日々

穏やかな日々を

自然死を望んでいる私

2013年03月27日 02時18分53秒 | 私自身や健康
10人の「医師作家」が語る2013年の医療

死期の受容が市民権得る―石飛幸三氏に聞く◆Vol.1
「平穏死」の生みの親、「看取りの潮目変わった」

2013年1月8日 聞き手・まとめ:島田 昇

 死期が間近に迫った高齢者に、胃ろう造設などの医療行為による延命処置を極力避け、自然に任せて看取る「平穏死」。2012年は“反延命治療”を明確に打ち出した書籍が注目を集めた(『 「延命治療大国、日本」へのアンチテーゼ』『 医療の傲慢、自費出版でも伝えたかった』を参照)が、『「平穏死」という選択』(幻冬舎ルネッサンス新書)の著者で、「平穏死」というキーワードの生みの親でもある石飛幸三氏は、2013年の医療界をどのように見ているのか――。「高齢者の看取りの現場で潮目が変わり始めている」と感じている石飛氏は、死期に抗わず、これを受け入れる「平穏死」が市民権を得る年になると願いを込める(2012年11月27日にインタビュー。計2回の連載)。


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『「平穏死」という選択』
石飛幸三氏に聞く
Vol.1◆死期の受容が市民権得る
Vol.2◆座敷牢の10年が「平穏死」へ導いた

石飛幸三氏は、願いも込めて「『市民権を得る平穏死』とでも言える1年になる」と語る。

――2012年に上梓した『「平穏死」という選択』が注目を集めましたが、「平穏死」というキーワードは2013年以降、どのような発展を遂げると考えますか。

 今、まさに高齢者の看取りの現場で潮目が変わり始めていると感じている。特に、医師が随分と興味を持つようになってきた。

 沖縄の本土復帰40週年記念があった2012年6月、「第114回沖縄県医師会医学会総会」で名誉ある特別講演をさせていただいた後、研修医の実習先として人気が高い沖縄県立中部病院の研修担当部長に「ぜひ、8月にうちの若い者たちにも話してもらえないか」と声をかけられた。嬉しかったね。なぜって、東京都済生会中央病院に勤務していた頃から、若い医師の教育や研修には力を入れていて、その頃から有名だった中部病院は、一つの目標でもあったから。目標としていた病院からお呼びがかかったんだ。これまでの歩みが認められたようで誇らしかったし、何よりも嬉しかった。

 2013年6月には、慶応義塾大学医学部の2年生に向けた老年学の一部の講座を担当することも決まった。私も65歳までの先生になら教えてもらったことはあるけれど、喜寿を迎えた70代後半の年寄りに教えてもらった記憶なんてないからかね(笑)。

 「平穏死」が世に広まるきっかけとなった『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか』(講談社、2010年)を上梓してから約2年半。最初の50回くらいまでは講演した回数を数えていたけれど、それ以降は仕事に講演にと忙しいこともあり、数えるのが億劫になったが、少なくとも200回以上は講演したと記憶している。昨日(11月26日)も都内のある自治体の医師会で講演したんだが、参加した多くの医師たちが平穏死の重要さについて分かっていると、確信を新たにした。

 こうした潮目の変化を見ていると、2013年は個人的な願いも込めて「市民権を得る平穏死」とでも言える一年になるのではないかと予想したい。

すでに多くの医師たちが
平穏死の重要さを分かっている

――そもそも、なぜ「平穏死」という造語を作られたのですか。

 実は、「平穏死」は私が作った造語ではないんだ。

 私が常勤している特別養護老人ホーム「芦花ホーム」で「平穏死」による看取りが定着し始めた2009年6月、この年の4月に着任したばかりの施設長である四元秀夫氏にこう言われた。「ここで始まっている看取りは、全国に普遍化すべきではないか」と。さらには、8カ月後の2010年2月に看取りのシンポジウムをやりたいとまで言ってくれた。うしくて舞い上がってしまった私はつい、「それでは、シンポジウムに合わせてそれまでに本を書いて出版します」などと言ってしまった(笑)。

