取り組む姿勢をアピールするのが狙い。政府筋は「活動本格化に向け米軍からも独自施設を求められており、2011年には完成させたい」と説明した。
(3) ジブチに駐留している陸上、海上自衛隊員約150人はジブチ空港近くの米軍宿舎に居住。P3C哨戒機2機の駐機場や牽引車やトラックなどを収める格納庫はアラブ首長国連邦(UAE)の首都ドバイに本拠を置く空港管理会社から借用。日本政府筋によると、空港周辺に哨戒機2機の駐機場と自衛隊員150人を収容する宿舎に必要な面積を、ジブチ政府から2009年5月から無期限(ただし、「海賊対処は不要」と閣議決定などされるまで)の条件で借用しており、その後、そうした施設を建設する方向で空港管理会社と協議を進めていた。
(4) 自衛隊の任務はパトロールと通報で、「海賊」が各国護衛艦を攻撃する危険がある場合に通報し、日本の護衛艦が実際に攻撃を受けたら、護衛艦に乗り込んでいる武器を携行した海上保安庁職員が対応する。したがって、「武力行使」にはあたらず、海賊行為という犯罪を取り締まっているもので、本来は海上保安庁の仕事をサポートしている、というのが大義名分。
(5) 施設の建設には4000万ドルが投じられ完成予定は2011年3月末。しかし建設費用については42億円だとか47億円という報道もされている。
(6) 施設はジブチ国際空港の北西部に建設中。東京ドームの2倍以上ある12ヘクタールの敷地に宿舎、格納庫、事務所など24棟を建設し、航空機3機が収容できる駐機場も整備。完成予定は2011年3月末で、新施設運営のため新たに30人を増員。
(7) 現在、使用している米軍基地の使用料として2010年7月までに493万ドル(約4億円)を米軍に、駐機料19万ドル(約1500万円)を民間企業に支払っている。
(8) 新しい施設の内訳は宿舎7棟(収容人員約280人)、整備格納庫1棟(収容機1機)、食堂等厚生施設2棟、事務所2棟、電源室等の関連施設12棟、駐機場(収容機3機)。建物の構造はプレハブ構造で、一部は鉄骨またはコンクリートブロック構造で1階建て(電源室のみ2階建て)。
■ここで疑問なのは、なぜ、国際貢献に寄与しているこの派遣事業を、日本政府は、納税者である日本国民に堂々と公表しないのか、ということです。
この自衛隊の施設について、「軍事施設」として、自衛隊の海外派兵のシンボルとみなし、疑問視する声も日本国内にあるのは事実です。その一因として、日本政府の情報開示不足も上げられると思います。
日本国内には、やれ「自衛隊の海外派兵だ」とか、「海外に我が国初の軍事基地建設だ」とか、「ジブチ国との地位協定は沖縄の米軍と同様だ」などと批判があります。また、「海賊対策のような海上保安法令の執行は逮捕権を持つ海上保安庁が行うべきだ」という意見もあります。筆者も、本来は海上保安庁が行うのが筋だと思いますが、ソマリア沖に出没する海賊は、海賊といっても重火器で武装しており、ロケットランチャーも保有しています。
ソマリア沖では現在、約30か国が軍艦を派遣して「海賊掃討作戦」に従事しています。ソマリア沖は、地中海とインド洋とを結ぶ日本にとって重要な輸送ルートであり、この海域の安全航行の確保は日本の産業・経済にとって大切な要素のひとつであることは確かだからです。
■また、「地位協定」についても、沖縄の米軍基地の米兵が沖縄県民にひどい仕打ちをしても日本の法律で裁かれないという不合理な現状を連想させますが、果たして、現地に派遣されている自衛隊員や海上保安庁職員らが、米兵のような横暴な振る舞いをジブチ人に対して行うことがあるのかどうか。筆者はその可能性は極めて少ないと確信しています。
↑空港に近い開発地区にある在ジブチ米国大使館の入口。まだできたばかり。↑
↑ジブチ人が「ホワイトハウス」と呼んでいる立派な米国大使館の本館建物。ホテルの一室を借りている我が国の大使館とは雲泥の差だが、米国を見習う必要はない。↑
