横浜田舎物語

サザン、サッカー、ロードバイク
エイジレスばあばのパワフルな日々
をお届けします

カテーテル検査で入院

2018-04-27 | 家族
横浜市の成人健診で心電図がひっかかった夫

近所の総合病院に紹介状を持って行ってきました。

そもそも最初の個人病院も、この総合病院も
あまり信用していなかったので本当にこのままでいいのだろうかと不安だけが・・

今年の暮れには70歳の大台に乗る夫です。

今でも毎日満員電車に揺られること1時間半、都内まで通勤しています。

1年半ほど前、心臓がキューンとすると言うので前々から聞いていた、かなりの名医がいるという
鎌倉の総合病院に行って来たのです。

その時は大したことはないから、定期的に見せるように言われ何事もなく来たのですが・・

心臓です。

つい先ごろ、俳優大杉漣氏が急性心不全で他界したこともあり、ちゃんと診てもらったほうがいいと
予約して行ってきました。

そして1泊2日の検査入院ということになりました。

初めての事なのでなにかと戸惑いました。特に付き添いは必要?

経験のある義姉に聞いたところ、全身麻酔だから付いて行かなければと言う

でも病院からの説明では何も書いてない

「行かなくていいよね」その日は友人とのランチ会があるし・・

たかが検査だよ、私のインプラントや股関節の手術に比べたら何ぼのもの?