 ただ、私は本など書いたことがない。自分で言い出しておきながら、困まったよ(笑)。それでも、男同士の約束だ。約束は果たしたいと思い、1カ月程度で初稿を一気に書き上げ、ある裁判がきっかけで縁があった講談社に意気揚々と持ち込んだ。しかし、そこで名物編集者として知られる出樋(だすぜ)一親氏に言われたのが、「先生が有名な人だったら違うが、こういう類の話は山ほどある。我々も慈善事業をしてあげられるほどの余裕はない」ときたもんだ。よっぽど悔しかったのだろう。出樋氏に「3カ月後にもう一度書き直して持ってくるから見てくれないか」と食い下がったんだ。

 食い下がったはいいものの、どうしたものかと悩んでいたある日、こちらも同じ裁判で知り合った信頼できる弁護士の黒田和夫氏と久々の再開をした。その際、ふと近況を話すと「私も法律家として、高齢者問題はこれからの日本にとって喫緊の課題だと思っていた。一緒にやりませんか」ということになってしまい、その場で刑法の個人レッスンを2時間受けた。この2時間こそが、「平穏死」という言葉を生み出す出発点となった。

 お互い60歳を過ぎた2人で、私は医療の側から、黒田氏は法律の側から、粘り強く意見を出し合い、議論を重ねていった。「助ける方法があるのにそれを行わないことは、保護責任者遺棄致死罪に問われるのでは」と恐れる医療従事者たち、自分の意思を示すことができない認知症患者の増加と、当たり前に行われる胃ろうの造設、時代にそぐわなくなっている刑法上の問題点にどうアプローチすればいいのか――。こうした議論を重ねる中で黒田氏がふと口にしたのが、「平穏死」だった。

 医療に法律の視点を加え、分かりやすいキーワードも備えた原稿を出樋氏に持って行ったら、すぐに言われたよ。「やりましょう」と。こうして無事に2010年2月9日に本が上梓され、その1週間後にはシンポジウムが開催。四元氏との男の約束を守ることができた。

 振り返ってみると、「平穏死」という言葉は、現場で実践した私から始まり、きっかけを作った四元氏、法律家としての知識を惜しみなく注いでくれた黒田氏、世間に広まるだけの作品に導いてくれた出樋氏の4人の力が結集してきた言葉だったと改めて感じる。

 きっかけを作ってくれた四元氏にできた本を見せたらすぐにこう言われたよ。「これはすごいことになる。看取りは変わっていくよ。まるで、点火後に四方へ勢いよく広がる“中国の花火”のようにね」と。2012年、出版界を通じて感じた世間からの反応、講演会などで直接耳にする医師からの反応を見ていると、四元氏が予見した通りの流れになっていると言えるのではないだろうか。この勢いは2013年、さらに加速するだろう。

平穏死は今“中国の花火”
勢いは2013年、さらに加速

座敷牢の10年が「平穏死」へ導いた―石飛幸三氏に聞く◆Vol.2
「本当の医療の追求」に無駄な経験なし

アップル創始者ジョブズ氏の「点と点をつなぐ」のスピーチになぞらえ、外科医から特養の常勤医に至った経緯を明かす石飛幸三氏。

――そもそもなぜ、特別養護老人ホームの常勤医になろうと思ったのですか。もともとは病院の外科医でキャリアを積み上げていて、副院長も務められました。

 2005年に米スタンフォード大学の卒業式で、米アップル創始者のスティーブ・ジョブズ氏が「点と点をつなぐ」というスピーチをしたのだが、人生とはまさに、その通りだと思う。呉服屋の息子として生まれてから、特養の芦花ホームで看取りの医師になるまで、さまざまな人生の点があった。それらの点は、一見、今の自分を形成する要素として無駄だったと思えるものもあるように見えるが、とんでもない。実は何一つ無駄なことなどなく、一つひとつの点と点がつながりあったからこそ、今の自分がある。

