横浜田舎物語

サザン、サッカー、ロードバイク
エイジレスばあばのパワフルな日々
をお届けします

GW2日目は

2011-04-30 | M中吹奏楽部
ディズニーシーは2日前、28日に再開されました。

ランドがいち早く再開したのを聞いて、絶対シーもいける、って思ってたけど

それはさかのぼること、昨年秋

「来年のGWにシーで演奏するためのオーディションがある」と孫から

オーディションといっても、どこかに出向くのではなく、近くの公会堂で演奏しているところを
ビデオに撮って、それを送るという。

今年に入ってから採用通知が届き、念願のディズニーデビューが決まりました。

ところが、この大震災、周知の通り、ディズニーリゾートがある浦安市は液状化現象でたいへんなことに

市はもちろんのこと、日本という国にとってもここはドル箱であり、多くの人がその夢を描くところ

しかしニュースではなかなかいい話は出てきません。

それでも、いくらなんでもGWに再開しないことはないでしょうと楽観はしていたのですが

28日再開が発表され、練習にも拍車がかかったようです。

そして今日、10時半からの演奏のため、本人はもちろん朝早くから出発しましたが
私たち家族も追っかけ、開場前には到着、ずら~と長い入場者の列に並びました。

入場から1時間半

いよいよ演奏が始まりました




観客はほとんど関係者という感じでしたが、通りがかりの小さなお子さんも立ち止まって
リズムを取ってくれたり、大きな拍手をもらったりしました

新2年、3年として初めて公の場での演奏、内容としてはまだまだですが
この体験は、これからの大きな戦いのためにはとても貴重な経験になったことと思います。




演奏が終わった後は、自由行動

私たちもせっかく来たのだからと、それは詳しい長女の案内で園内を回りました。

娘に引っ張られながらアトラクションに

ずいぶん長いこと来ていなかったので、システムも変わっていて

とても便利なことに『ファストパス』という制度があり
予約票がもらえるのです。

人気のアトラクションは、朝のうちにいっぱいになってしまい下手をすると、夜の予約になってしまうこともあるとか

リピーターで要領のわかっている人たちは、入場するとまず、それを手に入れるために走るのだそうです

娘によると、今日は比較的すいているとのこと、
そういえば最高でも30分待ちでした、実際はそんなにかかりませんでしたけど

こんな時『ファストパス』を持っていると、ず~っと並んだ一般の入場者を横目に見て
さっさと別の列から前に行けるのです。
その優越感といったら・・

久々に童心にかえって楽しい時間を過ごしました。

    


    

最後にランチを



娘が、孫と来るとこういう店には入らないからと言うので入ってみました。

大手のカレーメーカーが出店しているのでカレーはもちろんですが、この”ナン”が絶品でした。

2日目終了

明日は雨?

疲れた体にはちょうどいい休養日でしょうか

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GW初日は

2011-04-29 | 自転車
GWが始まりましたね。

どこに行っても混みこみのこの時期、我が家は毎年自転車三昧でしたが
今年はどうも調子が出ない夫のおかげで大幅に予定が狂いそうです。

今日の風は?

う~ん 絶好の自転車日和

なのに・・

結局、パラボラをつけなくちゃと、Y田電機に行っただけ

まだ地デジ対策してなかったのです。

地域にケーブルテレビの配線があるから電話一本で加入できるので迷っていたのですが
費用を考えるとやっぱりアンテナ付けた方が安上がり

二人しかいない家に3台のテレビがあります。

節電対策で、夜などは1部屋で見ましょうって言われてるけど、どうしてもいやなのです。

同じ番組を見ていても、食事時間以外は別々に見ます。

なぜって、とにかくあの見方が気に入らない
どうしてガチャガチャ(今は音しませんけど)チャンネルを回すのでしょう

おもしろくなくなると必ず始まります。
一回りしないと気が済まないそうです。

私だってCMの時はやることありますけど、番組が続いててもやるから、とても一緒になんて
見ていられない

そうなると最低2台に分配してもらわなくちゃです。

とにかくこれで7月24日までに間にあいそうです。

Y田電機の往復で大勢のローディーさんを見かけました

もう我慢できない、一人で行ってきま~す

時間が時間だから遠くまでは行かれない、しかたないいつもの道で

遊行寺です。

境内に入ってびっくり

これです





             