男性は弱いですね、こういう時、普段偉そうにしてるから余計に

でもでも本当の所、そんな私も場所が場所だけに不安だったのです。

リスクは”歩いていて交通事故に遭うくらいの確率”ですって

「やっぱり一緒に行ったほうがいいみたいだよ」

何かあったときの対策なのか、心細いのか心中はわかりませんが
風雨が激しく傘が射せないほどの天候の中、病院に向かいました。

11時までに来院ください、でしたから、検査は午後一くらいかな?って思ってました。

しかし検査の人が多い、男性しか見かけません、男性の日?ってわけじゃないのでしょうが
その上、付添人がいる人なんてほとんどいない

同時に入室したおじさま方は、過去に経験済みだとかで話を聞いて安心したようです。

麻酔は局部だし、付いていても用事はないのです。
1時間ほどいて、帰宅しました。

まったく何しに行ったのか、ただ、翌日の退院時、医師から説明があるので、その時は家族同伴でとのことですから
病院へのアクセスがわかったことは唯一の成果でした。

検査が終わって、メールできるようになったら知らせてね・・

なかなか連絡が来ません。

結局始まったのは午後7時過ぎ、それから経過観察に4時間はかかると書いてありましたから
真夜中になってしまいます。

翌日、昨日ですが打って変わって快晴

電車も順調で最寄駅から2回乗り換えでも45分ほどで到着

医師からの説明に臨みました。

驚いたのはその場所、診察室など、しきりのある場所だろうと思っていましたから
まさかの受付カウンターの端っこ

パソコンモニターを見ながら詳しく説明してもらいました。
結果は全く問題なし、心配要素はないとのことでした。

結果が良かったからこんな場所で、人に聞かれても困ることはなかったけど
問題があったらどうなのでしょう

人の検査結果に聞き耳を立てる人はいないでしょうけど、ちょっと気になりました。

まあ、治療が必要なら別の場所で改めて話があるのでしょうけど

とにかくよかったです。安心しました。

それでも年齢を考えると注意しなければいけません。

夫の財布の中には私の精神安定剤と同様、お守り代わりのニトロが入っています。

持っていると安心、使うことがないことが一番、です。

2日間の出来事でしたけど、精神的にも肉体的にも疲れました。
自分の手術のほうが気が楽だったような・・

今回のことで、ほんとうにこれからはいつ何があるかわからないぞ、と痛感しました。

経過観察の必要もないので定期的な検査もやらなくていいそうです。
無知な私は胃カメラ検査と同様くらいに思ってましたから

心臓検査です。
何もないのにやるのはリスクが大きいのだそうです。

「お酒は?」

大事な質問です。たばこは吸いませんからお酒が問題

こちらも今まで通りで構わないとのこと、多分一番うれしかったかも

ということで、健康を保証されたご主人様、あと少し頑張ってくださいね。

帰り道、ちょうどランチタイムになったので・・

今年初めての冷やし中華食べました。



安心しておいしいと感じられる、感謝です。

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46年

2016-10-19 | 家族
1日過ぎてしまいましたが、昨日18日は結婚記念日でした。

なんとまあよく持ちました・・って毎年言ってるような気がしないでもないのですが

46周年です。

新婚さんからしたら気の遠くなるような年月ですね。

去年は45年の節目で旅行を決行しましたが、今年は姉のことがあったり、
その他諸々の事情から何もできないまま当日、これだけは忘れずに実行されました。





私的にはこれだけで十分です

最寄駅にはいい花屋がないので、一つ手前の駅で下車して、ウォーキングがてら歩いて帰宅しました。

特別なことはしなかったけど、このところお互いに体のことで、心配がつきません。

私は相変わらずセントラルに通って、見た目は元気ですけど、全く不安がないわけではありませんし
夫に至っては、最近心臓がおかしいとかで、明日、専門医に診てもらうと言ってます。

この病院は、友人のご主人が入院したことがある病院なので決めたのですが
通うことになると少し遠い

「ついていこうか?」「けっこうですよ」
「すぐ入院なんてことになったら困るでしょ」
「そんなこと、あるわけないよ」

こんな感じですから、私は明日もセントラルに行きます。

夫が偉いなと思うのは、少しでもおかしいと思ったらすぐに病院に行くことです。

その点私はだめですね。

いよいよにならないと行こうとしない、

間もなく68歳になりますが、いまだに都内まで仕事に行ってくれてます。

普段は言いたい放題、同い年夫婦の典型ですが、体のことに関してはそんなこと言ってられません。

緑内障があるので目薬は欠かせませんが、今の所、薬の服用は一切なし
明日の結果次第では、いよいよ常用薬のお世話になるかもしれません。

お酒は好きですが、たばこは何十年も前にやめましたから心臓にはそんなに負担はかかっていないと思うけど

改めて、健康が何よりを強く感じた46周年でした。




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お姉ちゃん、あっぱれでした。

2016-10-11 | 家族
10/8午後、たった一人の姉が旅立ちました。享年83歳でした。



長く患っていたわけでもなく、入院したと聞いてからたった4か月ほどの闘病生活でした。

昭和8年3月、6人兄弟の長女として静岡で生まれました。

末っ子の私とは16歳違い、母が妊娠するたびに、妹が欲しいと願ってきたそうですが
その後生まれた4人はすべて男子、ようやく念願かなって妹が生まれたころには
もうどうでもよかったらしく、後に「いまさらねえ」って思ったって、言ってました。