 点の中で最も大きな転機となったのは、東京都済生会中央病院で副院長を解任されてからの10年だった。

 東京都済生会中央病院には、血管外科医としてドイツで修めた技術を日本のために生かそうと考えて合流したのだが、何を血迷ったか、労働闘争の嵐の中で、組合の立ち上げに入れ込んでしまった。目を覚まさせてくれたのは、芸術家の岡本太郎氏。縁合ってお願いした組合の立ち上げ記念講演で言われたよ。「『幸せなら手を叩こう』だなんてクソ食らえだ。そんなありもしない、手で掴めるようなものがあるだなんて考えるな。人生は苦難の連続でしかない。それをどう乗り越えたかの一点にしか、人生の喜びや幸せはないんだ」と。私を含め、闘争に燃えていた同士たちの目は一気に覚めたよ、「俺たちは何をやっていたんだ」と(笑)。

 こうして「患者に対して本当の医療を提供したい」と心から願い、「日本のメイヨー・クリニックを目指そう」と、今まで以上に真剣に医療に取り組んだ場所が私にとっての東京都済生会中央病院だった。振り返ってみると、いい医療を提供できていたと思う。手前味噌で悪いが、特に外科はね(笑)。当時、慶応大学病院に匹敵する一つの牙城とさえ言える病院になっていたと思う。医師として、順風満帆な歩みを続けていた。

 しかし、病院が株投資で多額の損失を出したことが発覚した1996年から、歯車が狂い出した。病院の経理運用を調査するため、当時、副院長だった私が調査委員長に命じられたので「絶対に立て直す」と心に決めて徹底的に内部調査を行った。ところが、その結果を経営会議で発表したら、「今日の発表は中止だ」と言われ、資料もすべて取り上げられた。さらには、院長に別室に呼ばれて「お前はもうここの人間ではない」と、解雇を言い渡された。

 当然、不当な解雇と考えて始まった病院との裁判は、それからなぜか定年問題を争点にしたおかしな裁判になってしまい、3カ月で終わるかと思っていたが、10年もかかった。「俺はここの人間だ」「お前はここの人間ではない」という針のむしろみたいな職場環境で、副院長室を奪われ、屋根裏部屋の座敷牢みたいな部屋に追いやられ、日々、不条理と向き合い続けた。辛かったよ。でもこの座敷牢の10年がなければ、一皮むけることはなかっただろう。負け惜しみではなく、本気で順風満帆な外科医のままではなくて良かったと、心からそう思う。

順風満帆な外科医のままでは
“延命大国日本”の現実分からなかった

――なぜ、辛い10年間を良かったと思えるのですか。

 「本当の医療とは何か」という問いに、じっくりと向き合えることができたからだ。

 これも「点と点」の話で、おそらく最初の点となる人だが、当時の大東亜共栄圏の理想に燃えるも、体を壊して満州国から強制送還された若い教師がいた。彼は私の小学校高学年の時の担任で、非常に厳しく、教育熱心な人だった。「病気になるまで勉強してみろ」「飯の1回や2回食わなくてもいい」「どうせなら高い山に登れ」と、毎日こんな調子だった。厳しかったが、彼の教えがあったからこそ、いつだって本物になりたい、価値ある存在になりたいと望むようになった。自分に嘘が付けなくなった。

 外科になって、最先端で一流の技術を身に付けてきたと思う。外科医として、恥じることのない仕事をしてきたつもりだ。ただ、例えば動脈硬化の手術をすると、治してはいるものの、「本当に治しているのか?」という疑問を拭い去ることはできなかった。動脈硬化は、老化の一種だ。老化の自然の摂理に、医療技術がどこまでかかわっていくべきなのか――。高齢患者に「命を粗末にするのか」と言わんばかりに手術を勧め、こなしていく一方で、「本当にこれでいいのか」「患者は手術を望んでいるのか」「そこに医師の傲慢はないか」と、医療の意味を考えざるをえなくなり、疑問は日に日に膨らみ、何をしても腑に落ちない思いだった。そんな折に、芦花ホームから声がかかった。