       

そういえばこの時期に来たことがなかったかも、ラッキーでした。

そして境川CR沿いには



レンゲ畑  昔はもっとあったんですけどね 少なくなりました。

少し消化不良な距離でしたけど、出かけてよかった

走行距離  24.05km 予定の1/4しか走れなかったけど・・・

さて、明日は楽しいところに行ってきますよ~
どうなることやら
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最後のお豆腐

2011-04-27 | 静岡関連
静岡の実家に行っておりました。

大震災の直前、姪からメールが届きました。

<お父さんから、4月末で店を閉めるから、パソコンで挨拶状を作ってほしいと頼まれました>と

とうとうきたか

わかってはいたし、覚悟はできていたはずでしたが心臓が高鳴るのがわかりました。

実家は静岡市のほぼ中心地にあり、私が子供の頃はそれは賑やかな商店街でした。

JRの静岡駅から徒歩15分くらいかかることもあり、市の中心が駅周辺になったこともあって
懐かしい店が次々と撤退していきました。

その上拍車をかけたのが、あのバブル、ご多分にもれず地上げ屋が氾濫し、街はところどころ
歯抜け状態に
当然実家にも何度か話があったようです。

ここでは初めて公表しますが、実家は『豆腐製造販売業』です。

はっきりした創業年は聞いてないのですが、初代は私の祖父で、
明治時代、丁稚奉公していた豆腐屋からのれん分けをして開業

祖父は昭和6年に50歳で他界してますから、私たち6人兄弟は誰もあったことはありませんが
働きものの祖母と、全く商売に向いてなかった長男である私の父が、嫁いだばかりの母と
その味を継承しました。

母はその後、姉から私まで6人の子供を産み育て、42歳で夫を(私の父)亡くしましたが
翌年の長兄の高校卒業を待って、祖母、姉の助けもあり商売はなんとか継続されました。

あの時代、商売がなかったら父親を亡くして6人の子供は育てられなかったと、後に母がよく話していました。

姉が嫁ぎ、しばらくして長兄が結婚、その兄嫁が、私がここで何度も書いている
<もしいなくなったら親より悲しい>と本気で思っているその人です。

当時私は小学生、その辺りから母の味は義姉の味に変わって行きました。

父を知らない私の身近にいた大人の男性は長兄でした。
正直、怖い存在でした。

大人になるにつれ、兄の本当の姿、やさしさだったり、おだてに乗りやすかったり、がわかってきたのですが

母が生前「この人は他人のご飯を食べたことが無いから我がままで困る」と、よくぼやいていましたが
兄にしてみれば、突然の父の死で自分の進路を必然的に1本に絞られてしまったわけですから
不本意この上なかったことでしょう

その兄も今年の秋で77歳、喜寿を迎えます。

ご存知のように豆腐屋というのは朝は早く、力仕事もあり、水も使う、若者でもきつい仕事です。

私がブログを始めた年の10月、義姉の古稀祝いを行ったのですが、その際兄から

「あと2年だなあ」

突然の廃業宣言でした。

娘二人は他家に嫁ぎ、それぞれの仕事を持ち、後継ぎは無理とわかってはいましたが
その話題にはベールをかけてきましたから一気に現実に戻されて、いよいよ覚悟しなければと思ったものです。

それから3年半、とうとうその日が近づいてきました。

もういてもたってもいられません。

家の娘たちも生まれて病院から最初に戻ったのはこの家でしたし、幼いころから何度も何度も
親の里帰りと共に親しんだ家であり店ですから、感覚でいうと実家も同然

たまたま次女がGW前に連休がとれたからと、車を出してくれました。

実家に着くと義姉が、私たち兄弟に最後の油揚げを食べさせたいと、配送の準備をしていたそうで
私の住所と名前を書いた送り状を見せてくれました。

ほんとうにカウントダウンが始まったこと、実感しました。

まだ中の方が温かい豆腐、揚げたてでフーフーしながらお醤油をちょっとだけたらしていただく薄揚げ
翌朝、仕事場にお皿を持って、兄からはお豆腐を、義姉からは、揚げ上がるのを待って1枚のせてもらいました。