私が小学3年生の時嫁ぎましたから、姉と一緒の家にいたのはたった8,9年の短い期間でした。

父が若くして他界しましたから、幼い弟、妹たちにはわからない苦労があったようです。

「長女、長男の宿命なのよ、そのかわり父と長くいられたのだからしかたないでしょ」と
父親の面影すらわからない私は、よくそんな口をきいたものでした。

それでも姉のことが好きで、よく遊びに行ったものです。

歌が得意な姉でした。「ああ、あの歌が上手なお姉さんね」と、よく言われました。

一時はプロ歌手を夢見た頃もあったようです。

というのも、20歳前後だったと思うので、私がまだ幼児のころですが
NHKののど自慢で、静岡県代表になったほどの腕前でした。

残念ながら東海地方予選で敗れ、全国大会には出られませんでしたけど
歌謡曲の会などがあると、有名歌手の前座で歌っていたことは覚えています。

何にも前向きな人でした。

男前な人でした。

ある意味私とは正反対、このうじうじした性格を何とかしたい
どうしたら姉のように物事をスパッと切って前に進めるのだろうかと・・・

結婚してからも苦労の絶えない姉でした。

夫婦仲から子供たちも横道にそれたり、離婚問題も当然ありました。

しかし、どんなに辛くても「お父さんが悪いだけじゃない、私にも原因があるのだから」と
決して現実から逃げない人でした。

亡くなる2日前、姪から連絡があり、動脈瘤ができ、透析をしていても腎機能が低下し
腰も相当痛みだしたようなので、本人の希望で、すべての治療を中止することになったと

そして、最終手段をとるとのこと、もう時間がないことも知らされました。

すぐにでも飛んでいくべきか・・・悩みました。

本人は意識がしっかりしている、自分でその時を選んだ、そんな状況は
この小心者にはとても耐えられない

実家に連絡して、兄夫婦、それにすぐ上の兄夫婦、4年前に亡くなった兄の奥さん
もちろん、姉の子供たち、孫たち、ひ孫たち、みな揃って最後のお別れになったそうです。

「あなたがあの場にいたら、取り乱してたに違いないから来なくてよかったわ」後に実家の義姉から言われました。

姉は、そこにいた家族に「私の死にざまを見てちょうだい、疲れたからちょっと休んでくるから、また会えるから
また会おうね」と言ったそうです。

実家の兄には「待ってるからね、来てね」と

看護師さんに頼んでベッドごと屋上に連れて行ってもらい、空を見て、その後、その場にいた
4人の看護師さん一人一人に握手してお礼を言ったそうです。

その日の夕刻、すべての治療をおえ、安らかに眠るための注射を打たれ眠りについたそうです。

<やっぱり生きているうちに会いに行こう、渡したいものもあるし>
すぐ姪にメールして、<明日朝一で行くから、待ってるように言ってね>

ところがそれから一時間もしないうちに「さっき息を引き取りました」と泣きながら姪から電話がありました。

長く持って一週間だと聞いてました。
でも姪は「眠っているようでも、痛いんじゃないかと思うと早く楽になってほしい」と願っていたとも

ほんとうにただ眠っているようだとも言ってました。

姉はよく「死ぬことなんて全然怖くない、必ずまた生まれ変わってくるから」と話していました。

それでも人間、姉のように死ぬ時を自分で決めるなんて、そうそうできることではありませんし
普通ならぜったい恐怖はあるはず
なのに、姪の話では泣きじゃくる姪を逆に慰めてくれて、感謝してくれたとのこと

まさに、稀に見るあっぱれな死にざまでした。

安らかで、美しく、すべてに満ち足りたような、微笑んでいるような顔でした。

姉との思い出には涙した私ですが、顔を見たら安心しました。

人生、最後がすべて、終わり良ければすべて良しとはよく言ったもので

誰もが「こんなふうに亡くなって行く人を見たことがない、まるでドラマを見ているようだった」と

姪は入院時から「お母さんには散々心配かけて、苦労かけて、今こそ、その恩返しの時だと思っている」と
相当な覚悟を感じる言葉がありました。

退院したら自分が面倒見るんだと、だから絶対元気になってほしいとよく話していました。

仕事をしていないこともあって、この4か月、1日も欠かすことなく看病に通っていました。

姪自身もここに至るまでいろいろありましたが、お通夜の帰り、私を呼び止めた姪の一人息子J君

「おばさん、ありがとうございます。母がいつもおばさんからの一言一言がすごくうれしいって
ありがたいって言ってるので、僕からもお礼が言いたくて」

J君、なんていい息子なの、彼もまた辛い時期がありました。
それでもまっすぐにりっぱな青年に成長して、こんなふうに人の気持ちがわかる子に育ってくれた。

姪ももちろん偉かったけど、彼の祖母である姉の力もかなりあったのではと
翌日の葬儀の時、姉に話しかけました。

J君は葬儀の折、孫代表で弔辞を読みました。自分の言葉で、しっかりと・・・

「孫も、ひ孫もみんないい子に育ったね。お姉ちゃんの功績は大きかったね」

ああ、そういう私はどうだろうか、とても姉のような生き方はできない、
けど、少しでも近付くことができるよう努力しよう

葬儀屋さんから、出棺時に棺の中に入れるために折鶴折ってほしい、
その折紙にはメッセージを書いてほしいとのこと、

姉から「待ってるからね」と言われた実家の兄「もう少し待ってくれ」ですって
笑ってる場合じゃないけど、笑ってしまいました。

私はその場ではとても書ききれなくて、ホテルの部屋に戻ってから2枚にびっしり思いを綴りました。

<お姉ちゃんありがとう 辛いこともいっぱいあったけど、最後の最後、いい人生だったねって言えたね>

いろんなこと書いたけど・・思い出せない

きっと思いは通じたよね

「だんだんひとりずついなくなって、最後に残るの私?いやだなあ」と言ったら
「末っ子の宿命だからしょうがないよ」って孫から

寿命なんだから順番かどうかなんてわからないけど、やっぱり全員見送るの?

