てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

庭木の管理

2007-09-09 10:11:31 | 暮らしと生活
 我が家には猫の額ほどの箱庭がある。狭いながらも日頃から害虫駆除の予防と、1年に一度の庭木の剪定は欠かせない。

 昨日は庭師2人、一日がかりで庭木をきれいに剪定して頂いた。親父の代から出入りしている庭師で、やはり二代目である。根っからの職人タイプで、寡黙ながら手際よく働く。朝8時前から仕事にかかり、この暑さにもかかわらず碌に休みもとらず、3時半頃には終了。

 庭に1本だけ残る松の木、どうも元気がないと思っていたら、どうやらアマコが付いたようだ。生き残っているような葉だけ剪定して貰った。

 一昨年には樅の大木が枯れた。一度は芽吹いた後、次第に変色し、夏の終わりにはすべての枝葉が枯れた。前年の剪定で2年分をバッサリ刈り込んだことが一因かと思っていたが、庭師の見立てでは根から幹へ虫が入っており、直径26㎝の大木を押すとグラグラ。やわらかい木はどうしてもやられ易いそうだ。

 十数年前には御用の松が1本松くい虫にやられて枯れた。母方の祖父が、わが庭の見事な松を見て、(母の)嫁入りを決意させたとのエピソードが残る。
 また、庭をリニューアルする際、造園業者をして「この松1本と交換で造園料を只にしてあげる」と言わしめたほどの松だった。

 樅の木は子どもの頃、弟とよく登って遊んだ大木だ。わが家のシンボルとも言える老木がまた1本姿を消し、続いて松の木に及んではならじと、今から間に合うかどうか分からぬが、今朝慌てて予防薬を施した。

 昨日の剪定くずは、大きなビニール袋に10袋になった。野焼きが市条例で禁じられているので、何回かに分けてゴミ収集日に出すしかない。これも剪定の後片付けと並んで大変な作業である。

 かつては庭に小さな池があり鯉を飼っていたが、池や濾過装置の定期清掃など水質管理に音を上げ、枯山水にした経緯がある。いくら狭くても庭や庭木の管理には手間とお金がかかる。これからは庭木の予防と併せて、庭木の剪定も自分で出来るように心がけたいものだ。


アマコにやられ元気のない松

門前にある2本目の松

西から見た庭

東から見た庭

北から見た庭

池を埋めて枯山水

一昨年枯れた樅の大木

剪定くず
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2通のメッセージ

2007-09-07 15:42:41 | ビジネスと社会
 8月12日に開催された岡山東商高第17期生の還暦同窓会の席上、欠席者からのメッセージが回覧されたのだが、併せて別途向井先生と平松政次からメッセージが寄せられていた。広い宴席の喧騒の中での披露であったため、十分に聞き取れず残念な思いがしていた。
 
 そこへ、小欄「2007/8/13還暦同窓会(後)」に目を留めてくださった幹事の一人・悦ちゃんから、本日両名のメッセージを届けて頂いた。当日聞き逃したり、欠席だった方のためにも、改めて原文のままご披露する次第。

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岡山東商高第17期卒業生のみなさんへ
 この度、岡山東商高第17期卒業生諸君の還暦を祝う会への出席のご案内を頂きましたが、日程の関係でご辞退いたしましたところ、宮武高夫君からメッセージでよいから送って欲しいとの依頼がありましたので、お祝いと私の近況を少しお知らせいたします。
 皆さんの絶大な声援を背に甲子園での春の選抜大会で優勝しましたことがついこの間のように思い出されますが、確実に42年の歳月が流れていることは事実であります。
 したがいまして、皆さんが還暦を迎えられたのも当然であります。還暦とは60年で再び生まれた時の干支に帰ることから、赤いチャンチャンコを着て赤ちゃんに帰るためのお祝いといわれています。その事からこれからの人生は赤ちゃんのように素直で純粋な心で行きぬくことを確認する機会でもあると思います。どうか今後は少しはゆとりを持って幸せにお過ごしになりますよう心からお祈りいたします。
 さて、私も皆様の一回り上の年男なのですが、現在仙台大学の学長の2期目を勤めており来年3月に任期が終わる事となっております。
 その後は、本来ならば長男でもあることから岡山に帰って田舎(総社市下倉)の整理や先祖の供養等をする必要があるのですが、東京での次の話も幾つかあり現段階では決めかねております。
 昭和49年に東商高を退職しましてからは、岡山県教育委員会、文部省、(財)日本オリンピック委員会、2002年ワールドカップ招致委員会の勤務を経て平成9年から仙台大学に勤務しております。お陰様で身体の方も何とか元気で若い学生諸君と楽しく毎日を過ごしております。
 私の72年の人生は本当にあっという間に過ぎ去ったというのが実感です。還暦を過ぎてからの1年1年は特に早く感じえられました。どうか皆さんにおかれてはその事を踏まえてこれからの1日1日を充実した日々にして頂き、末永くご健勝でご多幸であります事をお祈りいたします。
 最後になりましたが皆様の還暦を心からお祝い申し上げ、あわせて還暦を祝う会のご盛会を祈念しております。
  平成19年8月8日
                    仙台大学学長 向井 正剛

