横浜田舎物語

サザン、サッカー、ロードバイク
エイジレスばあばのパワフルな日々
をお届けします

退院から丸1か月

2014-09-30 | ひとりごと


9月も最終日、この1か月のなんと早かったこと

入院中の8月の倍くらいの速さで過ぎて行ったような気がします。

退院したらどうしても行かなくちゃと思っていたところが3か所ありました。

美容院・内科・歯科医

美容院と内科はすでにクリアしました。

残りは歯科医、予約の電話を入れて今日行ってきました。

「雨が降ったら行かれませんからその時はキャンセルの電話します」
あらかじめ言っておきました。
車の運転できないし、傘もさせませんから雨の日は無理です。

よかった、今日は晴れました

病院まで歩いて行ったことがなかったので(10分くらいですが歩けなかったので)
ウォーキングの時、予行練習がてら歩いてみました。

なんとか行けそう、そう確信したので予約の電話を入れたのです。

前の記事で感染症のことを書きましたが、虫歯は最も危険な兆候

入院中もせっせと歯磨きしていましたので、久しぶりに診てくれたK医師
「思ったよりずっと優秀だね」ですって
入院中だから歯のケアがいい加減になるって思っていたみたい

「暇ですからね、せめて歯磨きくらいしっかりやらなくちゃって思ってたんですよ」

相変わらず減らず口の多い医師ですがこっちも負けてないからいいんですけどね(笑)

衛生士さんにきれいに磨いてもらってさっぱりしました。

また3か月後受診します。

痛くならなければ、どうにもならなくなって初めて歯医者に行く、という悪しき習慣とはお別れです。
これからはきちんと検診を受けます。それが自分の体を守ることになるとようやく気付きましたから

さて、昨日のことですがyukikoさんが寄ってくれました。

そして・・・・



彼女のコメント欄に書き込んだ一言で・・実に申し訳ない
毎年いただいてました。絶品の栗の渋皮煮

今年はもう無理かとあきらめていましたが、こんなふうにブログに紹介されてるとつい・・・
ごめんなさいyukikoさん  ほんとにわがままで身勝手な私のためにわざわざ・・うれしかったけど

今年もおいしくいただけました

明日から10月、今年もあと3か月です。

まだしばらくは不自由な生活が続きますが、確実に力が付いて来ています。


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この週末は

2014-09-28 | ひとりごと
一日一日と一人でできることが増えてきたような気がします。

金曜日 2か月ぶりの刺し子教室でした。

7月に例の作品が出来上がって、「次回は9月26日です。」と予定が決まったとき
無理かもしれない、とずいぶん弱気でした。
まさかここまで回復するとは思っていなかったからです。

前作がいきなり面倒なものにとっかかってしまったので、これからはもっと簡単で
見栄えのいいものを、なんて横着な考えで臨みました。

ランチョンマットをしばらくは作ろうかと、シンプルに野菜とか果物とかの図案を
すでに持っている人に借りて、チャコペーパーで写せばすぐできるわ・・・

ところが、たまたま見てしまった本に載っていた作品、気に入ってしまって
さあ、大変、実は今まで自分で製図をしたことがなかったのです。

前作は先輩たちが苦労して作ったものを次から次へ借りて楽させてもらったので

「もう面倒だから簡単な図柄でいいわ」って弱音を吐いたら
先生であるOさん「せっかく気に入ったんだからやってみたら、それも勉強よ」と

仕方なく方眼紙に写し始めました。



この柄は前回もやったのでわかっていますが、構図が違うのでランチョンマットの寸法に合わせて
別の紙に(障子紙を使うそうです)写してそこから初めて刺す作業が始まるのです。

何が苦手って、刺すことよりこの細かい柄を製図すること、なんとかずるしてやろうと今までは
好意に甘えていたけど、今回はだめ出しされてしまったので・・・

ということでこの日はこれだけで終了、

次回1枚でも刺し始めることができたら紹介しましょう。

そして昨日の土曜日、最悪でした。
去年も今頃咳が出始めて、風邪っぽくはないから隣の耳鼻科で肺炎の検査をしてもらいましたがなんともない
結局アレルギーだろうという診断結果が

今回も同じようだったけど、もしも風邪だったらたいへんと思いこちらも2か月ぶりに行ってきました、かかりつけの内科、
土曜日だから混むだろうなと思ったけど、まさかの3時間半待ち、9時半に受付して診察してもらったのは13時近く