家を出る前は、最後のお豆腐、きっと泣いちゃうんだろな、どうしよう、なんて思ってましたが
ジ~ンとはきましたがさすがにそこまでは大げさでした
それでも、このお豆腐が私を育ててくれたのだと思うと”感謝”の2文字しか出てきません。

前述通り長兄はこの秋77歳、ちょうど60年働いたことになります。

昔ほど朝は早くないといっても、5時から仕事が始まり、7時くらいに食事、その後すぐ昼まで
立ちっぱなしの重労働、
午後は、配達や書類の作成、翌日の準備などで、1日10時間以上の労働時間になります。
喜寿を迎える体はすでにあちこち、当然悲鳴を上げています。

昼前、午前中の仕事が終わってソファに横になった兄を見て、
<ああ、もうこれ以上無理はさせられない、豆腐が食べられなくなるなんてセンチなこと言ってる場合じゃない>
と、痛感しました。

「結婚した時、お豆腐くださいって言うのが恥ずかしかったんだ、ねえこれからはお豆腐買うんでしょ」と私

「ねえ、どうしよう、よそのお豆腐は食べられないかもね」と義姉

当たり前です、22歳でこの家に嫁いで51年、私の2.5倍もこの家にいるのですから

知らない人は兄が婿養子さん?って思ってます。
それくらい彼女のこの家に対する貢献度は半端ではありません。

もういいよね。

ほんとに残念だけどしかたないことです。

あなたの管理がよかったおかげで、祖父は50歳で、父は46歳で他界してしまったのに
兄は77歳になっても元気です。

これからはどうか自分達のために時間もお金も使ってください。

家の夫が、退職?記念にお二人を食事に招待したいと言ってます。
静岡でと思ってたら、姪がせっかくだから横浜に行けば、と言ってくれたので
こちらで実現しそうです。

喜んでもらえるよう今からいいところを探しましょう。
楽しみです

また女同士で旅行しましょう、今度は平日に行けますね。

寂しいけど、先の楽しみをいっぱい作って前を向かなければね

ほんとうにお疲れさまでした。

油揚げ、がんも、厚揚げ、そして、うちの夫に食べてもらいたいと持たせてくれた
ほんとにほんとの”最後のお豆腐”いっぱい、いっぱいありがとう

2011年4月30日 3代100年以上続いた【吉津屋豆腐店】はその歴史に幕を閉じます。



   
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傾聴ボランティア

2011-04-24 | 家族
傾聴ボランティア”という言葉をご存知でしょうか?

例えば施設などに行って、高齢者のかたのお話を聞いてお相手をするボランティアのことです。

つい2,3日前、新聞の折り込みチラシの中で『傾聴ボランティア養成講座』という文字を目にしました。

受講は5回、そのうち1回は施設等での実習予定、となっています。

区の企画ですから、受講料はタダみたいな1000円

少し心が動きましたが、それよりこれに関してはおもしろい話があったのを思い出しました。

もう何年前のことでしょう。

まだ傾聴ボランティアなどという言葉を聞いたこともなかったころ

夫が「しばらくボランティアの養成講座に通うから」と突然言い出しました。

基本的に何をやろうと家計に関係ないことに関しては口出ししないようにしてましたから
詳しい内容も聞かず、なんとなくお年寄りの話を聞いてあげる、相手をするボランティアだとは
わかりました。

毎週のようにわざわざ池袋まで通って一応勉強はしていたようですが・・

そのうち娘たちから疑問の声が「お父さん、どこで何やってるの?」

「よくわからないんだけど、お年寄りの話を聞いてやったり、お相手する講座みたいよ」と私

この後、娘の口から出た言葉は「へえ、そうなんだ、でもさ、お年寄りの話聞くのもいいけど
その前に家族の話を聞くようにって言っといて

我が家には2人娘がいますが、どちらが言ったかって?