三兄が亡くなったとき姉が「順番じゃないからね、次は誰だかわからないけど
私は長生きするから」なんて言ってましたっけ

その姉が順番で逝ってしまった。

長兄は、火葬の直前「姉ちゃん、またな」って棺に向かって言ってました。

その「またな」は、順番で次にそっちへ行くよ、の、またな、なのか
姉が生まれ変わってまた会えるね、の、またな、なのか、私にはわかりませんが

兄には私とは全く違う思いがあるのだと想像できます。

お姉ちゃん、寂しいとは思うけど、もうちょっと待っててね、
そんなに次から次へとではこちらもたまらないわ

姉の死にざまは当分語り草になること間違いなしだと思います。

「こんな死に方をする人初めてだわ」誰もが驚いて、そして自分もこうありたいと思ったことでしょう。

お姉ちゃん お見事 あっぱれでした








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パソコン修理中の出来事

2016-10-04 | 家族
パソコン修理中の出来事です。

お彼岸休日の真ん中の平日、静岡に行ってきました。

用事は2件、まずは来年成人式を迎える孫のために、姪の着物を借りることと、その確認
確認と言うことは、本人が必要、

「新幹線に乗るの何年振りかなあ?」

どこに行くのも車の親でしたから、中学校の修学旅行以来?

ばーばはあなたと一緒はあれ以来ですよ・・・小学校卒業時の記念旅行・・
もう6年半も経ってしまったのね。

まだぎりぎり私の方が背高かったけど、今では見下げられています(笑)

実家に行くのも5年ぶりくらい、

いきなり「大きくなったねえ」って、もしもし、もう大学2年生なんですけど

実家の義姉が用意してくれてあった振袖、

実際見る前には「クリーム系?それって変色してそんな色になっちゃたんじゃないよね」
なんて、ふざけたことを言っていましたが

実物を掛けてもらって

「思ってたのと全然違う、すごく気に入った」そうでしたか、それはよかった

今年56歳になった姪が20歳の時に作った振袖です。

今は亡き母の見立てです。

手描き友禅です。刺繍とかきらびやかさはないけど、上品で優しい色遣いの花柄は
とても36年経っているとは思えません。

実はこの振袖のこともあって、着物の整理、タンスの買い替えとなったわけです。

足袋以外はすべて揃っています。よかったね、成人式が楽しみです。

そして、もう一つの目的、入院中の姉の見舞いです。

入院もすでに3か月が過ぎました。

一時は、これ以上延命治療は、本人も望んではいないし、苦しい思いをさせるくらいなら
静かに幕を引かせてあげたほうが・・と、姪から悲壮な電話がありました。

私たちも覚悟しました。

ところが・・なんという生命力か、無理かもしれないという治療が成功し、その先に進むことができて
最悪から脱出できたのです。

ちょうどリオオリンピックと高校野球が始まった頃の事

個室でしたが、集中治療室でしたからテレビは無い
すると

「オリンピックと高校野球が見たいからテレビを運んでほしい」と看護師さんにお願いしたそうです。

そのころからめきめき症状がよくなってきたとのこと

もう驚くばかりでした。

しかし、そうはいっても年齢的に厳しいことには変わりはなく、ずっと寝たきりだったこともあって
車いすにも30分~1時間くらいしか座っていられないとか

心配だったので、実家の義姉と、今回は孫も連れて病院に向かいました。

足は細くなってしまったけど、顔色もよく、頭の方はしっかりしているので
よく話します。が、入れ歯が入っていないので、時々聞き取れないこともあり
姪の通訳が必要だったり