今までなら診察券出したら1度家に帰っていましたが、今の状況では大変なこともあって待つことにしたけど
それにしてもひどい

総合病院じゃないんですよ、内科、皮膚科の個人病院なのに
先生、どこまでも患者の話を聞く人で、お年寄りは病気に関係のない話までするから一人一人が長い

こんなことなら受付終了ギリギリに来ればよかった。

先生、手術前に出してもらった60日分、昨日も間違えたのか、通うのが大変と思ってくれたのか2か月分出たので
来月は来なくて済みそうです。疲れました

人工関節は希にですがウイルスによる感染症のリスクがあります。
そのため、ちょっと風邪っぽかったり、歯に違和感があったりしたらすぐに診察を受けることが
大事だと聞いています。

それでも昨夜はその疲れが吹っ飛ぶようなすごくうれしい報告が孫から入りました

希望していた大学の推薦が取れたそうです。11月に面接があるのでそこで正式に決まるようですが
ほんとうによく頑張ったと思います。
「何でも欲しいもの言いなさい」なんて甘いバーバですがまさか車買ってなんて言わないでしょう?(笑)

入学してからが大変そうな学部です。ますます勉強しなくちゃね。

合格祝いやりましょうね。  楽しみです。



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お彼岸と栗ごはん

2014-09-25 | 出来事
一昨日は秋分の日、お彼岸のお中日でもありました。

お彼岸は春と秋の年2回ありますが、正直その日数など曖昧にしか知りませんでした。
正式には春は春分の日、秋の秋分の日、この2日をお彼岸のお中日と呼び
その前後6日間をお彼岸というそうです。

こんなこと今さらと言われそうですが、私自身いい加減で、大体このころじゃない?程度でしたから
今回はしっかり学びました。知ったかぶっていて実は知らなかったこと、まだまだありそうですよ
その都度学んでいきましょう。

残念ながら実家のお墓参りは遠くて行かれませんでしたが、
夫の姉の家のお墓参りには我が家のほうが近いこともあり、義姉と末っ子孫のあーちゃんと共に
行くことができました。

無事退院できて元気で過ごせていることを報告したい、感謝の気持ちを伝えたい
お墓参りの時って今の自分の報告みたいなことしませんか?

義姉のところの墓地には義兄と甥っ子が入っていますが、まるでそこにご先祖様のすべてがいるかのように
いろんな報告をして、これからもお守りくださいと祈ってくるのです。

だからこそ気分がすっきりするのかもしれません。

義姉も大変喜んでくれました。残念ながら自分の夫と息子を若くして亡くしてしまった義姉ですが
二人の分も長生きしてほしいですし、二人にも義姉のことを守ってくれるようお願いしてきました。

ご先祖様もお願いばかりされて迷惑でしょうか?
でも、生きていればまだまだ守ってくれていたはずなんだからそのくらいは聞いてほしいです。
なんて勝手なことを思いながら手を合わせる私です。

帰り道、小出川の彼岸花、寄ってみました。。遠目にはきれいに見えたのですが、近くまで行くと
すでに所どころ枯れ始めているのもあり、ちょっと遅かったかもしれません。



駐車場から川岸までのあぜ道を2本杖で歩けるだろうかと心配でしたが、なんとか行けました。が、まだ怖いです。

そして、この時期恒例の栗ご飯作りましたよ

退院してきたばかりの時は考えられなかったけど、今年も作ることができて
当たり前のことが当たり前にできるってやっぱりうれしいですね





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変形性股関節症の手術をためらっているあなたへ

2014-09-22 | 変形性股関節症




これが何かわかりますか?