2人共、まったく違う日に、違うところで吐いた言葉なんです。

多少言葉のニュアンスは違っているかもしれませんが、意味は全く同じ

<二人ともよくわかってるなあ>だてにこの父親の娘たちではなかった

もう大笑いでした

B型だからと言うわけではないでしょうが、とにかく自分が関心を持たないことは一切聞く耳を持たない
聞こうとしないのです。

その人が、他人のそれもお年寄りの話を聞こうって

しかも、この講座、民間が開講しているので、有料、かなりのお月謝支払ったらしい

自分の備蓄からの出費なのでいいのですが、それを今活用しているかと言えば・・・

せっかく勉強したのだから、娘たちじゃないけど家族の、特に妻の話くらいしっかり聞けばいいのにね

<他人の話は聞けるけど、家族の話聞いたって何にもならない>のだそうです。

まったくおかしな理論です。これだから・・・なんですよ  ふふふ・・

そんな夫ですが、珍しく今朝は早くから一人で出かけました

お昼ご飯前に戻りましたからそんなに遠くには行ってなさそうですが、後で聞いたら
茅ヶ崎まで行ってきたとか
それはよかったこと

この分だとGW少しは走れるでしょうか・・100kmは無理かな?私は行けますけどね
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練習開始

2011-04-23 | 趣味
ドリームオブハーモニー

いよいよ2011年の練習開始です。



会場は横浜駅から徒歩7,8分の西区公会堂

写真の女性はピアノ演奏のK先生、編曲も手掛けられますが
いつも素晴らしい演奏で私たちをフォローしてくださいます。

今年は



この6曲、すべてを縮小するようで、曲数も少なければ、楽しみにしていたゲストもいないそうです。
予定していた方はいたらしいけど、一体どなただったのでしょう
残念です。
せっかくの30回だったのに