↑一辺の長さ500mは優にあろうかと思われる米国大使館の敷地を囲む長大なフェンス。アメリカは2001年の同時多発テロを契機にジブチに基地を設置した。↑
↑ジブチ市内から西方に約50キロの山間にあるフランス軍の駐屯地。フランス国外では最大規模の軍事施設と言われる。↑
↑仏軍駐屯地のフェンスに掲げられた“外国人地区”の看板。ジブチ国内ではここが最大の駐屯地だがほかにも各地に拠点を持っている。↑
↑駐屯地と各地の拠点の間をこのような軍用トラックや装甲車がしょっちゅう行き来している。フランスはジブチの独立前からここに軍隊を置き、ジブチの非常時には一緒に闘うことを明言している。仏軍3000人、米軍2000人、両軍合計5000人以上と言われている。このほか、スペインやイタリアなどもEU部隊等も駐屯している。↑
ジブチ人に本音を聞くと、「欧米はアフリカをかつて植民地化しており、なにかにつけて自分達の価値観を押し付けてくる。だが、日本にはそうしたイメージはまったくない。安心して対等に付き合える良きパートナーだ」という声が少なくありません。それだけに、現地に派遣されている隊員や職員には、青年海外協力隊員と同じように、相手側の価値観を尊重し、現地の人々との交流に努め、互いを理解しあえるように努力することが強く求められています。そして日本政府は、自衛隊や海保の活動について、もっとオープンに国民に説明する必要があります。
↑ジブチ市内のベトナム中華レストラン「吉布提越南餐庁(Restaurant Vietnum)」(55, Rue Soleollet-Tel:35 17 08 or 82 81 55, B.P.263-Djibouti)のメニューの日本語版。連日自衛隊員や海保職員はもとより、各国の隊員や旅行者で満員。3年半前は地味な内容の店内だったが、今や収容人員は2倍以上で旧正月も迫り豪華な飾り付けで様変わり。↑
↑この日本語版メニューも隊員の貢献の成果物と言えなくもない。↑
【ひらく会情報部海外取材班・この項つづく】
「世界で一番暑い土地」と呼ばれる所以は、最高年間平均気温34.5度を記録したためですが、暑さの理由についてNHKでは、①海面より標高が低い盆地状の地形のため熱風が停滞して異常な高気温になる。②活発な火山活動がもたらす地熱が暑さに拍車をかける、と説明していますが、ジブチ人いわく、「この国の季節は、HotとVery Hotの2つしかない」というとおり、乾季の最も暑くなる6~7月には最高気温が50度近くまで上がります。しかも湿度も80%近くになり、まるで蒸し風呂です。
今回の訪問は1月でしたので、Hotシーズンにあたります。それでも、日中の気温は30度を超え、明け方の気温も22度程度あります。
↑アジスアベバ空港からジブチに飛ぶエチオピア航空の78人乗りボンバルディア社製DHC-8 Q400型機。↑
■このような環境なので、仕事ができる時間にも工夫が必要です。ジブチでは、政府機関、民間企業も始業時間は朝7時~日差しが厳しくなる前の午後1時までです。民間企業の場合は、夕方に営業を再開する場合もあります。その代わり、週休日は金曜日だけです。一般の商店は、日中店を閉めますが、暑さがやや凌ぎ易くなる夕方から夜、遅いところでは午後10時頃まで、営業します。
さて、夕方6時(日本時間深夜0時)にジブチの空港に着陸する際、飛行機の窓から日の丸を付けた2基の機体が見えました。どうやら海上自衛隊のP3C哨戒機のようです。空港ターミナルは、以前と同じですが、周辺の施設はだいぶ整備が進んでいることがうかがえました。
↑ジブチ国際空港の片隅で翼を休めている海自のP3C哨戒機2機。この後方に47億円をかけて活動拠点施設を建設中。今年3月末までに完成予定らしい。↑