でも、うちの孫のことはよく分かってくれました。

「まだまだこれからだからね、頑張るよ」と、さすがです。

こんなところ、亡き母に似ているな、と少し安心して

体調がよくなり次第リハビリ病棟に移動するそうです。

お姉ちゃん、頑張ってね、午前中お墓参りに行って<まだ迎えに来ないでね>って
両親と祖母に頼んできましたから

特に祖母は、初孫だった姉を可愛がっていましたから、もう少し待っててあげてね。と
念を押してきました。

慌ただしい帰省でしたが、中身は充実していました。

なにより、最近ではめったにできない、孫と二人きりでのお出かけが実現できたこと

いい思い出になりました。


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実家の兄夫婦が上京しました。

2015-11-30 | 家族
この土日はしっかり予定が入っていました。

まず土曜日は、静岡の姪から両親が東京に行くので、それに合流しませんか?と誘いがあり
リニューアルしてから初めての羽田空港に行ってきました。

もうずいぶん長いこと飛行機に乗ってないので行く用事もなかった

スカイツリーの時と同じく、姪の旦那さんのSちゃんの運転でやってきました。

我が家から羽田空港までは横浜で京浜急行に乗り換えて約1時間、横浜から直行便があるので
乗り換えは1度、便利になりました。

まずは仕事で東京に来ていた姪と合流、終点1つ前の国際線ターミナル駅で下車

羽田は何度も来ているはずなのに、全く別の所に来たみたい
あのころは国際線なんておまけみたいな感じだったからね

ハブ空港化したいと言った政治家がいましたが、あれから○○年、国際線は今では充実しているようです。




インフォメーションからすっかり有名になった江戸の町並み商店街に向かう道の両サイドは本物の竹が植えてあり
季節ごとに飾りが変わるのだそうです。

もちろん今はクリスマスバージョン



兄たちが到着、するとお揃いのオレンジチョッキを着た方々が

大田区から派遣されている空港案内ボランティアの皆さんでした。

少人数でグループ分けされ、そこに一人のボランティアの方が付いて案内してくれます。



自分たちだけでは到底わからなかったことをいろいろ教えていただき案内してもらえました。

いろんな種類のトイレまで、中にはこんなトイレもありましたよ。



中は広々していて、使用後に流すためのシャワーも付いてます。
めったに使うことはないらしいけど、至れり尽くせりですね。

近くまでは行かなかったけど、イスラム教の人のために礼拝室もあるそうです。

一番いい眺めの場所だと案内されたのは



多摩川が一望でき、うっすらですがクレーンの横に富士山が見えています。
せっかくの眺望ですが、手前に高層ホテルが建ってしまうそうです。

羽田はまだまだ進化の途中、埋め立ても進んでいるので、今、東京都で大田区が1番面積が大きいとか

羽田、懐かしい場所です。
ここから自転車で10分くらいの所に住んでいました。

夫は毎週日曜日になると長女を自転車に乗せて、空港のレストランでお子様ランチを食べ、
飛行機を見学することが恒例行事でした。



この景色は変わっていないかもしれませんね。

今年81歳になった兄と、78歳になった義姉、二人とも元気で本当にうれしいことです。
忙しい姪夫婦のために、6年生になったとはいえ、ほったらかしにはできない孫の面倒をいまだに見ています。
それがある意味、ボケ防止、張り合いになっているのかもしれません。

ボランティアの案内が終わってランチしました

”麺匠の心つくし つるとんたん”関西発祥のうどんチェーン店だそうですが、レストラン街の中でも1番人気らしく
かなりの人が並んでました。

女性群が買い物している最中並んでくれたのが姪の旦那さんのSちゃん、どっかの旦那さんとはえらい違いだわ
そのうえ、ごちそうになってしまいました。

一番オーソドックスなこれを注文



暖かい室内だったので冷たいうどんがのど越しよくおいしくいただけました。

私はここでお別れ、兄たちはこのあと神宮絵画館前の銀杏並木でやっている銀杏まつりに行くのだそうです。

元気でこの冬も乗り切ってほしいです。来年早々帰省しますからまたよろしくお願いしますね。

そしてまた、なかなか行けない東京にご一緒させてください。

Mちゃん、いつもありがとう おばさんにいつも気を遣ってくれてうれしく思ってます。
またよろしくね。

そして昨日の日曜日は・・・

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44年前の今日

2014-10-18 | 家族
今日10/18は44回目の結婚記念日です。

44年前の今日もいいお天気でした。

貯金もなく、家もなく、先の保証など何もない若いだけが取り柄の出発に
特に私の親や兄弟は危惧し、実家の兄は<まあ2か月もすれば泣いて帰ってくるだろう>
そんなふうに思っていたとか

