2月11日「建国記念日」ってどんな日、その成り立ちとは? 正しくは「建国記念の日」だった
「建国記念日」の起源
「国民の祝日に関する法律」では、2月11日を建国記念の日とし、“建国をしのび、国を愛する心を養う日”として定めています。すると、日本という国は2月11日できたということなのでしょうか? 2024年アナタは本厄?【厄年一覧表】付き 事故に遭う、大病を患う、災いが起こる…厄年の意味と正しい過ごし方 日本の建国の前に、まずは世界の建国記念日について紹介したいと思います。ニュージーランドの建国記念日は2月6日で「ワイタンギデー」といいます。ニュージーランドを植民地としていたイギリス政府とマリオ族とので武力衝突が起こり、その終結のためにワイタンギという街で条約が結ばれました。それが1840年2月6日だったのです。つまり、2月6日はニュージーランドがイギリスから独立した日です。 続いて10月3日のドイツの建国記念日をご紹介しましょう。第二次世界大戦で大敗したドイツは、アメリカ、イギリス、ソ連、フランスの4カ国で分割管理されることになったのですが、アメリカ、イギリス、フランスの西側諸国が占領する地域は資本主義を国家体制として戦後復興が目指したのに対して、社会主義体制がとられたソ連が占領する地域では経済の発展が進みませんでした。結果、多くの人がソ連占領地域からもう一方に逃れるようになってしまったのです。当時の二大国家アメリとかソ連の対立も影響し、ベルリンの壁が築かれ、ドイツは東西に分断されてしまいました。その後40年の時を経て、東ドイツが西ドイツに組み込まれる形で再統一さることになり、統一条約に調印がされてドイツ共和国が誕生したのが1990年10月3日です。
日本の「建国記念の日」成り立ち
ここからは、日本の建国記念の日の成り立ちについて紹介しましょう。
2月11日は初代天皇とされる神武天皇が即位した日です。神武天皇は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫にあたる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の3代目にあたり、幼名は神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)といいます。
今の宮崎県周辺に暮らしてみましたが、東方に美しい地があることを知り、天下を治めるための旅に出ることを決意するのです。地元の豪族の抵抗にあって兄弟を失うなど、旅の途中ではいくつもの困難が起こるものの、それらを乗り越えて大和の地に到着。そこで都づくり、橿原宮(かしはらぐう)を建て、そこで初代天皇に就いたといわれています。それが「辛酉年春正月庚辰朔」。つまり、旧暦の紀元前660年1月1日。その即位日を明治になって新暦で換算したところ、2月11日になったとのこと。
ただ、ここまでの話は日本に現存する最も古い史書「古事記」と「日本書紀」に書かれていたものであって、史実とは限りません。先ほどのニュージーランドやドイツの例に比べると、日本が建国された日とされている日にちは確証が取れていないのです。2月11日を建国の日と認められないという意見の人も多いため、この日は「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」と曖昧な表現になっているのです。 厳密にいうと、「国民の祝日に関する法律」では「建国記念の日」を2月11日とは定めておらず、「政令で定める日」としています。この政令が指すのは、昭和41年に公布された「建国記念の日となる日を定める政令」のこと。この政令の公布までには、審議会で何度も審議・答申が重ねられ、2月11日となったという経緯があります。
「建国記念の日」の元となった「紀元節」
「建国記念の日」が制定されたのは戦後です。明治6年から昭和23年にGHQによって廃止されるまでは「紀元節」と呼ばれる祝祭日でした。その名前になったのは、神武天皇が即位した日を紀元としているためです。皇居では宮中行事が行われ、「紀元節の歌」を歌うなどのお祝いの行事があちこちで行われていました。 この「紀元節」は現在でも全国の神社で行われています。特に、神武天皇が即位したとされる橿原宮があったとされる場所に建立された橿原神宮では、最も重要なお祭りとして執り行われています。 2月11日に神武天皇が即位したかどうかの真偽はさておき、日本という国が建国された日がわからないほど歴史が古いということは確かなこと。この機会に日本神話を読んだり、神社で行われている紀元節祭に参加してみたりするといいでしょう。
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