■今回、取材班は、ジブチに6日間滞在しましたが、街を歩くと前回よりも「ジャポネ!」とか「コンニチワ!」などとジブチ人から声をかけられる回数が格段に増えた感じです。それもそのはず、ジブチ人いわく、現在約1000名の日本人がジブチに滞在しているそうです。
そのほとんどは自衛隊員とその支援業務の関係者のようです。なお、ジブチに派遣中の青年海外協力隊員は現在18名です。3年半前に初めてジブチを訪れた際には、日本人は協力隊の事務所員2名と協力隊員12名の計14名だけでした。面積は四国の約1.3倍で、人口は約70万人の小国ジブチに、今や約1000名の日本人がいるというのは驚きです。
■前述のように、当会取材班が最初にジブチを訪れたのは3年半前の2007年6月でしたが、当時は、日本人の間でもジブチ国の名前を知る人は僅かでした。東京都目黒区にある在日ジブチ大使館は1989年4月に開設されましたが、在ジブチ日本大使館は2009年10月に開設するまでは在仏大使館が兼轄していました。
ジブチが日本にとって注目されたのは1986年に当時の南イエメンから脱出した邦人を、同国が迎え入れてくれた事です。更に、1994年5月、緊急脱出したイエメン在留邦人及び邦人旅行者73名が、ジブチ国経由で帰国したこともありました。
その後も両国の緊密な外交関係が続いていたところ隣国ソマリア沖で海賊問題が発生し、アデン湾を通過する船舶の安全対策が急務となりました。
■そこで、2009年4月3日に当時の中曽根弘文外相と来日中のマハムッド・アリ・ユスフ外務・国際協力大臣との間で「ジブチ共和国における日本国の自衛隊等の地位に関する日本国政府とジブチ共和国政府との間の交換公文」が締結されました。
締結前に既にジブチに向かっていた海上自衛隊の護衛艦2隻は、さっそく同月から日本関連船舶の護衛業務を開始し、同年6月からは哨戒機P3Cが上空からの警戒監視を実施しており、同時に、陸上自衛隊も哨戒機の格納施設警備の名目で隊員をジブチに派遣しています。
護衛艦1隻あたり約200名の乗員が必要なので2隻で約400名の海自隊員が派遣されていることになります。この他、海賊を逮捕するための法律執行業務として、海上保安庁から8名が派遣されて、護衛艦に乗務しています。また、P3C哨戒機2機の運用のために、整備補給要員など100名と、これを警護するため陸上自衛隊から50名が派遣されています。この他、C130輸送機を使用した日本からの補給業務を航空自衛隊が担っています。つまり、陸海空の自衛隊が揃って参加する初めての海外業務です。
↑ちょうど、船団護衛任務を終えて一時帰港する海自の護衛艦(写真中央)。艦名不詳。↑
防衛省では、陸海空の自衛隊が関与できる、願ってもない理想的な国際貢献事業だとして、ジブチへの海賊対策部隊派遣を最重要案件として位置付けています。
■新聞報道やネット報道をもとに、現在の自衛隊員の派遣数を予想すると上記のとおり、約550名となりますが、実際にジブチ人に確認するとジブチに滞在する日本人は約1000人に上るということです。となると、自衛隊業務の支援にかかわる関係者も数百人いることになります。
護衛艦の乗務員は普段は海上勤務なので、陸上の宿泊設備はとくに不要ですが、定期的に業務の合間には陸上で休暇を取らなければなりません。また、陸上支援業務に携わる隊員は常に宿泊場所の確保が必要です。2009年10月当時は、Bellevueなど市内のホテルを借り上げて宿舎として利用していました。
■それから1年余り経過しましたが、自衛隊による海賊対策活動に対する国際的な評価は高く、受け入れ側のジブチ国民にも、多数の隊員が落としてくれる金や、気さくな隊員のおかげで好印象を得られているようです。
このような中で、2010年7月17日、ジブチ国際空港の一角で、日本とジブチの関係者による起工式が行われました。