退院してから我が家に来てくださった皆さんには説明しましたが
何に使うのかわかる前の反応が面白かった

幼児が使うエプロン? 腰に巻くの?等々、発想的には面白かったけど

こうして使うんですよ



股関節を90度以上曲げてはいけないと書きましたが、靴下をはくときはどうしても曲げざるを得ないです。

そこで登場したのがこれ、入院中に作業療法士のイケメンH先生からのプレゼントです。
はい、もちろん全員プレゼントですけどね。

10色くらいの見本パネルを見せてもらって「好きな色をどうぞ」
もちろん即決、即答 オレンジです。

入院中はもちろんのこと、今でも毎日使っています。
この前ストッキングを履いてみましたが、うまくいきました。

11年前同室だったTさんに見せたら驚いてました。
あのころはなかったし、もちろん病院でもらえるなんて考えられなかった。

こうしてどんどん進化してるんですね。

進化と言えば、私が今回受けた人工股関節置換手術

ほんの20年くらい前までは入院期間が3か月と聞きました。
なぜそんなに長期間だったのか、固定するまで時間がかかったとか、そのくらいのことしかわかりませんが
とにかくベッド上での期間が長くて大変だったようです。

もっとも日本にこの手術法が入ってきたのが50年くらい前だと言いますから、歴史としてはまだ浅いのですね。
その昔の人々はどうしていたんだろう・・悪化して、歩けなくなって、結局寝たきりになってしまっていたのだろうか
そんなことを考えると、自分はなんといい時代に生まれ合わせたのだろうかと、これも運命を感じます。

11年前に人工股関節を入れたTさんの時も3週間で退院でした。
そのころから何が進化したのか素人にはよくわかりませんが、少なくとも当時は両脚同時というのは聞いたことがなかった

ナースハルコさんは9年前でした。ですから間もなく始まったのですね。

両脚同時なんて聞いたこともなければ考えたこともありませんでした。

横浜の医師からは「あっそう、今流行ってるんだよ」なんて言われるし
去年あたりからいつ手術と言われてもおかしくはない状態だったから、飯田先生から言われた時も
「来たか~」くらいでしたけど、両脚同時はまさかまさかの展開でした。

私の場合、飯田先生もおっしゃってましたけど「年齢的にも軟骨がなくなってくるのは仕方ないよ」なのです。
つまり、この手術でよく言う年齢に不足はない

人工股関節の耐用年数は一般的に20年と言われています。
しかしこれはあくまでも平均的な話で、活動量の多い人や重労働の人は消耗が激しい分、早く摩耗が進むと言います。

これを自分に置き換えると、今65歳の私が平均を維持したとして85歳、それまで生きているか、生きていたとしても
元気でいられるか、これは自分でもわかりません。
元気なら交換時期が来るかもしれませんが、そんなに心配するほどのことはないと思います。

それより・・今回の入院時にも大勢いました。若い方々、一番若い方で43歳と聞きました。
50歳前後の方も多かった。
その皆さんの話を聞く機会がありました。
夕食が終わって、下膳と言って食器を各々所定の場所に片付けに行くのですが
だいたい時間が一緒になるので、そこで雑談が始まります。

その日はたまたま私以外の若い皆さんが数人廊下に出てきました。
しばらくそこで立ち話をしていたのですが(立ち話といっても全員杖を持っています、中には歩行器の方も)
そのうち、どうせならデイルームに行きましょう。ということになって
テーブルを囲んで賑やかな会議の始まりです。

そこで私が聞いたことは「若いのによくやったわね 決心するのにずいぶん悩んだでしょう」

そしたら中でも一番若い彼女「確かに迷いました。今やると確実に20年後取り替えるようになるし(再手術)
でも、先生から言われたんです。今もこれからも毎日痛いのを我慢して、やりたいこともできなくて20年待つのか
早いかもしれないけど今のうちにやってこの20年を思い通りに過ごすか、20年先のことばかり考えてその間何もできなくていいのかと」

彼女たち、人工にするということは末期症状だったからなのです。

私が11年前にやった棚形成手術はまだ初期段階でなければできない手術、若い方は早くわかればこれがベストなんだけど
皆さん事情はそれぞれでも末期になってしまったのですね。

そして一様に言われるのは「このままではいけない、今やらなければいけないこと、やりたいことが何もできないから」

皆さん前向きです。これは若いからだけでなく、手術を受けた皆さんに共通すること

もちろんこの私もですが、痛い痛いって何もできない、どこにも行けない、そんな生活にピリオドを打つために

世の中にはいろいろな病気があります。

ある人に言われました「あなたの場合、悪いところを取って、代わりのものを入れられるからまだいいのよ」と

どんなに痛くても、動けなくても原因を取り除けない病気を持っている方もいます。
その人に言われて改めて、病気は残念だけど、不幸と思ってはいけないと考え方が変わりました。