横浜開港祭は毎年6月1日、2日の二日間にわたって行われますが
今年はそれも縮小で6月2日の1日だけ

当日の会場も安全のためとかいって、赤レンガ倉庫になりました。

赤レンガだって海の目の前なのにね。

先生のお話ではテレビ局が入って、もしかしたらですが、被災地に流れるかも、って

だとしたら、よけいにがんばらなくてはいけませんね。

音符なんて読めないのに



まあなんとかなるでしょう。

毎年こんなことを言いながら始まって、なんとか終わってます。

練習はあと4回しかありません。

久しぶりにお腹から声を出して疲れました。
歌うって意外と体力使うんですよ

 がんばろうっと
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今夜の1品

2011-04-22 | お家ごはん
みいやんさん

作ってみたんですけど、なんだかちょっと違ってしまいましたね

でも基本は参考に、あとはオリジナルで




みいやんさんのお料理はいつもおいしそうで、しかも作ってみたいなって思わせてくれます。

彼女のブログにはいつも身近な材料でさっさと手早く作る(と思う)楽しいおかずがいっぱい

今回はお魚に(鯖に)かける簡単だけど好評だというソースを紹介

さっそく作ってみようと・・

ところが肝心のラッキョウ買ってくるの忘れてしまって

しかたないから、冷蔵庫の野菜室に入っていたあり合わせの野菜で作ってみました。

野菜は、なす、赤と黄のパプリカ、みょうが、そして湯せんで皮むきしたトマト
なすだけは生はちょっとと思ったので、細かくしてからレンジにかけました。

調味料は酢、オリーブオイル、砂糖、そして少しだけ塩、こしょう(すべて適当
、きちんとしたい方はみいやんさん参照)
野菜は全部細かく切って、調味料と混ぜます。

カジキマグロに軽く塩コショウして、フライパンでソテー

お皿に置いたら、上からソースをかけます。  かざりにドライパセリを

新鮮な風味でおいしかったです。

みいやんさん、ほんとに適当な私です

今度はちゃんとラッキョウ入れて作ってみますね
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緑の桜と

2011-04-21 | ともだち
ご主人がお留守でも超多忙なbonjiさんとランチしてきました。

少し遠出すればおいしい店はたくさんあるけど、とにかく忙しい人
それでも、ご主人がマレーシアに行ったら余裕が出るから会いましょうねと

探しました。

すると、彼女の家から歩ける距離になんだか楽しそうな店がありました。

彼女いわく、「前から入ってみようと思ってたけど、つい車で通り過ぎちゃうのよね」って

そんなものかもしれません。

『ウエスタングリル』





湯気が出てますねえ~  おいしそうでしょう

ハンバーグを店で食べるなんて久しぶりです。

これにスープとサラダ、ご飯、コーヒーが付いてきて、あら?いくらだったかしら?
安かったです。

味もなかなか本格的だったし、お昼どき、賑わってました。

毎度のことだけどbonjiさんのスーパーお母さんぶりには脱帽です。

「その時になれば私もやるのかなあ」いつもこの繰り返しですが、
お忙しの彼女と別れて原チャリ飛ばしました

こんな近くにブログ友がいるなんて、普通に話しちゃうのでお互いについ

「コメントしないけどいいよね」なんてことになってしまいます。

またいいところ探しましょうね  

さて、今日ですけど、セントラルがつまらない日なので夕方ちょっと走ってきました。
普通、走ってきたと言えばジョギングかランニングですが、私の場合はもちろん

あれだけ見事だったソメイヨシノは見事に散り、殺風景になりましたが

通り過ぎてから思わず おっとっと~と戻ったのはこんな木を見つけたから





葉っぱは桜だけど・・これは・・調べてみました

すると、なんと、これが、あの『鬱金(うこん)』”うこん”て憂鬱の鬱に金って書くんですね。
なにもかも初めて

そしてすぐ隣には





これは『御衣黄(ぎょいこう)』と言う品種です。

こんなところにこんな珍しい品種があったなんて

けっしてわあ~って言うほどきれいで目立つものではないから気付かないことが多いかも

これもブログだったり、自転車だったり、ライフスタイルが変わったせいかな?なんて
思ってしまいました。

こんなサイトがありました。

出渋ってたけど、やっぱり出かけてよかった  新しい発見でした
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デジフォト講座3回目

2011-04-20 | 趣味
マーサ先生の講座3回目

今日も自分で撮った写真を印刷して持って行き、皆さんで講評
なかなか厳しい意見もでて、いい勉強になりました。

今日の内容は

『構図について』

いつも何気なく、何の考えもなく写していましたが、このような基本を知っていると
自分の写真はもちろん、写真展などに行った時も見方が変わってきそうです。

今日は、こういう種類があるということだけでしたけど
次回提出の写真は少しでも意識したものを持参できたら・・難しいですけどね

そしてホワイトバランスの質問とその使い方、
皆さんは一眼レフなので、より操作が複雑ですが、コンデジの私は・・それなりです。

でも今日持って行った写真、マーサ先生に褒められましたよ。うれしかった~

先日ブログに載せたものです。

海蔵寺の雪柳と、町田で写したスノードロップのアップ写真です。

   

この2枚ですが、立ち位置を変えてキーボードを写してみました。

光の当たり具合が違うのがわかりますか?

