市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

15年ぶりの長く厳しい冬から解放され若草が芽ぐむロシア沿海州の2カ月遅れの春(その2)

2012-05-15 23:40:00 | 国内外からのトピックス
■沿海州に春が訪れるとともに、沿海州の州都であるウラジオストクでは、いよいよ今年9月に開催予定のAPECに備えて、市内のあちこちで目抜き通りの建物や歩道などの化粧直しや道路整備工事が続けられています。中でも、3年前から建設が進められてきた2つの巨大な斜長橋が先日、ついに左右から延びていた橋げたが接続完了しました。


左右の橋桁が繋がった金角湾横断橋。5月10日撮影。

 APECの会場は、ウラジオストクの南部に浮かぶルースキー島になるため、いままではフェリーでしか渡れなかった同島への交通アクセス改善の為、世界最大の斜長橋となる「ルースキー大橋」が、先月4月12日の夜に、左右の橋げたを接続するための最後のパネルが取り付けられて、同18日に接合作業が完了しました。

ウラジオストクの金角湾の西側の半島の丘の上の公園から東側を見渡すとルースキー島大橋が見える。5月11日撮影。

 このルースキー大橋は、全長が1885m、支柱間の長さが世界最長の1104mで、使用開始はウラジオストク市の創設記念日の7月2日が予定されています。

■ルースキー大橋の接続完了とほぼ同時期の先月4月14日には、ウラジオストク市内中心部と対岸のチェルキン岬を金角湾を跨いで結ぶ斜長橋「金角湾横断橋」でも、最後の橋桁となる接続パネルの取付が完了しました。こちらは全長1388m、支柱間の距離が737mで、一般向けの開通は7月1日が予定されています。

 金角湾横断橋の工事では、昨年12月に火災事故が発生したり、橋桁を吊るすワイヤーの納期が遅れたりして、工程の遅延が一時取りざたされましたが、切羽詰まって来ると非凡な力を発揮するロシア人の気質を反映して、なんとかAPEC前に駆け込みで間に合わせることができたようです。

橋の下の大通りから見上げた金角湾横断橋。橋桁を下から支えていた鉄骨も取り外されてスッキリとなり、薄い橋桁が対岸に伸びている様子がよくわかるようになった。↑

 しかも、沿海州知事が4月14日の談話で「世界最大規模の建設作業にもかかわらず、接続パネル間のクリアランス(隙間)は僅か数ミリに収まっており、高い技術レベルを証明した沿海州の建設従事者は、ロシアの誇りだ」と語りました。確かに、大きな自信となった事でしょう。その背景には、日本の長大橋設計のエンジニアリング技術の供与や、日本のセメント会社による支援もあり、今後この自信は極東ロシアのインフラ整備に大きく貢献するものと見られます。

金角湾横断橋の接続部。後ろに見えるのは、火力発電所の3本煙突。これも昨年から燃料が石炭から天然ガスに切り替わり、煙の色がそれまで真っ黒だったのが、真っ白の水蒸気に変わった。

 先日、5月9日の戦勝記念日直前の同7日に、再び大統領職に返り咲いたプーチン首相も4月13日に、ルースキー島大橋の橋桁接続作業完了の報を受けて「近いうちに橋を視察したい」との意向を示しました。

 反面、極東地方ではAPEC開催のウラジオストク、西部地区では冬季五輪開催のソチに対して、国威発揚の為巨額の予算配分をしてきたロシアが、APEC開催後、どのような公共投資を引き続きするのかどうか、不安視する見方もあります。

■いずれにせよ、ウラジオストク市民の100年来の夢であった金角湾横断橋と、沖合のルースキー島とを結ぶ世界最大の斜長橋が同時に完成して、街のシンボルとなったわけで、一躍APEC開催の国際都市にふさわしい装いが整った観があります。

15年ぶりの寒波で海面がいつになく分厚く結氷して多忙だったFESCOの砕氷船も、春の訪れでようやく骨休み。

 これで、市内の南北の交通が、これまで迂回を強いられて慢性的な渋滞を引き起こしていた交通ネットワークが、大幅に改善するのではないかと期待されます。

 町から40キロほど離れたウラジオストク国際空港も間もなく新ターミナルの供用が開始され、空港からウラジオストク市内に向かう片側4車線の幹線道路はほぼ整備が完了し、以前は、工事中には空港から市内まで2時間近く要したこともありましたが、現在では車で40~50分程度で移動することが可能です。

■さらに、空港からウラジオストク市中心部の中央駅を直接結ぶ鉄道路線も、既存のシベリア鉄道の一部を利用して、整備し、中央駅のすぐわきに専用駅舎の建設も始まっています。

 こちらはAPECには間に合いそうもありませんが、ウラジオストクをはじめとする沿海州の取材を開始してから3年半が経過しますが、この間、ウラジオストクは大きく変貌を遂げたことは間違いありません。

【ひらく会情報部・海外取材班】

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