何度も書きますが、リスクはあります。
それでも痛みが無くなるだけでなく、いずれは手術したことさえ言わなければわからないほど元気になれるはず

まだ若いから人工になんてと拒否している方、手術は怖い、だから今のままでいいと拒否している方
明るい明日のために思い切りましょうよ。

ips細胞は生まれつき軟骨ができない病気の方にとって光明になろうとしています。
まだこれからですが、希望は持てます。

軟骨と聞いたとき、すぐに思いました。

もしかしたら20年30年後には変形性股関節症の皆さんの光明にもなるのではないか
そしたら今回手術を受けた若い皆さんにも朗報が届くのではないか

医学は日々進歩、進化している  20年先を心配しているあなた、その時はどう進化しているか
それを思ったらなんだか楽しいじゃありませんか。

私も長生きして、20年後もイケイケおばあちゃんでライブに行ったり、自転車に乗っていたり
これが理想なのですが、それがもしもできていたら、交換なんてことになるかもしれない

ipsはもちろんのことあの夢のSTAP細胞も研究が進んでいるかもしれませんね。

術後理学療法士のH先生から「20年後には交換ですね」って言われて
「そんなに長生きしなくていいわ」なんて答えたけど、この先、どんなふうに変わって行くのかを
確認するために生きていてもいいかもしれません。

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退院して3週間

2014-09-21 | 変形性股関節症
入院中はあんなに長かった1か月、退院して3週間が過ぎましたがなんて早いこと

正確に言うと術後48日、2本の杖は必需品だけど、家の中では、特にキッチンの移動では使ってないことが多い

確かに杖がなくても歩けないことはない、ただ、怖いのと、正しくは歩けない

飯田先生からの指示だそうです。杖を使うことによってきれいな歩行ができるようになる。

日常生活も変わってきました。無理は禁物ですが、かなりやれそうなことが増えてきました。

いちいち夫に頼むのがめんどくさいときがあって、これはどうかしらと、ついやってしまうことが増えました。

リハビリのためのウォーキングも、今日はとうとう3000歩越えて3246歩歩きました。
実際は4000歩越えてたかもしれない。

太ももの筋肉も心なしか固くなってきました。

3項目の筋トレはまじめにやってますし、今はとにかくしっかりした下半身を作ること
それが術後3か月の結果につながると思うから

さて今日は映画に行ってきました。

観たいのは他にもあったけど、今回も夫のお付き合いで、





中井貴一、阿部寛、主演の”柘榴坂の仇討”

またチャンバラ映画?と原作を読んでいなかった私は、映画館まで行ったら別の映画を観ようと決めていました。

ところが番宣なのでしょう、中井貴一さんがやたらにテレビで映画の話をしてました。

話を聞いているうちになぜか観てみたいと思うようになってきて、結局観たわけですが

よかったですよ  ぜひ観てもらいたいって久々に思った映画でした。

中井貴一さんが「武士が出てきますけど、チャンバラ映画ではないんですよ、人間愛の話、とにかく観てください」
って言ってましたけど、その通りでした。

退院後3週間目は映画にも行けるようになりました。
少しずつですが、いろんなことに自信がついてきました。
もちろん転倒には十分注意しています。

お酒も術前と変わりなく飲めるようになりましたし(これは関係ない?)

退院時にたくさん処方してもらった痛み止めも湿布薬もまったくといっていいほど使っていません。

そういえば今朝、明け方ですが、自転車に乗っている夢を見ました。
家に帰る途中、坂道をクリアしなくちゃいけない道に出て、そこで目が覚めました。
これが正夢になるかどうかはまだわかりませんが、今日もいいお天気、いい陽気
自転車乗りさんたち大勢見かけました。

今は半分あきらめて、半分う~~んって感じですが、1年2年するうちに乗り始めるような気がします。
術直後は全く考えられなかったけど、約1か月半でこのくらいなら半年経ったら、1年経ったら・・
なんとなく希望が見えてきたような・・・

いまだに手術を悩んでいる方、拒んでいる方に伝えたいことがあります。
このお話はまた改めて・・・

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いちご会

2014-09-18 | ともだち
昨日はろくに掃除もしていない、何も出ない我が家にいちご会のメンバーが集まってくれました。

今なら「やりたくてもできないのよ」と、何でも許される

仲間の一人、Oさんから「早めに行って掃除機掛けようか?」って言ってもらったけど
「どうせなら帰りに掛けて行って」なんて言う始末、

食器だって普段使いで十分だし、前もって準備なんかしなくても勝手に食器棚から出して
ほんとに気を遣わなくていいので楽、皆さんもそこがいいのかな?

