米の香りが漂う庄内平野と、その奥にはボクを見送るように鎮座する月山です。
何となく一段落がつき、天気予報を観ながら、この日しかないなと決めていました。
ほぼ五か月振りのツーリング。
急に秋めいてチビも一人で留守番できそうだし、今日はちょうどカミさんも休みだしね。
間が空きすぎて、次々と視界を横切る情報の多さに少なからず緊張しています。
走行中の寒さは予想していたけど、最上川峡から県境辺りまで広がる霧は想定外でした。
低く垂れこめた霧雲が日差しを遮り、気温は15度を下回り寒い。まだ8月だっちゅーの!!
鳴子峡辺りでようやく日差しに温かさを感じたけれど、冷えた体はなかなか温まらないよ。
鳴子温泉に入ってまもなく、国道47号沿いにある大きな駐車場で小休止。
一関まで76キロ? ボクは一迫の方へ抜けるので、20キロほど短縮になるはずだよ。
間もなく岩手との県境というところでマスクを忘れたことに気づき、コンビニに寄った。
広~い駐車場の隅に、「奥道中歌(おくどうちゅうか))」と刻まれた石碑があります。
「奥道中」は、江戸から始まる奥州街道のうち、仙台以北三厩までの区間の呼称とある。
区間中の名所を歌や絵にして盛り込んだものが「奥道中歌」で、その書籍もあるらしい。
石碑の傍の金成地区観光案内図には、歴史民俗資料館はじめ史跡旧跡の位置が記されている。
杉目太郎の墓、津久毛橋城跡、佐野遺跡・・・等々、初めて聞くものばかり。
いつの日か、時間を作って尋ねてみましょうか。
オ~イ、「間の悪い男」が来たゾー。おいしいコーヒーたのむよーー。
真柴にあるボク行きつけの「原下珈琲」に来たけど、ママさんは小用で蝦夷地へお出かけ中。
バラのアーチに吊るされた白い看板の「Welcome」の文字が虚しいねえ。
相変わらず、素敵なお庭ですね。
日差しも暖かいし、ここでゆっくり美味しいコーヒー味わいたかったなあ。
実は昨日、ママさんに行くことを伝えたとき、その旨は知らされていたけどね。
「間の悪い男だねえーーー」って言われてもねえ、ボクの旅心は止まんねーよ。
せっかくだから、ゆっくりお庭を楽しませてもらおう・・・、あれ?怪しまれているかなあ。
向いのあの奥様と目が合っちゃった。会釈だけはしておこう。でも、長居はできないなあ。
また近いうちに来るよ。マスターによろしく伝えてねえ。
ママさん不在で、今回は時間ができたので、一関市内を観てみよう。
これまでも何度となく横目で見ながら通り過ぎていた「釣山公園」
一関城址かなと思っていたら、藩主田村氏の居城は別のところあったとあります。
多くの緑に包まれたとても静かで落ち着く場所ですねえ。
ゴミひとつないきれいな公園です。清掃作業中の係りの人たちの姿もあります。
素晴らしいという頂上からの眺望を期待しながら、歩を進めました。
中腹の木陰に、ずいぶん苔の生した石碑がありました。
「愛犬の碑」とだけ刻まれていますが、その謂れは・・・
裏側に刻まれた岩手県一関保健所の文字を見つけ、理解しました。
ちなみに犬の致死処分数が一番少ない都道府県(2020)は、わが山形県で1頭。
30年も犬と暮らしているボクです。手を合わせずにはいられません、合掌。
古代から軍事上の要塞として利用されたとある通り、予想以上に急な坂道が続きます。
かなりの健脚の持ち主でなければ、毎日の散歩コースには出来そうもないですね。
いや、ボク等の年代が毎日ここを散歩したら、楽しみながら相当の筋肉がつくと思うよ。
高平小五郎は、明治大正の時代に活躍した一関生まれの外交官。
日露戦争後のポーツマス講和会議で小村寿太郎とともに条約調印に尽力したとある。
昔、小村寿太郎の活躍を描いた吉村昭著「ポーツマスの旗」を読んだことがある。
ならば、高平小五郎も必ず登場していたはずだ、読み返してみようか。
釣山頂上からの眺望、こちらは北西の方向かな。
須川温泉はあの山の頂上あたりでしょうか。
北の方向には、市街地を二分する磐井川。
7月の大雨によって被災した箇所の復旧工事でしょうかねえ。
東の方向にはJR一ノ関駅。駅名には確か「ノ」が入るんですよね。
ぐるり360度の眺望を期待したのですが、繁茂した木立が視界を遮ってしまいます。
眺望のために伐採するわけにもいかないしね・・・でも、ちょっと残念かな。
釣山公園を一通り観て、今、時刻は正午ちょっと前。
さて、この後は・・・・どうしましょうかね。
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