これは、2009年6月からジブチを拠点にP3C哨戒機でアデン湾の監視飛行を行っている海自の海賊対処航空隊の施設として、防衛省が、ジブチ国際空港の滑走路の北西側12ヘクタールの土地をジブチ政府から借り受けて、駐機場や隊舎、格納庫などを建設する工事の起工式でした。
■報道によると、2010年7月17日の起工式には駐ジブチ日本大使、海賊対処航空隊4次隊司令をはじめ、ジブチ国防相や国家治安長官、設備・運輸相ら政府高官、米、仏両国大使や軍関係者らが参加しました。
海自の海賊対処航空隊はこれまで、ジブチ国際空港滑走路の南側にある米軍基地を隊舎などとして無償で借りていましたが、哨戒機の駐機場所との移動に車で20~30分かかるため不便なので、効率的な活動のため自衛隊独自の拠点を整備することにしたのだそうです。派遣部隊は陸・海自約150人で編成されていますが、今後は給食など米軍の支援を受けてきた厚生面を含む支援業務の人員を約30人増員し、全体で180人規模とする予定だそうです。
もちろん、これらの建設工事を請け負った会社があるはずですが、いくらネットで調べてもわかりません。そこで現地でジブチ人に聞いてみるとマエダ・コントラクターという情報を得ました。どうやら入札は日本で行われ、日本企業が受注したようです。しかし、ネットで調べても、受注会社や受注金額はどこにも見当たりません。
■そこで、さらにネットで関連情報をチェックしてみると、次のようなことが判明しました。
(1) 2009年3月から海賊対策でそれぞれ派遣されている護衛艦や哨戒機の活動根拠は、自衛隊法に基づく海上警備行動から2009年6月に成立した海賊対処法に切り替えられた。
(2) 日本政府は2009年7月30日に、ソマリア沖の海賊対策にあたる自衛隊が拠点とするジブチにP3C哨戒機の駐機場や隊員宿舎など自前の施設を建設する方針を固めた。それまでは民間や米軍の施設を借りていたが、本格的な態勢をとることで国際貢献に取り組む姿勢をアピールするのが狙い。政府筋は「活動本格化に向け米軍からも独自施設を求められており、2011年には完成させたい」と説明した。
(3) ジブチに駐留している陸上、海上自衛隊員約150人はジブチ空港近くの米軍宿舎に居住。P3C哨戒機2機の駐機場や牽引車やトラックなどを収める格納庫はアラブ首長国連邦(UAE)の首都ドバイに本拠を置く空港管理会社から借用。日本政府筋によると、空港周辺に哨戒機2機の駐機場と自衛隊員150人を収容する宿舎に必要な面積を、ジブチ政府から2009年5月から無期限(ただし、「海賊対処は不要」と閣議決定などされるまで)の条件で借用しており、その後、そうした施設を建設する方向で空港管理会社と協議を進めていた。
(4) 自衛隊の任務はパトロールと通報で、「海賊」が各国護衛艦を攻撃する危険がある場合に通報し、日本の護衛艦が実際に攻撃を受けたら、護衛艦に乗り込んでいる武器を携行した海上保安庁職員が対応する。したがって、「武力行使」にはあたらず、海賊行為という犯罪を取り締まっているもので、本来は海上保安庁の仕事をサポートしている、というのが大義名分。
(5) 施設の建設には4000万ドルが投じられ完成予定は2011年3月末。しかし建設費用については42億円だとか47億円という報道もされている。
(6) 施設はジブチ国際空港の北西部に建設中。東京ドームの2倍以上ある12ヘクタールの敷地に宿舎、格納庫、事務所など24棟を建設し、航空機3機が収容できる駐機場も整備。完成予定は2011年3月末で、新施設運営のため新たに30人を増員。
(7) 現在、使用している米軍基地の使用料として2010年7月までに493万ドル(約4億円)を米軍に、駐機料19万ドル(約1500万円)を民間企業に支払っている。
(8) 新しい施設の内訳は宿舎7棟(収容人員約280人)、整備格納庫1棟(収容機1機)、食堂等厚生施設2棟、事務所2棟、電源室等の関連施設12棟、駐機場(収容機3機)。建物の構造はプレハブ構造で、一部は鉄骨またはコンクリートブロック構造で1階建て(電源室のみ2階建て)。