いろいろ持ってきてくれたので私はお茶とコーヒーを出すくらい

退院後お惣菜を届けてくれたFさんはまたお得意の野菜料理を持ってきてくれました。

私が太らないように気を遣ってきた、そうです。
でもごめんなさい、すっかり元に戻ってしまいました

もちろん歩き出して筋肉も少しずつ付いてきましたから・・でもやっぱり食べ過ぎ?
だって、家に帰ってきたらなんでもおいしいし、お酒もビールもやってますからね

さて、昨日です。

いちご会はもう30年来の地域の仲間ですが、今では地元に残ったのは私を含めて3人
あとの4人はそれぞれ引っ越して、それでもこうして集まってきます。
神戸に住んでいるNさんはさすがに来られませんが、逆に入院中は何度もお見舞いに来てくれました。

このNさんが一番年下で、まだアラ環、次がFさんと私で、最年長が今年古希を迎えたTさん

ということで先日の敬老の日、テレビから盛んに流れていた「65歳以上の老人人口は・・・」の下り
65歳以上老人がNさん以外全員になりまして、話題と言えばご多分にもれず、病気のことと、今後の話

幸いと言っていいのか、言い辛いのですが、神戸のNさん以外は全員が親の介護から卒業できました。
もっとも、私みたいにまったく縁のなかった苦労知らずもいますが
ほとんどの人は多かれ少なかれ経験してきました。

親を見送った後は孫の面倒をみて、今まさに真っ最中の人もいますが、孫はいいんです。
いずれ成長するし、最終的に自分には責任がない

そうなると自分ですよね、もちろんその連れ合いのことも心配ではありますが、
話題の中心は自分のこと、
女性は長い間、自分のことは二の次、三の次、この年になってようやく自分自身に
目が向けられるようになったということなのでしょうか

そもそも「もう感じ悪いよね、65歳以上の老人人口増加ってニュース」から始まった

わたしもあれ?って言う感じで気になりましたけど、世間一般では65歳は老人なのか?
そうよね、まず国民年金支給されるし、介護保険料しっかり支払わなくちゃ、だし

今回の入院でも若い皆さんから言われてしまいました。

「65歳以上と以下では医療費ちがうんですよ」って、知らなかったわ

それでも街中インタビューで「老人というのは何歳からと思いますか?」と聞かれて
65歳という人はほぼいない

自分自身もそんな気はないしまだこれからと思ってるからこそ大変な手術も受けたわけだし

今年70歳になったTさん、町田市民なんですけど1年で1000円支払うと都営バス、都営地下鉄無料になるんですって
これも年金等の個人収入によるらしいですけど、横浜市はそんなに甘くないですよ。

話はその先の病院、老人専門病院、介護施設、特養の話まで、それぞれ自分の親の体験を踏まえて経験談を聞かせてくれました。
参考になりますね。

結論は結局お金が大事、お金のない人はぎりぎりまで自分で生活できるよう健康に気を付けるしかない
なんだか寂しい、むなしい話になってしまいました、先のことなんてだれも予測できませんから

思えば約30年前は小学校のPTAから始まって、子供たちの進学問題、夫婦のトラブル、自分の仕事、
そして子供の結婚、独立、親の介護、夫の退職後、等々、そして今に至るわけで

それぞれ多少の回り道はあるものの、今でもこうして付き合っていられるということは
その時その時を必死で乗り越え、踏ん張ってきた証拠

これからいったいどんなふうになっていくのかしらね。

自分では老人なんて思ってなくても体は確実に老化していく、

そういえば確か30代から40代になるとき、”おばさんといい女の境目”なんて話題がありました。
私なんか無駄な抵抗と思いながら、10年位決心のつかなかったピアスを開けました。こんな程度です。

