朝からトップニュースは”世界遺産首里城火災”
いつもなら寝起きに必ずネットニュースを確認するのに、今朝に限ってそれをしなかった。
夫から知らされたときは「また冗談を、何言ってんのよ」が最初出た言葉でした。
しかし、慌てて点けたテレビからはリアルタイムの火災現場が映し出されていました。
言葉を失うとはこのこと、頭の中は首里城のあの道、あの建物、あの展示物・・
すべてが目の前で消えて行ってる・・・
沖縄には2度行きましたが、目的が慶良間の海に潜ることだったので
沖縄観光はほとんどしてません。
その中で、首里城は3度も行ったお気に入りの場所でした。
1度はレンタカーを自分で運転して行きました。
初めての道、孫を助手席に乗せて嘉手納基地の前も通り緊張したことを覚えています。
最初の年は守礼の門が工事中、翌年にはそれもあって行くことになりましたが
きれいにお色直しされた門を見たときは感動しました。
首里城はその歴史からも日本中の様々な城とは違って
琉球文化独特の雰囲気が外国に来たかと思わせてくれるものでした。
沖縄に行ったら絶対行こうと決めていた場所でもありました。
”沖縄時間”というなんともゆったりとしたのどかな穏やかな空気が流れていて
沖縄と言ったら青い海と首里城という印象が残ったくらいです。
たった数回行ったきりの私でもかなりのショックです、地元の皆さんの心境は如何ばかりか・・
インタビューに答えていた年配の女性、涙ぐんでいました。
原因調査はこれからなのでしょうが、それが何であれ首里城が消えてしまったことに変わりはありません。
太平洋戦争の末期沖縄戦で1度焼失しましたが、1992年、平成に入ってからですね。
ようやく今の形に復元されたのです。
大きな大きな損失です。
また復元と言っても、どれだけの年月と費用が掛かるのでしょう。
おそらく我々世代が生きているうちは無理でしょう。
できることなら、せめて再建が始まるという朗報だけでも聞きたいものです。
守礼門、歓会門をくぐって正殿前広場に続く緩やかな坂道を懐かしく思い出しています。

2007年10月撮影
いつもなら寝起きに必ずネットニュースを確認するのに、今朝に限ってそれをしなかった。
夫から知らされたときは「また冗談を、何言ってんのよ」が最初出た言葉でした。
しかし、慌てて点けたテレビからはリアルタイムの火災現場が映し出されていました。
言葉を失うとはこのこと、頭の中は首里城のあの道、あの建物、あの展示物・・
すべてが目の前で消えて行ってる・・・
沖縄には2度行きましたが、目的が慶良間の海に潜ることだったので
沖縄観光はほとんどしてません。
その中で、首里城は3度も行ったお気に入りの場所でした。
1度はレンタカーを自分で運転して行きました。
初めての道、孫を助手席に乗せて嘉手納基地の前も通り緊張したことを覚えています。
最初の年は守礼の門が工事中、翌年にはそれもあって行くことになりましたが
きれいにお色直しされた門を見たときは感動しました。
首里城はその歴史からも日本中の様々な城とは違って
琉球文化独特の雰囲気が外国に来たかと思わせてくれるものでした。
沖縄に行ったら絶対行こうと決めていた場所でもありました。
”沖縄時間”というなんともゆったりとしたのどかな穏やかな空気が流れていて
沖縄と言ったら青い海と首里城という印象が残ったくらいです。
たった数回行ったきりの私でもかなりのショックです、地元の皆さんの心境は如何ばかりか・・
インタビューに答えていた年配の女性、涙ぐんでいました。
原因調査はこれからなのでしょうが、それが何であれ首里城が消えてしまったことに変わりはありません。
太平洋戦争の末期沖縄戦で1度焼失しましたが、1992年、平成に入ってからですね。
ようやく今の形に復元されたのです。
大きな大きな損失です。
また復元と言っても、どれだけの年月と費用が掛かるのでしょう。
おそらく我々世代が生きているうちは無理でしょう。
できることなら、せめて再建が始まるという朗報だけでも聞きたいものです。
守礼門、歓会門をくぐって正殿前広場に続く緩やかな坂道を懐かしく思い出しています。

2007年10月撮影