母親に至ってはひたすら無念で、何のためにこの日まで育ててきたのかと嘆いたとか

そんな心配をよそに若さと健康、そして怖いもの知らずの二人の生活が始まったのは
1970年、東京大田区蒲田の4畳半一間の間借り生活

3歳で片親になったとはいえ、ろくな苦労もしないでのほほんと育った私
今となっては却ってそれがよかったのではと
ほんとの苦労を知っていたらこんな無謀な結婚はしなかったでしょう。

そんな二人でしたが、夫が少し偉かったのは生活の基盤ができるまでは子供は作らない
言われるままに共稼ぎの4年間が過ぎ、ようやく長女を授かることができました。

あれから40年・・・どこかで聞いたようなセリフですが

もちろん平坦な道ばかり歩いてきたわけでもなく、何度か危機にも見舞われたけど
何が本当の幸せなのかがようやくわかるようになったこの頃は、大きなもめ事もなく
穏やかに記念日を迎えることができました。

さて、我が家の結婚記念日と言えば毎年恒例のプレゼントがあるはずなのですが
今日は土曜日、なんだか今年は怪しい

ま、いいですけど、今年は我が家にとって大きな出来事があったし迷惑もかけましたし
よくやってくれたと思ってますからそれで良しとしなければ罰が当たるかもしれません。

このところ、ご主人が入院された、手術された、なんて話が頻繁に入ってきます。

我が家より少し上の年齢の方々に多いのですが、明日は我が身です。

考えてみれば夫が元気なうちに、今回の手術をやることができてよかったと思います。
もちろん明日のことはわかりませんが、私が健常者に近づくことによって心配事は一つなくなるし
もしも夫に何かあったとき、今度は私の出番になるでしょう。

結婚44周年は、お互いの気持ちがどうのより、健康が何より・・・年寄り臭いかもしれないけど
もう実際その域に入ってますから・・本音です。

と言ってましたら、夕方ふらっと出かけて行き1時間ほどして帰宅、手にはこれでした



ありがとうございます。 いつも買う店が駅周辺の整備で閉店、違う駅まで行ってくれたようです。

頑張って早く何でもできるようになるからね
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GW真っ只中

2014-05-04 | 家族
相変わらず調子の悪い脚のおかげで、このGWは予定が組めません。

それでも家族のちょっとした気持ちで連日うれしいことが

まずは週末の夜です。

居酒屋好きの夫の誘いで湘南台へ、今回は初めての店に挑戦してみました。

それがこちら・・駅から徒歩1分、小田急の線路沿いにありました





海鮮料理の店ですが、お酒も種々そろっていました。

もちろん日本酒冷で、今まで飲んだことのない種類があったので注文
ホットペッパーのクーポンで飲み物はすべて100円引きになりました。

勧められるままに普段より少し飲みすぎてしまったようです。

店の名前の木村さんはいずこに、彼は普段、東京の銀座1丁目の店にいるらしいけど、
この夜はたまたまこちらに来てました。

若いけど如才なくてなかなかの商売人、夫は調子よく、今度銀座の店に行くからと
どこまで本気かわからない約束までしてきたようです。

そして、昨日は愛しの孫が遊びに来てくれましたよ

外食も考えたのですが、先日からずっと、そのうち作るから、と約束していたこれを





中華風ちまきです。

かなり久しぶりだと思います。

だって、この皮、たしか一昨年の4月、横浜でオフ会やった時買ったものだと・・
そのくらい作ってなかったのね

前回来た時からリクエストがあったので、もち米を前もって用意しておきました。

どうせ作るならこの際・・結局もち米1袋分(1kg入り)全部作ってしまいました。

いただいたタケノコもあったし、全部で30個くらい、
適当に味付けしたけど、なかなかいい味に出来上がり大好評でした

孫も大喜びで、お土産にいくつか持たせました。

本当は今日、一緒に出掛けたかったのに、行き先に興味がないらしく断られてしまいました
今年は受験勉強もあるし、何かと忙しいらしい


仕方ないけど、ちょっとさびしいね
でも用事もないのに顔を見せてくれるのはやっぱりうれしい

また食べたい物作って待ってるから遊びに来てね

ということで、今日は娘と出かけてきました。

どこに行っても人ばかりですが、ここは人だけではないところです。   
 
続きはまた明日





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心霊写真?

