小説は感じてもらうもの 性愛突き詰めた渡辺さん
共同通信社 2014年5月7日(水) 配信
愛を掘り下げ、性を突き詰めた。引かれ合い、落ちていく「男と女」にこだわり続けた渡辺淳一(わたなべ・じゅんいち)さん。理屈では割り切れない人間の内面を探りたいという、終わりのないテーマを追い求めた作家人生だった。
原点は、30代半ばまでの医師時代にあった。死を前にした患者が、愛する人に手を握ってもらって穏やかな表情を浮かべるのを見て「死という不安や恐怖にかろうじて対抗できるのは愛だ」と悟ったという。
死と表裏の関係にある愛を小説に書く。そのときに最も大切にしたのは「理を書かない」ということだった。晩年のインタビューで、その理由をこう語っている。
「人を好きになるというのは、単にきれいだとか金持ちだとかの問題ではない。理屈で説明できないのが愛やエロスであって、好きになっていく過程の非論理こそが最も文学的。小説は説明するものじゃなくて、感じてもらうものなんだ」
サラリーマンをくぎ付けにした「失楽園」や「愛の流刑地」、老年の性的不能を題材にした「愛ふたたび」など、叙情的な文章でつづる情念の世界と濃密な性描写は絶大な反響を呼んだ。
渡辺さんの恋愛小説が読者を引きつけたのは、単に性描写が刺激的だったからではない。変化する男女関係。衰えゆく肉体。欲望、嫉妬、孤独―。そこに人間の本質が色濃く表れる。「男女小説という永遠のテーマを持てたから幸せだったね」としみじみ語っていた。
実体験がもたらすリアリティーを重視し、恋愛をエネルギーに小説を書いてきたという。文学賞のパーティーではいつも銀座のホステスに囲まれ、華やかな文壇の中心にいた。長く選考委員を務めた直木賞の受賞パーティーでは、壇上から若手作家らに「良い意味で下品になってほしい。欲望が作家の原点だ」とハッパを掛けた。
当時73歳の渡辺さんに、今も恋愛中ですかと尋ねた。「もちろん」。即答したときの照れくさそうな笑顔が忘れられない。(加藤義久 共同通信記者)
渡辺淳一さん死去、愛と生を見つめ続けた
読売新聞 2014年5月7日(水) 配信
恋愛小説の第一人者、渡辺淳一さんが亡くなった。男と女の奥深い関係に人間の本性を探究した壮絶な作家人生だった。
男と女をテーマとする理由を「僕が女性を愛しているからだ」と語っていた。その原点は、札幌の高校生の時の同級生への初恋。天才少女画家と言われ、「阿寒に果つ」のモデルともなった彼女は複数の男とつきあいながら、渡辺少年を誘惑、翻弄し北海道・阿寒の地で自ら命を絶った。以来、「愛は常に移ろう虚(むな)しさがある」との思いは消えなかった。
札幌医大の学生時代、解剖実習を通じて人間とは何かと考え、本格的に小説を書き始めたが、1959年に医師となり整形外科医として札幌医大などに勤務。66年「死化粧」が芥川賞候補となり、医療をテーマに作品を発表するようになった。
同医大の日本初の心臓移植手術を批判して、大学にいづらくなり69年に専業作家を目指して上京。伝記小説でも評価を得たが、川端康成、谷崎潤一郎らへの傾倒などから、次第に恋愛小説を主軸に。京都・祇園へ通って伝統文化に触れ、「化粧」などを発表。華麗なエロスを目指した「ひとひらの雪」では、日本的な女性が崩れ落ちる美を表現しミリオンセラーに。デビュー30年目に書き始めた「失楽園」では、性愛の世界を突き詰めた心中を描き、「生きている限り、愛が絶対にぶれないという保証はない」とも話していた。
実体験をベースに小説を書くことが多く、79歳で刊行した「愛ふたたび」では、自身に重ねて高齢男性の新しい愛の発見を描いた。「我が身を内側までえぐる」ことで愛を追求しようとした思いは、終生不変。79歳で死去した谷崎も書けなかった世界に、これから挑もうとしていた。
「失楽園」「ひとひらの雪」、渡辺淳一さん死去
読売新聞 2014年5月5日(月) 配信
「失楽園」「ひとひらの雪」など男女の関係を突き詰めた恋愛小説などで知られる作家の渡辺淳一(わたなべ・じゅんいち)さんが4月30日午後11時42分、前立腺がんのため東京都内の自宅で死去した。 80歳だった。告別式は近親者で済ませた。喪主は妻、敏子さん。後日、お別れの会を開く予定。
北海道生まれ。札幌医大卒業後、整形外科医の傍ら同人誌に作品を発表、1965年、「死化粧」で新潮同人雑誌賞。上京後の70年、「光と影」で直木賞を受賞し、医学小説を開拓した。素顔の野口英世を描く「遠き落日」(吉川英治文学賞)など伝記文学も手がけたが、80年代からは成熟した男女の恋愛に着目。「ひとひらの雪」「桜の樹の下で」など、中高年の性愛にメスを入れる話題作で、「新しい情痴文学」と称された。
97年に刊行の「失楽園」は男女関係の壮絶な描写が反響を呼び、上下巻計260万部を超すベストセラーに。映画やテレビドラマもヒットし、中高年の不倫を意味する「失楽園」は流行語大賞に選ばれた。
