横浜田舎物語

サザン、サッカー、ロードバイク
エイジレスばあばのパワフルな日々
をお届けします

再婚しました。

2016-10-31 | 文鳥
思えば2年半前の記事でこんなことを報告しました

月日が経ち、世話をしている夫より、私のことが大好きなようで、まるで<男はいらないよね>と言わんばかりに
懐いているところをみると、「もう一生独身でいなさい」と常々話しかけていたのですが・・・

「一人は可哀想だ、旦那を探す」とあちこち探しまわっていた夫が見つけてきました。

親としてどんな婿を探してくるのか気になったので、一緒にペットショップへ

昔は街のいたる所に小鳥屋さんがあったのですが、昨今の犬猫ブームで、すっかり影が薄くなり
ペットショップなどというしゃれた店はあっても小鳥を扱っている店はほとんどないのが実情

それをよいことに、私としては、今のまま、ストレスもたまらず、気ままに過ごせばいいと
どちらかと言うと再婚には反対だったのです。

何度も行ったことのあるショップですが、対象になるオスの成鳥が複数いました。

その中から選んだのがこの子、鳥の結婚も一種の賭けです。人間と同じです。
暮らしてみなくちゃわからない。



きれいな真っ白な白文鳥です。

初対面~~~



前の子の時はクックウもまだ若く、男性には興味がなかったのかまったく受け付けませんでしたが
彼女もお年頃?女盛り?関心を示したようです。

早速、巣作り用のわらの巣を入れてやりました。

特別仲がいいようではないけど、お互いに意識はしているようです。
オスの白文鳥がおとなしい

クックウは気が強いほうだと思うので、おとなしい方がいいかもしれない

昨日から全く喧嘩はしてないようで、穏やかに過ごしています。



う~~んこれはいいかも

これなら母さんも安心です。再婚成立かな?もっともあちらは初婚ですけどね。

少し年下でしょう、そのくらいのほうがうまくいくのでしょうか?

さあ、どうなることやら

人間だったら、年上で見てくれが悪くて(頭の禿げは少し治ってきました)気が強い、ときたら
再婚なんて絶対無理そうだけど、鳥の世界は違うのでしょうね
よかったわ、鳥で・・



こんなふうに見つめ合うことは偶然ですけど、これからもっと増えて行けばいいなと願いつつ
再婚したことをご報告です。

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頂き物でいただき物を

2016-10-28 | いただきもの
ビタクラフトの鍋です。



少し前にKさんからの頂き物、こんな高級そうな鍋、久々です。

一見普通のステンレス製鍋のようですが、これがなかなかの優れもの

圧力鍋ほどではないけど、普通の鍋ではできないことをやってくれるそうです。

ずっと使ってなかったけど、思いついて初めて使ってみました。

何を思いついたかと言うと



今年もいただきました。

紅玉りんご、ジャムはすでに出来上がりました。

まだいくつか残っていたので、せっかくの頂き物、傷んだりしたら大変

<コンポートを作ろう

圧力鍋を出すほどの事じゃないし(ジャムには使いました)、そうだこんな時のためのビタクラフト

皮を剥いたりんごを並べて、グラニュー糖、レモン汁を適当に入れたら(適当が得意)
蓋をして、最初は中火で、煮立ってきたら弱火で7,8分、火を止めて冷めるまで放置

おいしそうに出来上がりました。

チョーが付くほど簡単、味も適当な割にはいい感じです。

鍋とりんご、それぞれ人生の先輩から頂きました。

幸せ者です。感謝していただきました。

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高島屋恒例、大北海道展に

2016-10-26 | 出来事
今年も恒例の横浜高島屋、大北海道展が始まりました。

お楽しみは何と言っても、この時期ならではの”新豆”
北海道の豊かな大地の恵み、各種新豆、

ところが・・・なんと、例年に比べて種類が少ない

今年の8月後半、3度にもわたって北海道を台風が襲いました。

心配はしていたのですが、それがドンピシャ

欲しかったうずら豆も白花豆もなし、しかたなくあるものだけ買ってきました



重たくなると思ったので、ショッピングカートを持参しました。

思えば手術の前後はお持ち帰りができなくて、自宅まで配送をお願いしました。

そのころに比べたら、今が嘘のよう、全く気になりません。
おばちゃんカートを持って横浜に行くことも・・

ランチは今回も定番の”妻家房”石焼ビビンバとチジミのセット
以前はなかったキムチのお替りサービス、いただいちゃいました。



そして、先日遊びに行った相模原の公園、そろそろ紅葉が始まりそう



名残のコスモスと








”酔芙蓉”は1日のうちに花の色が変わるそうです。 知らなかったわ、勉強になりました。。







富士山の初冠雪ニュースが流れた今日、横浜地方は25度以上の夏日でした。

明日は平年並みになるというけど本当かな?