2013-12-07 | 家族
我が家の一員になって間もなく2度目のお正月を迎える桜文鳥のクックウですが
先日籠から出して遊んでいるとき撮った映像



な、なんだこれは・・

心霊写真か

いや、単にシャッタースピードが彼女の動きについて行けなかっただけなのですが
ちょっとびっくりでした。

相変わらず相棒?の白文鳥マシューとは相性が悪く、子供は望めそうにもないので

「焼き鳥にしちゃうぞ~」と飼い主に脅されてますけど、嫌なものは嫌なんだから無理しなくていいのよ。

私がベランダに行くとすぐ近づいてきます。

犬猫ちゃんのようには懐かないけどそれなりに可愛いですよね。



牛乳が大好きなので、毎日ではないけど、掌に注ぐと直接おいしそうに飲みます。

やっぱり半分人間だと思っているのかも・・・

そろそろ婿さん交替させたほうがいいのかな

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1日過ぎてしまったけど

2013-11-28 | 家族
昨日、27日は孫、Mの誕生日でした



↑ 写真は中学生の頃ですが

1日過ぎてしまったけど、17歳になりました。

高2ですが、やっと自覚が芽生えたのか、塾通いですでに大学受験に向かっているようです。

そのせいか、ここ2か月ほど顔を見ていません。

昨夜も夫が「そうだ、お祝いのメールをしよう」と言い出したので
じじばば揃ってお互いの携帯をピコピコ

<バーバの孫になってくれてありがとう>と

そして今朝、「返事来た?」という夫、ゆうべの今朝、来るわけないじゃないの

ところが、うっかり気づかなかっただけで、今朝早く、通学時間帯だから途中で打ったのかな?

お礼のメールが届きました。

その後、誕生会の話や、食事に行く話のやり取りをしていてびっくりしたことがありました。

・・・母と相談します

生まれて17年、初めて彼女の口からではないけど、メールですけど”母”という言葉を・・

それまではずっと”ママ”でしたから

17歳大人になったのねえ、バーバが教えなくてもこんなことが言えるようになったのね。

バババカもここまでくると恥ずかしいを通り越してますけどお許しください。

来月早々、期末試験があるので、今はこちらに来ている場合じゃないけど
それが終わったら必ず行きますって・・・

誕生日プレゼントは何がいいのかな?
一緒に探しに行きましょう

17歳、着実に成長しています。  バーバもしっかりしなければ、
子育てをしながら親も育つと言いますが、私も孫に育てられたような
まさに老いては子ではなく孫に従えです。

今年の誕生日は過去とは全く違う意味でうれしかった。

来月が本当に楽しみです

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11月1日

2013-11-01 | 家族
久しぶりに今日は亡き母の話題です。

今日11月1日は母の誕生日  生きていればなんと103歳です。

ブログ開設2年前の初秋享年93歳で天寿を全うしましたので、生前の記事がないのが残念なところですが

開設直後の2007年の今日と、2010年の今日、私の母への思いは書き尽くした感があるので
興味とお時間のある方はお尋ねくださるとうれしいです。

家族の写真をそのまま出すのもちょっと、と、今までは遠慮してましたけど
本邦初公開、これがわが母です。





今年39歳になった長女が3歳の七五三の時でしたから67歳?
今の私よりちょっとお姉さんでしたね。

母に抱かれているのは8か月の次女です。
二人とも可愛かったねえ・・過去形です(笑)

それにしても似てないでしょう? まん丸顔で、鼻ぺちゃのおデブがこの人の子なんて
姪の旦那さんが「おばさんってほんとにおばあちゃんの子?」って聞いたのも無理ないわ

明治の女ですからサッサと粋に着物を着こなしてました
とても豆腐屋のおかみさんになんて見えなかったわ


6人兄弟にそれぞれ二人ずつ孫が生まれたので12人、そのうちこの二人は11番目12番目です。
つまり次女は母にとって最後の孫ということです。

ひ孫も17人、いや、母没後も何人か生まれてますから20人以上はいるでしょう。

生きている時もさることながら、死してもゴッドマザーとしてしばらくは君臨してましたが
最近は話題になることも少なくなり、こうして時は過ぎていくのかと
亡くなった母のことより、あちこち具合の悪くなった我が身を憂いてばかりで申し訳なく
せめて今日くらいはと話題にしてみました。

今頃去年そちらに行ってしまった兄と何か話しているのでしょうか?
二人で祝っているのかな?
コメント (10)
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