■ここで疑問なのは、なぜ、国際貢献に寄与しているこの派遣事業を、日本政府は、納税者である日本国民に堂々と公表しないのか、ということです。
この自衛隊の施設について、「軍事施設」として、自衛隊の海外派兵のシンボルとみなし、疑問視する声も日本国内にあるのは事実です。その一因として、日本政府の情報開示不足も上げられると思います。
日本国内には、やれ「自衛隊の海外派兵だ」とか、「海外に我が国初の軍事基地建設だ」とか、「ジブチ国との地位協定は沖縄の米軍と同様だ」などと批判があります。また、「海賊対策のような海上保安法令の執行は逮捕権を持つ海上保安庁が行うべきだ」という意見もあります。筆者も、本来は海上保安庁が行うのが筋だと思いますが、ソマリア沖に出没する海賊は、海賊といっても重火器で武装しており、ロケットランチャーも保有しています。
ソマリア沖では現在、約30か国が軍艦を派遣して「海賊掃討作戦」に従事しています。ソマリア沖は、地中海とインド洋とを結ぶ日本にとって重要な輸送ルートであり、この海域の安全航行の確保は日本の産業・経済にとって大切な要素のひとつであることは確かだからです。
■また、「地位協定」についても、沖縄の米軍基地の米兵が沖縄県民にひどい仕打ちをしても日本の法律で裁かれないという不合理な現状を連想させますが、果たして、現地に派遣されている自衛隊員や海上保安庁職員らが、米兵のような横暴な振る舞いをジブチ人に対して行うことがあるのかどうか。筆者はその可能性は極めて少ないと確信しています。
↑空港に近い開発地区にある在ジブチ米国大使館の入口。まだできたばかり。↑
↑ジブチ人が「ホワイトハウス」と呼んでいる立派な米国大使館の本館建物。ホテルの一室を借りている我が国の大使館とは雲泥の差だが、米国を見習う必要はない。↑
↑一辺の長さ500mは優にあろうかと思われる米国大使館の敷地を囲む長大なフェンス。アメリカは2001年の同時多発テロを契機にジブチに基地を設置した。↑
↑ジブチ市内から西方に約50キロの山間にあるフランス軍の駐屯地。フランス国外では最大規模の軍事施設と言われる。↑
↑仏軍駐屯地のフェンスに掲げられた“外国人地区”の看板。ジブチ国内ではここが最大の駐屯地だがほかにも各地に拠点を持っている。↑
↑駐屯地と各地の拠点の間をこのような軍用トラックや装甲車がしょっちゅう行き来している。フランスはジブチの独立前からここに軍隊を置き、ジブチの非常時には一緒に闘うことを明言している。仏軍3000人、米軍2000人、両軍合計5000人以上と言われている。このほか、スペインやイタリアなどもEU部隊等も駐屯している。↑
ジブチ人に本音を聞くと、「欧米はアフリカをかつて植民地化しており、なにかにつけて自分達の価値観を押し付けてくる。だが、日本にはそうしたイメージはまったくない。安心して対等に付き合える良きパートナーだ」という声が少なくありません。それだけに、現地に派遣されている隊員や職員には、青年海外協力隊員と同じように、相手側の価値観を尊重し、現地の人々との交流に努め、互いを理解しあえるように努力することが強く求められています。そして日本政府は、自衛隊や海保の活動について、もっとオープンに国民に説明する必要があります。
↑ジブチ市内のベトナム中華レストラン「吉布提越南餐庁(Restaurant Vietnum)」(55, Rue Soleollet-Tel:35 17 08 or 82 81 55, B.P.263-Djibouti)のメニューの日本語版。連日自衛隊員や海保職員はもとより、各国の隊員や旅行者で満員。3年半前は地味な内容の店内だったが、今や収容人員は2倍以上で旧正月も迫り豪華な飾り付けで様変わり。↑
↑この日本語版メニューも隊員の貢献の成果物と言えなくもない。↑
【ひらく会情報部海外取材班・この項つづく】