あまり寒いよりいいけど、暖かすぎると干し柿もできませんね。




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46年

2016-10-19 | 家族
1日過ぎてしまいましたが、昨日18日は結婚記念日でした。

なんとまあよく持ちました・・って毎年言ってるような気がしないでもないのですが

46周年です。

新婚さんからしたら気の遠くなるような年月ですね。

去年は45年の節目で旅行を決行しましたが、今年は姉のことがあったり、
その他諸々の事情から何もできないまま当日、これだけは忘れずに実行されました。





私的にはこれだけで十分です

最寄駅にはいい花屋がないので、一つ手前の駅で下車して、ウォーキングがてら歩いて帰宅しました。

特別なことはしなかったけど、このところお互いに体のことで、心配がつきません。

私は相変わらずセントラルに通って、見た目は元気ですけど、全く不安がないわけではありませんし
夫に至っては、最近心臓がおかしいとかで、明日、専門医に診てもらうと言ってます。

この病院は、友人のご主人が入院したことがある病院なので決めたのですが
通うことになると少し遠い

「ついていこうか?」「けっこうですよ」
「すぐ入院なんてことになったら困るでしょ」
「そんなこと、あるわけないよ」

こんな感じですから、私は明日もセントラルに行きます。

夫が偉いなと思うのは、少しでもおかしいと思ったらすぐに病院に行くことです。

その点私はだめですね。

いよいよにならないと行こうとしない、

間もなく68歳になりますが、いまだに都内まで仕事に行ってくれてます。

普段は言いたい放題、同い年夫婦の典型ですが、体のことに関してはそんなこと言ってられません。

緑内障があるので目薬は欠かせませんが、今の所、薬の服用は一切なし
明日の結果次第では、いよいよ常用薬のお世話になるかもしれません。

お酒は好きですが、たばこは何十年も前にやめましたから心臓にはそんなに負担はかかっていないと思うけど

改めて、健康が何よりを強く感じた46周年でした。




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ママさんバレーの応援に

2016-10-17 | 出来事
姉が亡くなって1週間が経ちました。

姪のことが気になってメールしてみると、墓地が決まったとのこと、
生前散骨でいいなどと、話し合っていたらしいけど、散骨も簡単なことではないし
やはり、できれば墓地をと願っていましたからほっとしました。

49日頃には納骨できそうです。

さて、この1週間は、日常生活に戻り、セントラルに行ったり、友人たちに会ったりで
相変わらず慌ただしい毎日で、姉の葬儀がずいぶん前のように感じるほどでした。

昨日は、ママさんバレーの後輩から連絡があったので、久しぶりに応援に行ってきました。



30歳くらいから25年近く、生きがいのような存在だったバレーボール、
断腸の思いであきらめてから15年近くになりますが、当時若手だったメンバーも、
今やチームの重鎮に
そのかわり、知らない間に新メンバーが、当然私の事なんか知りませんから
「どなた?」とも聞かれず

試合~審判の流れで、メンバーとゆっくり話す間もなく、帰ってきてしまいました。

区の大会なのに、チーム数は昔の半分もない

トーナメントで1回戦で負けたらそれで終わり、という昔とは違って、4チームでのグループリーグがあり
そこを勝ち抜くと決勝リーグに進めるらしい

今はバレーボール人口も減り、主婦も多忙でママさんバレーどころではないのでしょう
それでも古巣チームには、よくぞ集まってくれたと、3,40代の若いメンバーがはつらつと戦っていました。