結局みんな普通のおばさんになってしまったけど、ま、そのほうが楽だったし、
いい女になるにはそれなりの覚悟が必要だったしね

そういう視点からだと65歳は何の境目なんだろう

面白いのは私も含めて、40代頃不安定だった自分の立場が、今では全員腹が据わっていて
怖いもの知らずになっていること

久々に揃ってためになる話が出ましたね。
これからもその時その時を問題提起して、少なくなった知恵を絞り出し合って行きましょう。

誰かが言ってたけど、「老後誰からも束縛されないでみんなと一緒に暮らしたいわ」

ほんとにこんなことができたらね、理想です。現実も実現も厳しいわ




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近況報告

2014-09-17 | 変形性股関節症
退院から半月が過ぎ、時々杖を忘れてしまい慌てることもあるこの頃です。

一昨日の祭日は夫は珍しく一人で自転車で出掛けました。
もうあきらめてるから・・と思いながらもやっぱり悔しい

お互いにどこに行ってきたの?どこに行ってきたよ。の会話もなく、気を遣ってるのでしょうか・・

夕方いつもと違うコースを歩いてみたくて付き合ってもらい、2500歩以上歩くことができました。

痛みは少し出ます。まだ傷口もその周りの皮膚や肉が馴染んでいないのでしょうか
それでも術前のあの痛さとは全く種類が違って、歩くのが辛いなんてことはありません。

この分だとそろそろ最寄駅までは行けるかな?そしたら娘に頼まなくても駅前の銀行には行けそう
転倒は怖いけど、少しずつ自信もついてきました。

退院時に理学療法士から渡された用紙に記入されていた筋トレ3項目

股関節にあまり直接的に負荷のかからない下肢の運動を行いましょう。

・立った状態での膝の曲げ伸ばし(スクワット)

・立った状態での踵上げ運動

・うつ伏せで膝を曲げて大腿前面の筋をストレッチ

スクワットと聞いたときはびっくりしましたが、一般的なスクワットとは違って
お尻を出すのではなく、膝に負担をかけます。
膝が悪いと無理かな?という感じですが、太ももにはかなりじわじわと効いてきます。

術前にさんざんヒアルロン酸をうち続けた左膝、長いこと湿布を張り続けた左膝
今ではまったく痛みはなくなり、あの痛みはやはり左股関節から来ていたものだと
今さらながら、原因を除去しなければどんなに注射したって治るわけがないと納得

相変わらず2,3時間座り続けているとお尻が痛みます。

逆に、立っていたほうが楽、という時間が増えてきました。
これもうれしい変化です。

夕方など知らないうちに1時間近く立ちっぱなしなんてこともあります。

これも術前には考えられなかったこと、

まだ人工関節と周囲が完全になじんでいるわけではないので、軽い筋肉痛のようなものはありますが
なんだか太ももが少し硬くなってきたような、
ほんとにこの分だと、もう少ししたら杖なしで家の中くらい歩いてしまいそうです。ダメですけどね

さて、今日はこれからいちご会のみんなが集まってくれます。
遠慮のいらない仲間、言いたいことが言える仲間、すごく楽しみ

館山のSさん(入院時に付き添ってくれた人です)は8時過ぎのバスに乗ったって、今頃海ほたるあたりを通過してるかしら?

広島から館山に帰るとき、大阪近くになってどうしても気になってと途中下車
術後3日目の私に会いに来てくれました。
それ以来の再会、こんなに元気に歩いている私を見てきっとびっくりするはず
思い切って駅まで迎えに出ようかな?
大勢の人に励まされてここまで来ましたが、元気に歩けること、これも恩返しの一つだと思っています。

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文化祭日和

2014-09-15 | 
3連休の中日、昨日は孫の高校の文化祭に行ってきました。

朝からよく晴れて最高の文化祭日和

退院してから最初の目標がこの日でした。

去年は土砂降りの中大変な思いをしたので、今年も心配でしたが、
朝からこのお天気なんとか来ることができてよかった。

到着したことを知らせると校門まで迎えに来てくれました。
何人かのお友達にも紹介されました。

「おばあちゃん?可愛い~~」ですって

アハハ、なんて答えればいいの

入学した高校には形ほどの吹奏楽部しかなかったため、
あれほど頑張ってきたクラリネットをケースから出すこともなく
それでも好きな音楽にはかかわっていたいと思ったらしく軽音楽部に入部
毎年文化祭での発表を楽しみにしてきましたが、今年は危うかった