――芦花ホームではどのような経緯で「平穏死」を推進するに至ったのですか。

 来てすぐに驚いた。スタッフのほとんどが入居者家族からのクレームを恐れて萎縮し、責任回避を第一に考えて病院に送り、胃ろうが増産される――。日本中に何十万人もいると言われている胃ろう造設者、“延命大国日本”の縮図が、そこにはあった。

 座敷牢に10年もいたんでね、もはや怖いものなど何もない。これは一つ暴れてやろうと思ったよ。黙っていられなくなってね。スタッフたちに「やりがいはあるのか」「こんなことでいいのか」と、すぐには伝わらないが、それでもしつこく言い続けた。

 人間、真剣になると不思議なことに、助け舟が出るんだ。この時はスタッフたちが一番恐れていた入居者家族の中から出た。「平穏死」の考え方が当たり前の三宅島出身の家族との看取りの経験、わたしは「侍」と呼んでいるんだが、その侍が姉さん女房の胃ろう造設を断って最後まで口から食べさせ続けて看取った経験。彼らを通じて、「平穏死」というものがあるということを、芦花ホームのスタッフ全員が知り、その重要性に気が付き、息を吹き返したようにやりがいを取り戻していった。

 平穏死にたどり着いた理由は、一言で語ることはできない。さまざまな点と点があったからこその帰結だから。一つ言えることは、さまざまな点において本質を見誤らないようにすることだ。本質を見誤り、正直でなかったり、正しくなかったり、時代の流れに逆行するような考えに捕らわれると、例外なくおかしな方向に人生は流れていってしまう。たとえおかしな方向に流れてしまっても、次にくる点で本質を見誤らないようにすることだ。日本の医療や社会も過保護に高齢者を扱い過ぎるから、おかしな方向に流れていってしまう。

人生の「点」で本質見誤らなければ
点と点が結びつき正しい方向に向かう

――2013年から慶應義塾大学で教鞭を握るとのことですが、何か準備などされているのですか。

 実は、今年から慶大医学部の1年生を何人か芦花ホームで預かる機会を得た。今後の日本の医療を担う若い医療者の卵たちだ。「よっしゃ!」と思い、恩師の真似事だが、言ってやったよ。「お前たちは若いから使い減りはしない。飯の1回や2回食わなくてもいい、全力で学んでいけ」ってね。病院では学べない、看取りの特養でしか知り得ない現場を知ってもらい、おむつの取り替えだろうがなんだろうがやってもらって、全力で患者と向き合わせた。そうすることでしか味わえない「医者になる」という実感と覚悟をしっかりと持ってもらいたかった。大変だったろうと思うけど、喜んで帰っていったよ。いい医者になると思うよ、彼らは(笑)。

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パチンコ監視条例

2013年03月27日 01時56分32秒 | 
パチンコ監視条例の蓬莱市長 「娯楽」とギャンブル依存は別物〈AERA〉
dot. 3月19日(火)7時19分配信

 生活保護や児童扶養手当をパチンコやギャンブルなどの遊興に使って生活が立ち行かなくなっている人に気づいたら、役所に一報を──。市民にそんなことを義務づける兵庫県小野市の「福祉給付制度適正化条例」案に対し、全国で賛否の声が噴出している。

「市民が相互に監視する社会を作りたいのか」「個人生活の侵害だ」といった批判から、「受給者に生活費の散財を禁じるのは当たり前」と支持するものまで、条例案が明らかになった2月下旬から3月15日までに、全国から同市に届いた意見は千件を超える。約7割が賛成だ。