懐かしいなあ~

チーム名も最初は住んでいるマンション名を付けましたが、分区で新しい区名ができたのと同時に
それにまつわる、おしゃれな横文字の名前を皆で考えたのです。

今のメンバーはそんないわれは知らないだろうな

古いメンバーですら、当時かかわっていた人はほとんどいないから知らないかもしれない。

それでもこのチーム名が引き継がれていることはOGとしてうれしい限りです。

もう絶対無理だけど、今度練習に行ってみようかしら、パスできるかなあ?
あんなに得意だったサーブ、もう打てないよね

それよりサーブ打ったとたんに肩を痛めてしまうかも・・

足の調子がいいと何でもやれそうな気がします。
医師からもバレーボールはだめだとは言われてませんしね。

但し、まさかバレーをやりたいなんて、そうです。それ以前の問題かも
でも、一応、来年の検診時に聞いてみましょう。あくまでも確認するだけですよ

横浜地方、今日も朝からぽつぽつと

お天気続きませんけど、昨日は満月だったようですね



これは土曜日、15夜の月です。

この日、江の島では花火大会がありました。

真夏にやると海水浴客の混雑と見物客でとんでもないことになるからと、何年か前から10月開催になりました。

行きたかったけど、ちょっと元気がなかったですね。

今週も始まりました。

セントラルの合間に毎日、なにかとスケジュールが入っています。

健康で、やりたいこと、やらなければならないことができるって、当たり前のようですが
ありがたいことなんです。

さて、今日もこれからセントラル、そしてその後はお楽しみが待っています。






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お姉ちゃん、あっぱれでした。

2016-10-11 | 家族
10/8午後、たった一人の姉が旅立ちました。享年83歳でした。



長く患っていたわけでもなく、入院したと聞いてからたった4か月ほどの闘病生活でした。

昭和8年3月、6人兄弟の長女として静岡で生まれました。

末っ子の私とは16歳違い、母が妊娠するたびに、妹が欲しいと願ってきたそうですが
その後生まれた4人はすべて男子、ようやく念願かなって妹が生まれたころには
もうどうでもよかったらしく、後に「いまさらねえ」って思ったって、言ってました。

