■先日の週末に、埼玉県知事公館を訪れる機会がありました。時間の都合で、午後4時半近くになっていたため、既にあたりは暗くなり始めていました。
線路の高架下で大規模な工事中の浦和駅の西口側に出て、正面に向かって右側に歩いて、市役所通りに出たので、それに沿ってさいたま市役所http://www.e-map.ne.jp/pc/index.htm?cid=Saitama&kid=839にむかって10分ほど歩くと、やがて左手に知事公館が見えてきました。道路の向こう側に太陽光発電パネルが連なっているのが見えます。
パネルの終端にくると、信号機があり、そこを横断すると正面が知事公館の入口前の道路でした。右側に太陽光発電量の表示板が見えます。
市役所通りから知事公館の鉄製のゲート入口まで約20mの道路が延びています。
かたちとしては、市役所通りと直角に向かい側の路地と結ばれているので、知事公館前は十字路のような格好になっており、信号機も付いています。
しかし、知事公館の進入道路も向かい側の路地も車が通る機会は少ない様子で、なぜここに信号機が設置されたのか、違和感を覚えました。なぜなら、この交差点から西側に浦和合同庁舎の前を50mほどいくと市役所のそばの交差点に出ますが、信号がなくても、左折をして通り出る分には、さほど市しょうがないからです。たぶん、知事が知事公館から車で市役所通りを右手に曲がって出やすいように信号機を付けたものと思われます。
■聞くところによると、この信号機は前埼玉県知事の土屋義彦の時に設けたものだそうです。
土屋義彦は、1992年に参議院議長を辞めて埼玉県知事選に出馬し当選して以来3期11年にわたって知事職に君臨していましたが、2003年に自身の政治資金管理団体「地方行政研究会」の1億円を超える献金記載漏れが発覚し、政治資金規正法違反で長女の市川桃子が逮捕されるという事件が起きました。当初は強気の姿勢を見せ、職に留まることを明言していた土屋義彦も同年、知事を辞職しました。自分自身も東京地検特捜部の事情聴取を受けましたが、起訴猶予処分となり、政界を引退し、その5年後の2008年10月5日に埼玉県春日部市内の自宅で死去しました。
↑公館の西隣の浦和合同庁舎。↑
その土屋前埼玉県知事は、県庁に赴くことなく、主として知事公館で仕事をおこなったため、事あるごとに、県の職員が、県庁から公館に出向いたということです。そのために、この信号が設置されたのだそうです。信号機の設置には数百万円かかるといわれて居り、現在も、自動的に点滅を繰り返していて、いちいち交差点で信号待ちをしなくてはなりません。
↑同じく公館の西隣の税務署。↑
こうして知事公館の前に信号機を付けさせた土屋前知事の場合には、身内のスキャンダルで退陣に追い込まれましたが、我らが群馬県のリーダーである知事・大澤は、副知事公舎を管財課に公金でラブホテル風に改修させて、週末頻繁に愛人を連れ込んで妾宅化していましたが、辞職をせずに知事の座に留まっています。
↑北西の隣接地にある浦和警察署の建物。↑
■埼玉県知事公館の入口右側の駐車場スペースの一角の歩道沿いには定格出力10キロワット、パネル面積が約27mx約3m=80㎡の太陽光発電システムが設置されています。
これは平成21年10月に設置されて、運用が開始されたもので、管財課電気施設担当が管理をしていて、3年が経過しています。埼玉県のHPによると、発電システムの稼働状況は良好で、ほぼ予想した発電電力量が得られているとのことです。
平成21年当時であれば、10キロワットクラスの太陽光発電設備は、おそらく多く見積もっても1000万円程度だと想像されます。