「知り合いに『ちょっと困っているんや』と言われて3万円貸したとしますよね。2時間後にその人がパチンコ店から出て来るのを見たらどう思います?『それはないだろう』と言うんとちゃいますか」

 条例案の狙いについて尋ねると、蓬莱(ほうらい)務市長(66)はこう話し始めた。

 生活保護費は、国が4分の3を、市区町村が4分の1を負担する。今回の条例案からすると、小野市もさぞ、受給者数や不正受給の増加に頭を痛めているかと思いきや、そうではないと蓬莱氏は言う。

「生活保護の受給率は、全国平均が1.67%ですが、小野市は0.29%。県内では41市町で2番目の低さです。不正受給だって決して多いとは思っていません。市の財政も健全で、基金残高は過去最高レベルの約85億円です。生活保護費を削ることが条例の目的とは違うんです」

 蓬莱氏の発想の根底にあるのは、自立や生活維持のための生活保護費をパチンコやギャンブルにつぎ込むのは、税金の「目的外使用」という信念だ。さらにその背後には、ギャンブルは簡単に生計の基盤を脅かすとの認識がある。

「私もかつていろんなギャンブルをやって大負けした経験があるから、ギャンブルの恐ろしさがわかるんです。身近なパチンコだって、今はすぐに2万円も5万円もすってしまう。パチンコを『娯楽』と言って生存権にからめて語るのは、現実を知らない議論です。ギャンブルにお金をつぎ込む人は依存症だから情報提供に意味はない、と言う人もいますが、依存症だと思ったら一緒に病院に行ってあげたらいいんですよ。受給者は医療費が無料なんですから」

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受動喫煙ー③

2013年03月27日 01時41分00秒 | 私自身や健康
「受動喫煙-(3)」
サービス業の被害深刻 
産業医大の大和浩教授 

 迷惑なだけでなく、周囲の人の健康まで損ねてしまうたばこの煙。受動喫煙を防ぐための日本の対策は、諸外国に大きく後れを取っているのが現状だ。産業医大産業生態科学研究所 の大和浩教授に課題や展望を聞いた。
 
  ―2月に厚生労働省が受動喫煙対策に関する通知を出した。
 「まず公共施設や病院の全面禁煙化の広がりが期待されます。次に不特定多数が利用する『公共的』施設、つまりサービス産業を考えねばなりません。完全禁煙の飲食店や居酒屋は少数派です。喫煙者の利便性よりも、たばこの煙が充満する環境で一日中働くサービス業の従業員を、受動喫煙の被害から守らねばなりません」
 ―サービス業の受動喫煙の実態は。
 「私たちはファミリーレストランの禁煙席と喫煙席のテーブルの上、そして、その両方を行き来する従業員の胸元に小型の粉じん計を付けてもらい、受動喫煙の濃度を測定しました。禁煙席にも煙が広がっているのは予想通りでしたが、深刻なのが従業員個人の暴露です」
 「注文を聞いたり、テーブルにかがみ込んで接客したりする際に、灰皿のたばこから立ち上る煙や客が吐いた煙を直接浴びるため、禁煙席の平均的な数値より数倍高い濃度にさらされていることが分かりました。あるファミレスの調査では、世界保健機関(WHO)が健康影響がないレベルとする粉じん濃度の25倍(瞬間値)を超えることもありました」
 ―ほかの業種では。
 「ロビーや廊下が禁煙のホテルの、宴会場で働く仲居さんに粉じん計を付けてもらったこともあります。個室の客15人のうち6人が喫煙者で、仲居さんが個室に入ると粉じん濃度が急上昇し、廊下に出ると下がる現象が繰り返されました」
 「個人暴露の最大値は許容レベルの28倍でした。神奈川県受動喫煙防止条例ではホテルのロビーや廊下は全面禁煙ですが、個室宴会場は適用が除外されており、今後の課題です。カナダでは、受動喫煙で肺がんになったウエートレスが喫煙者を告発するコマーシャルが流され、飲食店の全面禁煙が広がりました。喫煙者は煙の中で長時間働く人をもっと思いやってほしい」
 ―今後の展望は。
 「日本は海外に比べ対策が大幅に遅れていますが、公共の場所の全面禁煙は止められない流れです。神奈川県では全面禁煙にする外食チェーンも出ました。条例制定の動きはほかの自治体にも広がり、対応する外食チェーンも増えると思います」
 「規制に反対する人たちは売り上げが落ちると主張しますが、米マサチューセッツ州では飲食店の全面禁煙後に客数が若干増え、納税額に変化はなかったとの報告があります。日本も早く『受動喫煙防止法』を制定すべきです」(共同通信 吉村敬介)(2010/4/6)
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受動喫煙ー(2)