私が小学3年生の時嫁ぎましたから、姉と一緒の家にいたのはたった8,9年の短い期間でした。

父が若くして他界しましたから、幼い弟、妹たちにはわからない苦労があったようです。

「長女、長男の宿命なのよ、そのかわり父と長くいられたのだからしかたないでしょ」と
父親の面影すらわからない私は、よくそんな口をきいたものでした。

それでも姉のことが好きで、よく遊びに行ったものです。

歌が得意な姉でした。「ああ、あの歌が上手なお姉さんね」と、よく言われました。

一時はプロ歌手を夢見た頃もあったようです。

というのも、20歳前後だったと思うので、私がまだ幼児のころですが
NHKののど自慢で、静岡県代表になったほどの腕前でした。

残念ながら東海地方予選で敗れ、全国大会には出られませんでしたけど
歌謡曲の会などがあると、有名歌手の前座で歌っていたことは覚えています。

何にも前向きな人でした。

男前な人でした。

ある意味私とは正反対、このうじうじした性格を何とかしたい
どうしたら姉のように物事をスパッと切って前に進めるのだろうかと・・・

結婚してからも苦労の絶えない姉でした。

夫婦仲から子供たちも横道にそれたり、離婚問題も当然ありました。

しかし、どんなに辛くても「お父さんが悪いだけじゃない、私にも原因があるのだから」と
決して現実から逃げない人でした。

亡くなる2日前、姪から連絡があり、動脈瘤ができ、透析をしていても腎機能が低下し
腰も相当痛みだしたようなので、本人の希望で、すべての治療を中止することになったと

そして、最終手段をとるとのこと、もう時間がないことも知らされました。

すぐにでも飛んでいくべきか・・・悩みました。

本人は意識がしっかりしている、自分でその時を選んだ、そんな状況は
この小心者にはとても耐えられない

実家に連絡して、兄夫婦、それにすぐ上の兄夫婦、4年前に亡くなった兄の奥さん
もちろん、姉の子供たち、孫たち、ひ孫たち、みな揃って最後のお別れになったそうです。

「あなたがあの場にいたら、取り乱してたに違いないから来なくてよかったわ」後に実家の義姉から言われました。

姉は、そこにいた家族に「私の死にざまを見てちょうだい、疲れたからちょっと休んでくるから、また会えるから
また会おうね」と言ったそうです。

実家の兄には「待ってるからね、来てね」と

看護師さんに頼んでベッドごと屋上に連れて行ってもらい、空を見て、その後、その場にいた
4人の看護師さん一人一人に握手してお礼を言ったそうです。

その日の夕刻、すべての治療をおえ、安らかに眠るための注射を打たれ眠りについたそうです。

<やっぱり生きているうちに会いに行こう、渡したいものもあるし>
すぐ姪にメールして、<明日朝一で行くから、待ってるように言ってね>

ところがそれから一時間もしないうちに「さっき息を引き取りました」と泣きながら姪から電話がありました。

長く持って一週間だと聞いてました。
でも姪は「眠っているようでも、痛いんじゃないかと思うと早く楽になってほしい」と願っていたとも

ほんとうにただ眠っているようだとも言ってました。

姉はよく「死ぬことなんて全然怖くない、必ずまた生まれ変わってくるから」と話していました。

それでも人間、姉のように死ぬ時を自分で決めるなんて、そうそうできることではありませんし
普通ならぜったい恐怖はあるはず
なのに、姪の話では泣きじゃくる姪を逆に慰めてくれて、感謝してくれたとのこと

まさに、稀に見るあっぱれな死にざまでした。

安らかで、美しく、すべてに満ち足りたような、微笑んでいるような顔でした。

姉との思い出には涙した私ですが、顔を見たら安心しました。

人生、最後がすべて、終わり良ければすべて良しとはよく言ったもので

誰もが「こんなふうに亡くなって行く人を見たことがない、まるでドラマを見ているようだった」と

姪は入院時から「お母さんには散々心配かけて、苦労かけて、今こそ、その恩返しの時だと思っている」と
相当な覚悟を感じる言葉がありました。

退院したら自分が面倒見るんだと、だから絶対元気になってほしいとよく話していました。

仕事をしていないこともあって、この4か月、1日も欠かすことなく看病に通っていました。

姪自身もここに至るまでいろいろありましたが、お通夜の帰り、私を呼び止めた姪の一人息子J君

「おばさん、ありがとうございます。母がいつもおばさんからの一言一言がすごくうれしいって
ありがたいって言ってるので、僕からもお礼が言いたくて」

J君、なんていい息子なの、彼もまた辛い時期がありました。
それでもまっすぐにりっぱな青年に成長して、こんなふうに人の気持ちがわかる子に育ってくれた。

姪ももちろん偉かったけど、彼の祖母である姉の力もかなりあったのではと
翌日の葬儀の時、姉に話しかけました。

J君は葬儀の折、孫代表で弔辞を読みました。自分の言葉で、しっかりと・・・

「孫も、ひ孫もみんないい子に育ったね。お姉ちゃんの功績は大きかったね」

ああ、そういう私はどうだろうか、とても姉のような生き方はできない、
けど、少しでも近付くことができるよう努力しよう

葬儀屋さんから、出棺時に棺の中に入れるために折鶴折ってほしい、
その折紙にはメッセージを書いてほしいとのこと、

姉から「待ってるからね」と言われた実家の兄「もう少し待ってくれ」ですって
笑ってる場合じゃないけど、笑ってしまいました。

私はその場ではとても書ききれなくて、ホテルの部屋に戻ってから2枚にびっしり思いを綴りました。

<お姉ちゃんありがとう 辛いこともいっぱいあったけど、最後の最後、いい人生だったねって言えたね>

いろんなこと書いたけど・・思い出せない

きっと思いは通じたよね

「だんだんひとりずついなくなって、最後に残るの私?いやだなあ」と言ったら
「末っ子の宿命だからしょうがないよ」って孫から

寿命なんだから順番かどうかなんてわからないけど、やっぱり全員見送るの?