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皆さんお元気でしょうか。
我々が還暦を迎える、めでたい事ですが月日がたちましたね。
子供の頃は一日一日が成長し、はやく大きくなれとよく言われました。
いつ頃から、成長から歳をとる、老いていくと変わるのでしょうか。
いいえ変わりません。いつまでも成長していくのです。
還暦を迎えた人、これから迎える人も明日に向けて成長していきましょう。
私ははずかしながら還暦にして歌に又挑戦します。
9月7日にCDを発売します。
デュエット曲「トゥナイト・イン横浜」、「お前は可愛い奴さ」です。
どうか応援して下さい。
これから皆さんのご多幸をお祈りします。
今回欠席して申し訳ございませんでした。
 
                    平松 政次

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涼風(すすかぜ)

2007-09-06 14:00:11 | 暮らしと生活
 日中は厳しい残暑があるものの、日暮れが少しだけ早く感じられ、朝晩は秋を感じるようになった。 折りしも涼風(すすかぜ)を感じさせる話に出くわした。


 6日付のこんちゃんのブログで「幸せです ありがとう! 」と題して、息子さんの昨夜の善行を書いておられる。「友人を車で送る途中ネコを轢き、穴を掘って埋めてきた」そして同乗の友人は改めて「後で線香をあげておくといった」というもの。


 小生も似たような光景に出くわしたことがある。平成2年6月10日の日曜日のこと、国道をマイカーで走行中、反対車線路上に輪禍にに遭ったばかりと思しき猫が横たわっていた。思わず目を背けようとした瞬間、初老の紳士がタクシーから降り、小走りに駆け寄った。少しのためらいもなく両手で優しく抱え上げ、傍らの空き地の草の上にそっと横たえると、合掌の後、待たせたタクシーで立ち去った。

 よくあちこちで動物の無残なむくろを見かけるが、小生など「可愛そうに」とは思っても、直視に耐えず避けて通るのが精一杯である。それをわざわざ車を止め、素手で葬られたのである。咄嗟に医者か、あるいは神仏に仕える御仁かと思いを巡らした。

 いずれにせよ動物好きで、心の優しい、慈悲に満ちたお方に違いない。暗いニュースが多い中、心洗われる思いに、独りで黙っておれず山陽新聞の読者投稿欄へ寄稿し、13日付で掲載となった。


 こんちゃんの話には前段がある。先日の講演会で「幸せ」について良いことを聞いてこられたようで、その一つに「幸せです ありがとう!!って毎朝大きな声で5回言う」こと。冒頭の息子さん達の善行に対して、「(ネコの惨禍は天命と思い直し)幸せです ありがとう!」と言葉が出たそうだ。
コメント (10)
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夏山は呼んでいた

2007-09-04 15:40:00 | ホビー

常念岳(2,857m)

 1976年(昭和51年)夏、山の魅力にとりつかれた職場の面々8名は、台風9号の進路を気にしつつ信州へ向っていた。いつもなら素人ばかりのパーティーなのだが、この年は学生時代ワンゲル部のベテランI井(故人)が加わりリーダーを務める。

 目指すルートは、北アルプスの常念岳(2,857m)の山小屋に一泊し、翌日は蝶ケ岳、長塀山へと縦走して、上高地の徳沢へ下山の予定である。

 国鉄大糸線の豊科駅に着いたのは早朝4時過ぎ。須砂渡を経て一の沢小屋から河原や原生林の沢沿いにさか登ること4時間。最後の水場から道標を確かめつつ、胸突き八丁の急斜面を大汗をかきながら登り切る。
 高山蝶の舞う草原の陽だまりで昼食後、しばし微睡んでいるところへ、ラジオが台風9号の影響で天候異変を伝える。急いで岩山を縫って常念ピークをアタック。槍ケ岳や奥穂高連峰の大展望の絶景は山岳パノラマの極地であるが、いずれも尖塔はガスで神秘に装っていた。