2013年03月27日 01時34分06秒 | 私自身や健康
「受動喫煙-(2)」
"いわゆる分煙"効果なし 
産業医大の大和浩教授 

 迷惑なだけでなく、周囲の人の健康まで損ねてしまうたばこの煙。受動喫煙を防ぐための日本の対策は、諸外国に大きく後れを取っているのが現状だ。産業医大産業生態科学研究所 の大和浩教授に課題や展望を聞いた。
 
   ―建物内に喫煙室を残すような分煙で受動喫煙は防止できるか。
 「世界保健機関(WHO)は『喫煙室の設置や空気清浄機の使用では受動喫煙を防止できず、建物内を100%禁煙とする方法以外に手段はない』と勧告しています。企業や官公庁が建物内に喫煙室を設置していますが、煙が禁煙エリアに漏れ出すのは避けられず、こうした"いわゆる分煙"では受動喫煙を完全に防止することはできません」
 ―ほかに身近な例は。
 「新幹線では多くの人が閉ざされた空間で長時間を一緒に過ごします。東北新幹線や上越新幹線、九州新幹線などはすでに全面禁煙に踏み切りました。一方で東海道・山陽新幹線には喫煙車が残っていたり、喫煙室が設置されたりしています」
 ―喫煙車の問題は。
 「新幹線は車両をつなぐデッキ部分と客席のエアコンがつながっており、デッキに排気口と吸気口があります。このため喫煙車の両端のデッキは、ドアが閉じた状態でも客席のたばこの煙で汚染されます。仕切りがないため煙は隣の禁煙車のデッキまで拡散し、エアコンを通じて禁煙席を汚染します。私たちの測定では、禁煙車でも厚生労働省の喫煙室の基準を超える濃度になる場合があることを確認しました。これでは"受動喫煙車"と呼ぶべきです」
 ―喫煙室の問題は。
 「東海道・山陽新幹線の最新型車両、N700系は全席禁煙ですが、喫煙室が4カ所にあります。自動ドアで仕切られ、内部の気圧が低くなるように設計されていますが、実際に測定すると煙がデッキに大量に漏れていることが分かりました。ドアが閉じている時は煙の漏れはありませんが、喫煙者が出入りする際にドアが全開になって漏れ出すほか、喫煙者が肺に充満した煙を吐きながら出てくるためです」
 ―客席への影響は。
 「喫煙室に最も近い席では、汚染されたデッキと変わらない濃度の煙が検出されました。また、狭い場所でたばこを吸うと、髪や衣服に大量に付着した煙の粒子から、ベンゼンやホルムアルデヒドなどガス状の有害物質が長時間にわたって揮発します。こうした残留たばこ成分を周囲の人が吸い込むことを3次喫煙といいます」
 「建物内の喫煙室でも同じことが起きており、新たな被害として注意が必要です。煙が充満した場所での喫煙は、本人にも良くありません。安易な分煙は喫煙者と非喫煙者の健康をともに損ねます」(共同通信 吉村敬介)(2010/03/30)
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