三兄が亡くなったとき姉が「順番じゃないからね、次は誰だかわからないけど
私は長生きするから」なんて言ってましたっけ

その姉が順番で逝ってしまった。

長兄は、火葬の直前「姉ちゃん、またな」って棺に向かって言ってました。

その「またな」は、順番で次にそっちへ行くよ、の、またな、なのか
姉が生まれ変わってまた会えるね、の、またな、なのか、私にはわかりませんが

兄には私とは全く違う思いがあるのだと想像できます。

お姉ちゃん、寂しいとは思うけど、もうちょっと待っててね、
そんなに次から次へとではこちらもたまらないわ

姉の死にざまは当分語り草になること間違いなしだと思います。

「こんな死に方をする人初めてだわ」誰もが驚いて、そして自分もこうありたいと思ったことでしょう。

お姉ちゃん お見事 あっぱれでした








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横浜18区ショートフィルム&コンサート

2016-10-06 | お気に入り
横浜市では芸術の秋のイベントとして9/22~11/27まで

横浜音祭り2016”を開催中です。



いろいろなジャンルの音楽を、市内のいろいろなところで聴くことができます。

こんなイベントがあるとはつゆ知らず、蒲田の義姉から、
我が家の近くでいいコンサートがあるから行ってみない?
と誘われたのです。

そもそも東京に住む姉がなぜ知ってたの?

新聞に載っていたそうです。

数ある演目の中か義姉が選んだのが、横浜市内18区をすべて回って開かれる

”横浜18区ショートフィルム&コンサート”

今年は<別所哲也プロデュース、清水和音ピアノリサイタル>



ショートフィルムも入れて2時間ほど、やはり生演奏はすばらしい

こんなプログラムでした。



バイオリンの演奏もありました。

バイオリンはオーケストラで聴くことはあっても、ソロの演奏をじっくり聴く機会がなかったので
いまさらですが、一つの楽器からあれだけの音が出ることに感動しました。

耳慣れた曲ばかりでしたから聴いていて楽しかったし、何と言ってもバイオリニストが・・若くてイケメン
ちょっと見、松田翔太君?

演奏には関係ないけど、おばさんには少しうれしかったかな(笑)



残念だったのは、386人収容の小さなホール、なのに空席が目立つ

料金も安くて、こんな一流の演奏が聴けるのだから、もっと宣伝すればいいのに

確かに音祭りのパンフレット、広報として各戸配布されましたけど

平日の昼間です。

奥様方のサークルや、リタイヤ組のおじさま方のグループなどに声掛けすれば
もっと参加者がいたはず

よほど関心のある方ならいざ知らず、ほとんどの方は知らなかった~で終わってしまうのでは?

私も東京在住の義姉に誘われたくらいです。

HPを見ると、面白そうな演目を安価の入場料で観ることができるんですね。

これからは関心を持たなければと反省しました。

そういえば孫が中学校で吹奏楽をやっていたころ、ランドマークプラザの広場のコンサートに
参加したことがありました。

今回も、そちらの広場でもイベントがありますし、クイーンスクエア、山下公園など
市内の主だった場所で、楽しそうなイベントが目白押しです。

これらはすべて無料だそうです。

有名な演奏家も参加してますしね。

時間が許せば鑑賞したいと思います。、

10月に入って約1週間、今日も暑いです。

真夏日は今日まで、と、天気予報士が言ってますけど、体調狂いますね。

今日もこれからセントラルでアクアビクスです。

さて、急いで昼食とって行ってきます









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パソコン修理中の出来事

2016-10-04 | 家族
パソコン修理中の出来事です。

お彼岸休日の真ん中の平日、静岡に行ってきました。

用事は2件、まずは来年成人式を迎える孫のために、姪の着物を借りることと、その確認
確認と言うことは、本人が必要、

「新幹線に乗るの何年振りかなあ?」

どこに行くのも車の親でしたから、中学校の修学旅行以来?

ばーばはあなたと一緒はあれ以来ですよ・・・小学校卒業時の記念旅行・・
もう6年半も経ってしまったのね。

まだぎりぎり私の方が背高かったけど、今では見下げられています(笑)