一方、我らが群馬県の知事公舎の場合、その2倍の約2000万円の公金を総務部管財課が公金をつぎ込んで、ラブホテルとして知事・大澤が愛人を連れ込んで利用できるように改修したうえに、不倫が発覚して週刊誌沙汰になったため、証拠隠滅を図るべく、今度は1000万円は下らないと見込まれる費用を掛けて、解体・撤去して、最終的に更地にするというとんでもない方針を実行に移そうとしているのです。つまり、ラブホテルとして妾宅化するために投じた費用で、10キロワットの太陽光発電設備が2セット導入でき、解体・撤去・更地化するための費用で、さらにもおう1セット導入できるわけです。同じように公金を投じているのに、埼玉県知事公館と群馬県知事公舎(現・副知事公舎=大手町1号公舎)の違いは計り知れないほど大きいことが痛感させられます。
■埼玉県の知事公館は、知事が来賓をもてなす場として、また緊急時の指揮・連絡の中心的機能の役割も持っています。埼玉県が催すいろいろな式典、新春の集いやお茶会をはじめ各種イベントなどが年中開催されています。
この場所は昭和12年まで「旧制浦和中学(現:県立浦和高校)」があったところです。浦和中学が昭和12年に領家に移転した後、戦時中は軍部隊の用地として使用され、戦後は駐留軍の宿舎用地、駐留軍の引き上げた後は県の地方公務員研修所等に使用されました。地方公務員研修所が大宮へ移転した後は、昭和42年の埼玉国体に臨幸された昭和天皇の宿泊所として新築し、その後は知事公館として利用されています。
普段は中を見学することは出来ませんが、11月14日の「埼玉県民の日」には知事公館が一般公開されます。
一方、我らが群馬県の知事公舎の場合、知事が来賓をもてなすどころか、前橋市内に住む20年来の愛人をアパートまで自分で自家用車を運転して迎えに行き、車に乗せてから、いそいそと知事公舎の入口にあるリモコン式の自動ゲートを自分で開けて、愛人を公舎に連れ込み、週末の夜、頻繁にもてなしていたのでした。
■埼玉県知事公館には、現在、上田清司知事が家族ともども実際に住んでいます。知事公館を訪れた時は既に夕暮れでしたが、私邸の部分のある駐車場から公館の中を覗いてみると、ちゃんと犬小屋もあり、飼い犬の吠え声が聞こえました。
↑私邸側からみた知事公館。↑
また、家族用の自転車も何台か並んでおり、建物のなかでは明かりが幾つかの部屋に灯っていて、家族の週末の団欒の様子がうかがえました。私邸側の門柱には郵便・新聞受はありますが、防犯カメラは入口付近には見当たりませんでした。
↑私邸側入口の門柱。↑
↑同じ建仁寺垣だが、こうも使い方が違うとは。埼玉県知事公館の場合にはこのように私邸と公邸の境界を隔離する為に設置しているが、群馬県知事公舎の場合は、愛人を車から公舎に連れ込むときの目隠しのために設置。↑
公邸側の入口の門柱にはインターフォンが付いていますが、防犯カメラは付近には見当たりませんでした。
駐車場に面した裏通りにあるシミズ理容店のご主人に話を聞いてみると、「上田知事は家族と一緒にちゃんと知事公館に住んでおられ、塀の高さも見たとおり低いでしょう」と話してくれました。確かに、ブロック塀は限度一杯の10段積みなので、高さが2mですが、中間に2ヶ所のV字模様の透かしブロックが使われていて、塀の内側が覗けるようになっています。
↑私邸側の10段ブロック塀(高さ2m)。↑
公邸のある市役所通り側の駐車場に面した石塀は高さがもっと低く1.6m程度です。
どうしてこうも、群馬県と違うのか、唖然とした気持ちで知事公館を後にしました。
■浦和駅に戻る途中、交差点脇にSECOMの販売店が見えたので、立ち寄って話を聞いてみました。あいにく、この店は市役所には近いのですが、官庁営業はしておらず、もっぱら民間向けの営業をやっているとのことです。官庁営業は東京の本社扱いだそうです。また、群馬県、長野県、新潟県はセコム本社ではなく、グループ会社のひとつのセコム上信越http://www.secom-joshinetsu.co.jp/index.shtml のテリトリーなのだそうです。
↑浦和駅前の木立に飾られた浦和レッズをモチーフにしたイルミネーション。↑
【ひらく会情報部・知事公舎研究取材班】