もしも術後が思わしくなかったら、こちらの病院に転院していたかもしれない。

「ぜったい文化祭には行くから」こう言い放った私に夫は「無理だよ」と決めつけた。

来年もあるならまだ仕方ない、今年が最後なんだもの
その気持ちが通じたのか、条件がすべて整い今年も元気に歌う姿を見ることができました



今年は3年生だけのチームでオリジナル曲を作ったとか、2曲目はキーボードをたたきながら歌ってました。

これが終わると、言いたくはないけど・・・いよいよ受験に突入です。

ますます忙しくなって会えることも難しくなるけどたまには顔見せてね。

そして一昨日は約1か月半ぶりに美容院に行ってきました。

カットとマニキュアで約2時間かかるので、耐えられるだろうか心配でしたが
かかりつけ?美容師のOさんが気を遣ってくれて2時間以内に終了、やっとさっぱり
これで孫の高校にも行けるぞって思ったのです。

送り迎えはもちろん夫に頼みましたが、終わってから待っている間に、ちょっと洋服売り場に
土曜の午後だというのにそんなに混んでいなかったのはラッキーでした。

今年はスカートが大流行ですね。
まったく買うつもりなどなかったのに、スカートなんて何年ぶりかしら?
マネキンのレイアウトがあまりに可愛かったので・・
試着もままならないのに買ってしまいました。



懐かしいシルエット、8枚はぎのフレアスカート、膝が微妙にかくれるくらいの丈、流行らしいですよ。
昔履いた記憶があります。体型はこれまた微妙に・・いや、全く変わりましたけど
安物だし、気分転換になるかなって、スカート履いて少しはお行儀よくならないとね。

今度友人たちに会う時履いてみよう、みんななんて言うかしら?
「冷えないように気を付けなさいよ」って多分、言うだろうな

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入院後初めての事件?

2014-09-12 | 変形性股関節症


8/9(土)の真夜中の話です。

まったく眠れないので、前夜初めて誘眠剤をもらう、最初だから半分ですって
効いたような効かないような、ウトウトしていたその時
突然大音響が・・・当然飛び起きました

「6階の火災警報器が作動しました。現在調査中です」

院内放送が響く

しばらくすると再び大音響

「ただいまのは誤報でした」 誤報??こんな真夜中に誤報
なんてこと、まだ車いす移動だった私は瞬間、どうやって避難しよう
そういえば緊急避難口調べてなかった、調べたところで自分一人で逃げ出すこともできないし

そんなことを思っていたその時、お隣のベッドあたりでドスン!という鈍い音
そのうち「奥さん、助けて~」
隣の3日前にひざの手術をしたばかりのおばあ様、お向かいのこれから手術する人に助けを求めている

「私無理ですわ、看護師さん呼んで」って言ってる、当たり前だわ
すると「看護師さんに迷惑かけたくないねん、助けて」

もしもし、お向かいのおば様だって手術前と言えども患者さんなのよ

ずっと黙って聞いていた私、もうこれはおせっかいでも何でもないわと思い
「ナースコールしますよ」と言いながらボタンを押す

すぐ飛んできた夜勤看護師、「あらあら、落ちちゃたんですか。私一人じゃ無理ですわ」
と言いながら院内携帯でヘルプを呼んだ、結局3人しかいない夜勤看護師が全員でようやく起こしたみたい
話の様子では、手術したところは大丈夫そうだけど、その下あたりをけがして出血しているって

手当をしてもらってようやく落ち着いたお隣のおばあ様、同室になって5日目、初めてまともにお話しました。

寝たきりだった私のこと、あれこれ言ってくれてたけど、私はそんなに悪い人ではないのよ
やっとわかってくれたみたいで、その日を境にやたらフレンドリー
聞いてもいないことまで話すからちょっとめんどくさいこともあったけど
これも傾聴ボランティアの一環かと、どうせあとわずかのお付き合いなんだからと我慢する。

ところが、予定では術後2週間で退院だったこのおばあ様、転落の時の傷がなかなか治らなくて
結局私より後の退院になってしまったのです。

明るくていい人だった、私が退院するときは最後まで寂しいって言ってくれたし
もう今頃はお家に帰ったことでしょう。

この話からyukikoさんが「赤い札は付けられてる?」って聞いてきた

「赤い札ってバーゲン品のこと?」って切り返したけど、わかってるわよ

”トリアージ”のことですね。

大震災や、大事故の時、誰を真っ先に救命しなければいけないか、
救急隊や医師が判断して救急搬送の目安にするタグのことですね。

その中で赤というのは ”カテゴリーI(最優先治療群)生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置をすべきもの”