共同通信社 2014年5月7日(水) 配信
愛を掘り下げ、性を突き詰めた。引かれ合い、落ちていく「男と女」にこだわり続けた渡辺淳一(わたなべ・じゅんいち)さん。理屈では割り切れない人間の内面を探りたいという、終わりのないテーマを追い求めた作家人生だった。
原点は、30代半ばまでの医師時代にあった。死を前にした患者が、愛する人に手を握ってもらって穏やかな表情を浮かべるのを見て「死という不安や恐怖にかろうじて対抗できるのは愛だ」と悟ったという。
死と表裏の関係にある愛を小説に書く。そのときに最も大切にしたのは「理を書かない」ということだった。晩年のインタビューで、その理由をこう語っている。
「人を好きになるというのは、単にきれいだとか金持ちだとかの問題ではない。理屈で説明できないのが愛やエロスであって、好きになっていく過程の非論理こそが最も文学的。小説は説明するものじゃなくて、感じてもらうものなんだ」
サラリーマンをくぎ付けにした「失楽園」や「愛の流刑地」、老年の性的不能を題材にした「愛ふたたび」など、叙情的な文章でつづる情念の世界と濃密な性描写は絶大な反響を呼んだ。
渡辺さんの恋愛小説が読者を引きつけたのは、単に性描写が刺激的だったからではない。変化する男女関係。衰えゆく肉体。欲望、嫉妬、孤独―。そこに人間の本質が色濃く表れる。「男女小説という永遠のテーマを持てたから幸せだったね」としみじみ語っていた。
実体験がもたらすリアリティーを重視し、恋愛をエネルギーに小説を書いてきたという。文学賞のパーティーではいつも銀座のホステスに囲まれ、華やかな文壇の中心にいた。長く選考委員を務めた直木賞の受賞パーティーでは、壇上から若手作家らに「良い意味で下品になってほしい。欲望が作家の原点だ」とハッパを掛けた。
当時73歳の渡辺さんに、今も恋愛中ですかと尋ねた。「もちろん」。即答したときの照れくさそうな笑顔が忘れられない。(加藤義久 共同通信記者)
渡辺淳一さん死去、愛と生を見つめ続けた
読売新聞 2014年5月7日(水) 配信
恋愛小説の第一人者、渡辺淳一さんが亡くなった。男と女の奥深い関係に人間の本性を探究した壮絶な作家人生だった。
男と女をテーマとする理由を「僕が女性を愛しているからだ」と語っていた。その原点は、札幌の高校生の時の同級生への初恋。天才少女画家と言われ、「阿寒に果つ」のモデルともなった彼女は複数の男とつきあいながら、渡辺少年を誘惑、翻弄し北海道・阿寒の地で自ら命を絶った。以来、「愛は常に移ろう虚(むな)しさがある」との思いは消えなかった。
札幌医大の学生時代、解剖実習を通じて人間とは何かと考え、本格的に小説を書き始めたが、1959年に医師となり整形外科医として札幌医大などに勤務。66年「死化粧」が芥川賞候補となり、医療をテーマに作品を発表するようになった。
同医大の日本初の心臓移植手術を批判して、大学にいづらくなり69年に専業作家を目指して上京。伝記小説でも評価を得たが、川端康成、谷崎潤一郎らへの傾倒などから、次第に恋愛小説を主軸に。京都・祇園へ通って伝統文化に触れ、「化粧」などを発表。華麗なエロスを目指した「ひとひらの雪」では、日本的な女性が崩れ落ちる美を表現しミリオンセラーに。デビュー30年目に書き始めた「失楽園」では、性愛の世界を突き詰めた心中を描き、「生きている限り、愛が絶対にぶれないという保証はない」とも話していた。
実体験をベースに小説を書くことが多く、79歳で刊行した「愛ふたたび」では、自身に重ねて高齢男性の新しい愛の発見を描いた。「我が身を内側までえぐる」ことで愛を追求しようとした思いは、終生不変。79歳で死去した谷崎も書けなかった世界に、これから挑もうとしていた。
「失楽園」「ひとひらの雪」、渡辺淳一さん死去
読売新聞 2014年5月5日(月) 配信
「失楽園」「ひとひらの雪」など男女の関係を突き詰めた恋愛小説などで知られる作家の渡辺淳一(わたなべ・じゅんいち)さんが4月30日午後11時42分、前立腺がんのため東京都内の自宅で死去した。 80歳だった。告別式は近親者で済ませた。喪主は妻、敏子さん。後日、お別れの会を開く予定。
北海道生まれ。札幌医大卒業後、整形外科医の傍ら同人誌に作品を発表、1965年、「死化粧」で新潮同人雑誌賞。上京後の70年、「光と影」で直木賞を受賞し、医学小説を開拓した。素顔の野口英世を描く「遠き落日」(吉川英治文学賞)など伝記文学も手がけたが、80年代からは成熟した男女の恋愛に着目。「ひとひらの雪」「桜の樹の下で」など、中高年の性愛にメスを入れる話題作で、「新しい情痴文学」と称された。
97年に刊行の「失楽園」は男女関係の壮絶な描写が反響を呼び、上下巻計260万部を超すベストセラーに。映画やテレビドラマもヒットし、中高年の不倫を意味する「失楽園」は流行語大賞に選ばれた。