てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

チューインガムとマナー

2006-12-21 15:37:55 | ビジネスと社会
 21日付山陽新聞の読者欄へ、倉敷市の藤原都与志さんが「マナー低下のプロ野球選手」と題して、最近のプロ野球選手の身だしなみの悪さを嘆く一文を投稿していた。
 「外国人監督のベンチでガムをかむのはまだしも、かみながら風船のようにふくらませ、ベンチでつばを吐く…」というもの。
 私が常日頃、抱いていることを代弁しており、我が意を得たりだった。

 かくいう私はチューインガム(以下ガム)愛好家であり、ガムの咀嚼機能の効用は承知しているので、決してガムを否定はしないが、ガムを噛むにはエチケットが大切であると思う。
 それにつけても、ガムといえば30年ほど前の出来事が、脳裏に焼きついている。

 1977年(昭和52年)4月、岡山桃太郎まつりの一員として動員された。まつりのハイライトは9、10の両日繰り広げられる桃太郎天国であった。これには延べ95万人が繰り出すほどの盛大なもの。そのまつりでの一幕。

 私は本日のメインゲストを、ホテルニューオカヤマへ迎えに行った。すると濃いサングラスをかけて、ガムをクチャクチャと噛みながら、碌な挨拶もないまま無愛想に現れた。おおよそ描いていたアイドル歌手のイメージとはほど遠い、南○織(当時22歳)さんとの初対面であった。
 ところが6階から1階に着く直前のエレベータの中で、彼女はやおらガムを口から出し、見事に“南○織”に変身、待ち受ける大勢のファンの前に、にこやかな笑顔で飛び出して行った。

 先ほどの小生意気な態度との落差に唖然とした。そしてこれが華やかなスターの素顔であり、瞬時に切り替えられるところがプロのプロたる所以なのかと変な感心をした。
 当時の南○織さんは、長い黒髪と日焼けした健康的な肌で同世代の若者に絶大な人気を博していた。同時期にデビューした小○ルミ子さん、○地真理さんと合わせて「新三人娘」と呼ばれ、ブロマイドも爆発的に売れた。
 これから1年後に上智大学に入学し、学業に専念するために歌手を引退。1979年には写真家の○山紀信氏と結婚し、その後3児の母となった。

 私はガムを噛む時には、いつもこのシーンを想起し、服装と一緒でTPOに応じたマナーだけは忘れないでいるつもりだ。



コメント (7)
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