つまり真っ先に助けてもらえる人ということ、多分病院側でそれは決まっているんでしょ

yukikoさんならではの視点に感心しましたよ

ま、とにかく誤報でよかった しっかりしてくださいよ、こんなことがなかったらおばあ様も怪我しなかったのだから
そうよ、病院側の責任なんじゃないの、しばらくは怒ってましたね。

日本列島に台風襲来で、関西地方は特に荒れた日の夜中の出来事でした。

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術後2日目、初めてのリハビリ

2014-09-11 | 変形性股関節症


昨日は退院後初めて外食、ついでに買い物にも行ってきました。
もちろん娘が連れて行ってくれたのですが、一人で出掛けるのはまだまだ先のことです。

スーパーでの買い物は杖をはずしてカートにもたれかかっての移動でしたが
もうすっかり杖歩行に体が慣れているらしく、カート移動は疲れます。
杖のほうが姿勢良く歩けるし、心配なはずなのにほっとします。

では続きです。

8月6日(水)

術後2日目、朝から慌ただしく看護師さんが現れる

体中隅々まで清拭してもらう
そして、体中の管が抜けた

ちなみに体中の管というのは、右手甲に抹消点滴、左手首に動脈ライン
両脚傷の横に排液チューブ、排尿チューブ(バルーンカテーテル)
そして背中に痛み止めの硬膜外チューブ

これだけのものが一気にとれてようやく自由に、それと同時に
車いすに乗ってトイレに行かなくてはいけない
片脚の手術なら反対側が使えるけど、両脚だからトイレ移動にはずいぶん気を遣いました。

それでも車いすは11年前にもさんざんお世話になっているので、こういういい方もおかしなものだけど
まさに昔取った杵柄、もうすっかり慣れたものです。

食欲は相変わらずないけど元気です。

午後、ベッド上でウトウトしていると理学療法士の濱田先生登場、

そういえば、2度目の貯血の日の午後、リハビリセンターに行って様々な検査を受けたとき
先生こう言われました。

「術後早い時期にお迎えに行きますから、がんばって手術受けてください」って

ほんとに来ましたよ、まだ2日しか経ってないというのに

「今日は僕が押しますけど、明日からは一人で来てくださいね」

懐かしいリハビリセンターに到着、無事終わってここに来れたことに感謝

確かベッドサイドでリハビリって書いてあったはずだけど、まだ2日目に何をする

まずリハビリ用ベッドに横になると、軽いマッサージ、そして片方ずつ膝を曲げる
こんなに曲げていいのでしょうか?思わず力が入る

続いて車いすで平行棒の前に移動、立ち上がって平行棒を持ち背筋を伸ばす
「はい、そこで両手離して、気を付け!」
えええ~~怖いよう~ 「大丈夫、すぐ掴まっていいから」

なんだかふらふらして落ち着きません。
今日のところはこれで終了、明日はバーを持って歩行開始だそうです。
ほんとに大丈夫かしら?

部屋に戻ってすぐ、今回の最初の見舞客、元同僚のSさんです。
6月に手術をした、私が勝手に戦友って思っているご主人は、術後2か月
最近は車にも乗ってるし、近所の買い物は自転車で行ってるって
すご~~い 大丈夫なの?

戦友も頑張ってる、私も頑張らなくちゃって思いました。

Sさんはこの日から退院するまで6回も来てくれて、1度はご夫婦で寄ってくれました。

習ってきたばかりだけどと言って、目の前で見せてくれたマジック
一人で見るのはもったいなかったわ
どこまでも明るい、たくましい母さんです。もちろん優しさもいっぱいの人です。

夕方熱が出たので解熱剤をもらう、術後はどうしてもね、仕方がないです。

それでも心配してくれてる皆さんにメールを送る
返事には一様に、安心したこと、こんなに早くメールが来るとは思わなかったこと
みなさん驚きの声でした。

まだ寝返りどころか横向きにもなれなかったこの時期、
それでも1日1日元気になっていく事が実感できたころでした。

コメント (8)
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