実家に行くのも5年ぶりくらい、

いきなり「大きくなったねえ」って、もしもし、もう大学2年生なんですけど

実家の義姉が用意してくれてあった振袖、

実際見る前には「クリーム系?それって変色してそんな色になっちゃたんじゃないよね」
なんて、ふざけたことを言っていましたが

実物を掛けてもらって

「思ってたのと全然違う、すごく気に入った」そうでしたか、それはよかった

今年56歳になった姪が20歳の時に作った振袖です。

今は亡き母の見立てです。

手描き友禅です。刺繍とかきらびやかさはないけど、上品で優しい色遣いの花柄は
とても36年経っているとは思えません。

実はこの振袖のこともあって、着物の整理、タンスの買い替えとなったわけです。

足袋以外はすべて揃っています。よかったね、成人式が楽しみです。

そして、もう一つの目的、入院中の姉の見舞いです。

入院もすでに3か月が過ぎました。

一時は、これ以上延命治療は、本人も望んではいないし、苦しい思いをさせるくらいなら
静かに幕を引かせてあげたほうが・・と、姪から悲壮な電話がありました。

私たちも覚悟しました。

ところが・・なんという生命力か、無理かもしれないという治療が成功し、その先に進むことができて
最悪から脱出できたのです。

ちょうどリオオリンピックと高校野球が始まった頃の事

個室でしたが、集中治療室でしたからテレビは無い
すると

「オリンピックと高校野球が見たいからテレビを運んでほしい」と看護師さんにお願いしたそうです。

そのころからめきめき症状がよくなってきたとのこと

もう驚くばかりでした。

しかし、そうはいっても年齢的に厳しいことには変わりはなく、ずっと寝たきりだったこともあって
車いすにも30分~1時間くらいしか座っていられないとか

心配だったので、実家の義姉と、今回は孫も連れて病院に向かいました。

足は細くなってしまったけど、顔色もよく、頭の方はしっかりしているので
よく話します。が、入れ歯が入っていないので、時々聞き取れないこともあり
姪の通訳が必要だったり

でも、うちの孫のことはよく分かってくれました。

「まだまだこれからだからね、頑張るよ」と、さすがです。

こんなところ、亡き母に似ているな、と少し安心して

体調がよくなり次第リハビリ病棟に移動するそうです。

お姉ちゃん、頑張ってね、午前中お墓参りに行って<まだ迎えに来ないでね>って
両親と祖母に頼んできましたから

特に祖母は、初孫だった姉を可愛がっていましたから、もう少し待っててあげてね。と
念を押してきました。

慌ただしい帰省でしたが、中身は充実していました。

なにより、最近ではめったにできない、孫と二人きりでのお出かけが実現できたこと

いい思い出になりました。


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THE BEATLES " EIGHT DAYS A WEEK " The Touring Years

2016-10-02 | お気に入り


先日手元に届いたアルバム、その関連のドキュメンタリー映画です。

一般的な映画ではないので、上映館が少ない、その上1日1回なんてところもあるし
ちょうどいい時間帯、調べたら川崎のTOHOシネマズのみ、
ちょっとめんどくさかったけど、そんなことも言ってられないので行ってきました。

映画は基本一人が好き、ましてこの手のは趣味が一致しないと誘えませんから

京浜急行の川崎駅前にあります。川崎はJRで行くことがほとんどだし、

京急側はずいぶん長いこと来てなかったなあ  すっかり様子が変わってました。

商業ビルの7階が映画館フロア

土曜日です。かなりの人が列を作って券売機に並んでいます。

前日、HPで確認したら、すでにかなりの席が埋まっている
たった150席の小さな劇場です。

久しぶりにネット予約しました。

ですから、当日チケットを自分で出さなければいけない

多分そうだろうと並んでいる人の最後部に、前の若い女性に「ネット予約の発券はここでいいのかしら?」

「多分・・・」

でもどうも様子がおかしい、結局この列は、窓口の代わりに自分で観たい映画のチケットをボタン押して
買うところでした。

よく見たら、小さなカウンターに係が二人だけ、ほとんど人は発券機を使ってます。

そして、ネット予約の方は・・ありました。

以前はクレジットカードが必要でしたが、今は予約番号と電話番号を入力すれば発券されるんですね。

う~~ん、また新しいことが、付いていくのに必死です。

館内はすでに照明が消され、予告が始まっていました。

ほとんど満席のような、予約しておいて正解でした。

暗いからよく分からないけど、周りを見ると中高年ばかり
皆、初期のころからのファンなのでしょうか?