次回は写真の修正の勉強をします。

顔写真の修正もできるといいんですけどね

全然関係ないですけど、先日のたけのこの残りでしゅうまい作りました

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大阪のお話

2011-04-19 | ひとりごと
少々落ち込んでいる今日この頃ですが

こんな時は明るい話が一番と、前から書こう書こうと思っていた
期待させてる割にたいしたことないお話を・・・

もうすでにご存じの方はご存知ですが、
8年前の夏、大阪は守口市の関西医大付属滝井病院の整形外科に入院しておりました

2カ月の入院と、その後の通院ですっかり大阪人になった気分の私

第一の故郷は静岡、第二の故郷はここ横浜、そして第三の故郷に決定したのが大阪

結婚して7年も住んだ東京はなぜか圏外・・(東京が故郷の人、ごめんなさい
どうも東京にはなじめなかったので
なぜか、たった2ヶ月の大阪がランクイン

その大阪ですよ  大阪と言えば大阪のおばちゃん

テレビなんかでよくやるからもう大抵のことでは驚かないけど

実際に目の当たりにするとそれはすごいし、なんて人間的

初めて関西医大に行った日のことです。

初診ということで紹介状があっても長~く待つのが当然、みたいな大学病院
案の定、待たされる待たされる

待つのが大嫌いな同行した夫もさすがに仕方なさそうにつまらな~いって顔してます。
話すこともあまりなかったけど、時折の会話を聞いていたらしい隣に座ったおばちゃん

「あんたら関東やね どこ 東京か」 いきなりでビックリしたけど

<おっ 来たな> 

「なんで大阪まで来たん?紹介か?何科? 整形外科か、そっ 飯田先生ね
ええよ~よかったなあ ええ先生紹介されて
わたしの友達がな、どこの病院行ってもだめだったんやけど、ある日向こうからすたすた歩いて来る人を見て
びっくりしたんよ どないしたん?って聞いたら、飯田先生に手術してもろたて
すごいやろ~ とにかくすごい先生や
えっ 入院?手術して? ほな見舞いに行くからな、がんばるんやで、必ず見舞いに行くから

まだいつ入院して、いつ手術するか全く決まっていない初診の日の話です。

夫に至っては、東京や横浜の病院でやれないものか聞く、と言ってた時の話です。

トイレに行けば別のおばちゃんがすぐに話しかけてくる・・

そんな前哨戦があって、手術、入院

同室は3人の生粋の大阪おばちゃん、中でも同じ日に入院したKさんは膝に人工関節を入れるため
半年前に片方やったので、今回はもう片方

典型的と言っては失礼だけど、情報通りの大阪おばちゃんでした。

すべてあけすけだし、中でも困惑したのが、食事時、整形ですから個人的に問題がない限り
何でも食べられます。

朝と昼はほぼ一緒なんですが、夕食に開きが、例えば鳥肉のから揚げ  私にはから揚げが出ますが
70歳以上のおばさま方には糖尿病食のような鳥肉を蒸したものやソテー

天ぷらの時なんて恨まれましたよ  

毎回私のトレーを覗きに来るんです。そして、決まって「ええなあ~」ってため息をつくのです。

皆さんはいわゆる老人食なんですね。

味は薄い、素材は柔らか  なかなかエネルギッシュなおばちゃんでしたから
きっと物足りなかったのでしょう。

でもこんなんはまだ可愛い

入院した時横浜から同行してくれたのは次女、大阪に2,3日滞在した彼女、ある日
息せき切って部屋に入ってくると

「もうびっくり おばちゃんいきなり目の前で服脱いで裸になっちゃうんだもの

病院の隣駅には昔から有名な大きな商店街があります。
大手スーパーのダイエーはここが発祥の地とか

その商店街、何度行っても飽きない楽しい、楽しいところ

その中の一軒の衣料品店で物色していた次女の目の前で、そのおばちゃん、
いきなり上に着ていたシャツを脱ぐと、手に持っていた店の服を試着したらしい

その時、下着もなにも付けてなかったって、

目の前でいくら上半身だからっていきなりおっ○いを見たら、そりゃれっきとしたおばちゃんの私だって
びっくり、というもの

ましてまだ20代の彼女にとったら・・目が点・・・・・

今思えばこんなことがあった大阪ですが、もちろんこんなおばちゃんばかりではないんですよ

お隣ベッドのTさんなんか「あなたを見てると大阪のおばちゃんのイメージが変わるわ」と話したほど
お上品で、謙虚だし、
実は彼女京都生まれの京都育ち、やっぱりどこか違うのね。