 はたせるかな夜半には、激しい風雨を伴い稲妻が走り、雷鳴が轟く。空が白みかけても天候回復の兆しは一向にない。せっかくだからと強行突破を主張するB場先輩の意見を押し切り、縦走は断念して雨に打たれながら、道が川になっているほどの登山路を引き返し、無事下山した。
 一同冷え切った身体を松本・浅間温泉で暖めて人心地ついた。I井リーダーのもと、チームワークの良さで山の鉄則を守った正解を祝し、来年の北アルプスとの再会を祈って祝杯を上げた。

 この時の常念岳登山の様子は、メンバーの一人T山先輩が社内報(昭和51年7月30日号)に<雨にたたられ縦走を断念 北アルプスで販売の8人>と題して寄稿した。文中のメンバー紹介では、小生のことを「多彩な趣味をもつ、カシ棒男」とある。31年の時を経て、往年のカシ棒男は、ただの「でくのぼう」に成り下がった。

 年に一度のぶっつけ本番だからしんどかったが、頂上を極めた壮快感と見事なお花畑が忘れられず毎年楽しみにしていた。今でも時折、山毎に整理したアルバムを広げ、笠ケ岳登山の八ミリフィルムを回して余韻に浸ることがある。
 ずっと続けたかったが、山の上でのたわいない話が下界の上司へ筒抜けたことで興ざめし、以後同パーティーの顔ぶれに問題があると判断したのと、念願の槍ケ岳を制覇したことで最後となってしまったのは誠に残念だ。
 
【これまでの登山歴】
1973年(昭和48年)独立峰御岳山(3,063m)
1975年(昭和50年)北アルプス笠ケ岳(2,898m)
1976年(昭和51年)北アルプス常念岳(2,857m)
1977年(昭和52年)北アルプス白馬岳(2,933m)
1978年(昭和53年)北アルプス鹿島槍(2,890m)・爺ケ岳(2669m)
1979年(昭和54年)大山(5合目)
1980年(昭和55年)北アルプス槍ケ岳(3,179.5m)・燕岳(2762.8m)
1984年(昭和59年)大山(1,713m)


常念小屋にて

常念ピークを目前にして
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癒しグッズ

2007-09-03 19:46:00 | 暮らしと生活
 

 仕事で一日の大半をパソコンの前に座る人も多いと思う。御多分に洩れず、小生は仕事ではなく趣味でパソコンと付き合う時間が長い。その結果、結構目が疲れるし、肩が凝ったり腰痛からか、ストレスも溜まり勝ちだ。
 そんなときのために、ちまたでは「USBガジェット」と呼ばれるパソコン周辺グッズに人気が高まっているそうだ。

 3日付山陽新聞朝刊のくらしのページで、そんなオフィスに癒しを与えてくれるグッズの数々が紹介されている。
 オートバイのエンジンの形をした「USBエンジンハブ」(5,250円)は、「ブルルン」と排気音を響かせ、ギアチェンジやふかし音もリアルに再現したもの。
 ほかにも、かわいい犬がひたすら腰を振り続ける「ハンピングドッグ」や、人気玩具「黒ひげ危機一髪」のUSBバージョンまであるそうだ。

 小生のデスク横では、癒しの逸品として「さるぼぼ」が温かく見守ってくれている。以前、mariさんが「2006-09-28おさるの赤ちゃん」で紹介されており、飛騨の民芸品「さるぼぼ」の存在を知った。その直後に紅葉の信州路を訪れ、飛騨高山の道の駅で求めた“魔よけ・さるぼぼ”である。

 そこへ今度は、トマトさんのブログでも、「さるぼの絵手紙が届きました。そう言えば私もお土産で頂いたのがありました」の記事と併せて、「私らしくいきていこう」の言葉とともに、さるぼぼの絵が添えられていた。

 また、こんちゃんの所へは、あたかも帽子を被ったような「可愛いかぼちゃ」が届いたそうだ。こんなのが殺風景な机上にあると、パソコンに向って疲れたときなど、心が和むことだろう。

 ことほど左様に、人それぞれの疲れを癒してくれるものがおありだろうと思うが、さてあなたにとって“癒しの逸品”とは何でしょうか?
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