始まりました。

最初から衝撃が・・胸が熱くなって、涙すら出てきました。

彼らがデビューする前後から、一気に世界のトップに駆け上がって行く様子
こんなに長い間ファンのつもりだったのに、知らなかったことがあまりに多かった

彼らのマネージャーであるブライアンエスプタインとの出会い、そしてそのすべてに驚かされ、
引き込まれていく世界中の若者たち

もちろん私もその一人でしたが

世界各地を回って開かれたコンサートには、泣き叫び、失神する少女たちの姿がどの会場にもありました。

大人はばかばかしいと眉をひそめたでしょう。

いつの時代もそれは繰り返されます。

その彼らも、今では初老の域、当時を思い返して自分がばかだったと思うかしら?
いや、ぜったいそんなふうには思わないはず
だって、夢中になった相手がBeatlesなんだから

映画を観ながら、ライブ映像になると声には出さないけど、口ずさんでました。
どれもこれも懐かしい・・全部知ってるよ、歌えるよ

時としてスタンディングしたい衝動に駆られました。
それはきっと私だけではないはず
でも、皆さん、すっかり日本人の大人になってしまったんですね。

彼らの栄光も苦悩も教えてくれたドキュメンタリーでした。

そして改めて彼らのファンで居続けたことを誇りに思いました。

記念だからと珍しくパンフレットを買いました。









このパンフレットの中には著名人のコラムがありますが、それを読んで、
彼らにお詫びしなければと思ったことがあります。

それは、ロックバンド”TRICERATOPS”の和田唱さんのコラムから
自ら20年もの間バンド活動をしている彼ならではの言葉です。

<本作で再確認できるのは、4人の驚くべき音楽的能力である。当時のライブ映像や音源から
「演奏技術が高くなったのではないか」という声もあるが、とんでもない。
楽器の音はアンプを通じてのみ、ドラムの音は生音で届けられていた。
観客の大歓声、金切り声で満足に音程も取れなかったはずなのに、きちんと歌と演奏が成立していること
自体がすごいのだ。
特にミュージシャンなら「自分の歌なんてろくに聴こえない中で、動じずにこれだけのパフォーマンスをしていたのか」
と、考えると感動するだろうし、シュミレーションしてみたほうがいいと思う>

そうなんです。ど素人が、今回出たCDの音を聴いて、やれへたくそだの、幼いだの
何もわかっていないくせに、言いたい放題・・ごめんなさい

今さらだけど、この前の記事に書いたことは撤回します。・・反省

今では当たり前のようになった、野球場やサッカー場などスタジアムでのライブコンサート

当時としては珍しい、というか彼らが初めてアメリカで行ったようです。

それだけでもすごいわ、バックバンドがいるわけでもなく、たった4人で、ギター3本とドラムスだけ
それであの音が出せたということは・・う~~ん、ただただすごかったとしか言いようがありません。

感動に浸って帰路につきました。

ここで話は終わりたいところですが、今回もおまけがありまして

映画館は京急川崎駅前です。川崎市です。横浜市ではありません。

それなのに、なぜか・・京急鶴見と思い込んでしまっていた。
前夜、地図を見て確認していた時は川崎と認識していたはず、

電車の時間も調べて、川崎で降りるはずだったのに、なぜか京急鶴見で下車

駅を出て、インプットしたはずの地図を思い出しながら歩き出した、けど・・
<おかしいなあ 確か駅の真ん前に建物があるはずなのに

仕方がない、ここは日本だ、聞いてみよう

何人かの人に尋ねました。若い人ならと、子供連れのママさんにも聞いたし
お店の人ならばと、アジア系の店で働いている、外国の人にも聞いたけど???

商店街なのでお店の人に聞くのが手っ取り早い、とばかりに次の店に
少し年配のご夫婦が、
「わからないなあ この辺にはないよ、ああもしかしたら川崎と間違えてない?」

ここで我に返りました。あああまたやっちゃった

映画は11:15から、すでに11時を回っています。

急いで駅に戻る、次の電車は、さっき乗ってきた電車の10分後、少し待って乗り込みました。

エアポート急行だから川崎は次、映画館のビルは本当に目の前にありました。

そして冒頭につながるのです。

やれやれ、しかしなぜ鶴見と川崎を?
昔から京浜工業地帯の中心地域です。

自分の中でどこか同じ風が吹いていたのでしょう。

まったく転んでもただでは起きないというか、何もないことの方が少ないのでは?
誰かと待ち合わせしてなくてよかった、それだけが救いでした。


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