でもふとした時にみせる可愛らしい楽しい部分はやっぱり、って思ったこともあったけど

そうそう、あの初診の時、見舞いに行くからって言ってたおばちゃん、どうなったかって
来るわけないっしょ(なぜか北海道

でもね、初めての大阪で、これから受診ていう不安な時に、話しかけて和ませてくれたことには感謝です

その後もいろんな親切なおばちゃんに出会いました。

例の商店街では、ぼ~っと歩いてたら自転車のおばちゃんに「どいて~じゃまやで~」って怒られたけど
商店街って歩行者優先のはずなんだけど、しかたない、ここは大阪なんだ、ってあきらめたこともあります。

前述の大阪弁、うろ覚えだから間違っているかも、大阪のおばちゃんことTさん、もとさん
もし、違ってたら指摘してね。

大阪言葉と言えば

印象に残ったのが  私がレントゲン室に行く時、同室の80代のおばあちゃまに「行ってきま~す」
というと、必ず「おはようおかえり~

痛い痛いと叫んでいると「日にち薬や きっとそのうち良くなるから」と

これは実際には聞きませんでしたけど、先日までNHKの朝ドラ『てっぱん』で冨司純子さんが言っていた

下宿人の皆さんがご飯食べ終わって「ご馳走様」というと「よろしゅおあがり」って言葉

なんて素敵な響だろうと・・先のおはようおかえり、も、そうですけど
なんてなんて、初めて耳に入って来た時はなんて~ 日本にもこんな言葉があったのね~って感動しました。
”おはようおかえり”なんて言われたら、世の亭主、みんなまっすぐ帰ってきちゃうかも
それもまた弊害?

とにかく大阪は好き、以前のイメージは180度変わりました。

大阪のおばちゃん=図々しい?=恥知らず?=アニマル好き?(これはほんとらしい)=おせっかい

いやいや

大阪のおばちゃん=人情深い=明るい=逞しい=やさしい

ちょっとほめすぎ~かなあ?

大阪ってやっぱりおばちゃんで成り立ってるような気がする、そうよねきっと


                   



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海の幸、里の幸

2011-04-18 | お家ごはん
昨日、鎌倉に行ったのはもう一つの目的、小町通り横道の魚屋さんに行くことでした
が、たしか第3日曜日は休みだったかも、と断念

せっかくリュックを背負ってきたから、以前よく買っていた腰越の魚屋さんに寄ることにしました。

相変わらず美人だけど愛想の悪いおばさんといかにも実直、職人気質のおじさん

さて何があるかしら?

すぐ決まったのは”どんこ”という白身魚、煮付けに最高です。

そして新鮮なイワシが5匹400円は安いですか?
高級魚ですものね最近は

そして、そしていかにも湘南らしい”サザエ”1個150円
大きさもなかなかです。

今夜は海の幸三昧





と思っていたら、今年初物、たけのこをいただきました。

時間がなかったけど、せっかくの採りたて、すぐ食べなくちゃ意味がない
それからが大忙し

なんとかたけのこご飯にしたくて、慌てて生協に、油揚げを買いに走りました。

新たけのこにはあまり余計なものは入れません。

たけのこと油揚げだけ

なんとか間にあいました  採れたてだから茹で時間も少なくて済みますし

先端の柔らかい部分を使ってお吸い物に





新しいたけのこは”微妙なえぐみ”がたまらなくおいしいです。

おいしい里の味、ご馳走様でした。

そして、これは生協に行った時みつけた、海の幸

 

先日テレビでやっていたまさしく本物です。

こちらの会社も津波でほとんど操業できない状態に、それでも経営者はなんとか再建しようと
社内の残骸の中から、しっかり梱包されて無傷のわかめを見つけます。

多くのパート従業員がいましたが、その数を半減させ再開

自動梱包の機械も使えないので、この袋ひとつひとつに手作業で詰め、

がんばろう 宮城・石巻”という、力強いアピールが印刷されたシールも手作業で貼ってました。

春は新わかめのシーズンですが、この際そんなことは気にしないで、とにかくこのわかめを買おう
そして、わかめ会社の皆さんの元気を逆にもらおう

だってあの津波に勝ったわかめですよ

こんな縁起のいいものはありません。  うれしいですね  いっただきま~~す
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