ようやく長い梅雨も明けて夏らしい空。7月は台風ゼロで観測史上初とか。台風なんて来ないほうがいいが不気味。コロナは日々増加。これも不安。この先どうなるんだろう。
阪神タイガースは最下位から始まって苦しんでいたが、息を吹き返して一時は2位まで。
大阪城公園に着くと太陽の広場東の森でカワラヒワの幼鳥7羽がぱらぱらと飛び上がり先の木に群れとまる。双眼鏡で確認すると幼鳥だ。
カワラヒワは幼鳥にしては可愛い顔をしていない。逞しい雰囲気を感じる。嘴のせいか、それとも胸腹の縦斑のせいか。
そのほかには、シジュウカラ、ツバメ、メジロ、アオサギ、カワウ、キジバト、ハシブトガラス、ヒヨドリ、ムクドリ、スズメ。
既にムシクイが観察されている。秋の渡りはもうすぐ。
数年前に行った淡路島のすし店に出掛けた。岩屋港である。カウンターの後ろの大きな窓から海が見えるのが気に入っている。「港の見える寿司店」 と呼んでいる。
始めは一品が続く、例えばナスとウニの小鉢に大きなハスの葉。葉の上に置かれたジュレを滑らせてかける演出。確かこれはヨーグルトが蓋に付かないための仕組みにも使われた原理。
にぎりは 伝助アナゴ、生ハモ、生太刀魚、タイラギ貝柱、キスなどなど素晴らしい一品が続く、ますます酒が進む。来た甲斐があった。後は酔っぱらってよく覚えていない。
記憶にあるのは港を出入りする船。群れて舞うトビ、水面に顔を出すカワウ、時にウミネコ。
好きなものが揃ってのひと時を楽しんだ。すでに死ぬまでの残りが分かる年齢になった。持っていけるものと持っていけないものも分かる。
キャノンサービスセンターからカメラとレンズの点検が終わったとの電話。
9時に出掛け、まず初めに梅田第3ビルの朝飲み屋に寄った。酒のつまみも揃っていて椅子まである。ちょっと気に入っている。湯割り3杯飲んでキャノンへ向かった。
もともとズームが自重で伸びるのを、締めてもらうのが目的だった。その後電話があって、開けると他に部品交換もあって7万円以上になると。・・・・どんどん高くなる。 まあこれで一生使えるだろ。後十年ほどだから。
サービスセンターに着いたら閉まっている。・・・・日曜は定休だとドアに。・・・ますますボケできた。
何も突然の思い付きで来たのではない。前夜にはスマホで調べた。これが年齢と言うものか。他に私の言い分もあるが、単に弁解と思われそうなのでよしておく。
今朝の大阪城公園、雨がパラパラと降ってきた、見上げると青空。濡れてもいいとそのままでいると、雨はすぐに上がってセミがうるさい。もう真夏になっている。
■■イソヒヨドリ (2011.6.17 空堀上本丸)
フランソワーズ・アルディの 「さよならを教えて」 やダリダ と アラン・ドロンの 「パローレ・パローレ」 日本語では絶対にないフランス語の甘い発音。日本風で言えば 「色っぽい」 しかしそれとも違う。
You tubeで聞かれるのが分かって、よくBGM代わりに流して作業をしている。
イソヒヨドリの写真と関係ないようだが、本丸の南端、空堀を見降ろす場所で一人イソヒヨドリの現れるのを待っていると、いろいろと思いが浮かんでは消える。私にとって鳥見は人生、趣味ではない。
64歳いろいろあった日々。明日死んでもいい。一通り経験した。そんな思いもある。
今日は♂がよく現れる。5~6メートルほどの距離でこちらを見ている。イソヒヨドリは子育てで頭がいっぱい。鳥カメラマン達が餌付けしたのだろう。現場にいた事がないのでよく分からないが、私に餌を要求しているようにもみえる。
いい意味でも、反対の意味でもデジタルカメラの出現で、鳥の写真の世界は一気に変わった。特にデジスコの出現は革命的だった。
十分に撮れなかったイソヒヨドリが簡単に撮影できた。うれしさも半分、悲しさも半分。
私はそれほど変われない。これまでの思いを持って撮影するだけ。多分、先達の老人たちも同じ思いを持っていったのだろう。そんな事が分かるようになった。
生まれ変わるとしたら、再び人がいいか、それともイソヒヨドリの方がいいか。最近疲れ気味。
阪神タイガースは最下位から始まって苦しんでいたが、息を吹き返して一時は2位まで。
大阪城公園に着くと太陽の広場東の森でカワラヒワの幼鳥7羽がぱらぱらと飛び上がり先の木に群れとまる。双眼鏡で確認すると幼鳥だ。
カワラヒワは幼鳥にしては可愛い顔をしていない。逞しい雰囲気を感じる。嘴のせいか、それとも胸腹の縦斑のせいか。
そのほかには、シジュウカラ、ツバメ、メジロ、アオサギ、カワウ、キジバト、ハシブトガラス、ヒヨドリ、ムクドリ、スズメ。
既にムシクイが観察されている。秋の渡りはもうすぐ。
数年前に行った淡路島のすし店に出掛けた。岩屋港である。カウンターの後ろの大きな窓から海が見えるのが気に入っている。「港の見える寿司店」 と呼んでいる。
始めは一品が続く、例えばナスとウニの小鉢に大きなハスの葉。葉の上に置かれたジュレを滑らせてかける演出。確かこれはヨーグルトが蓋に付かないための仕組みにも使われた原理。
にぎりは 伝助アナゴ、生ハモ、生太刀魚、タイラギ貝柱、キスなどなど素晴らしい一品が続く、ますます酒が進む。来た甲斐があった。後は酔っぱらってよく覚えていない。
記憶にあるのは港を出入りする船。群れて舞うトビ、水面に顔を出すカワウ、時にウミネコ。
好きなものが揃ってのひと時を楽しんだ。すでに死ぬまでの残りが分かる年齢になった。持っていけるものと持っていけないものも分かる。
キャノンサービスセンターからカメラとレンズの点検が終わったとの電話。
9時に出掛け、まず初めに梅田第3ビルの朝飲み屋に寄った。酒のつまみも揃っていて椅子まである。ちょっと気に入っている。湯割り3杯飲んでキャノンへ向かった。
もともとズームが自重で伸びるのを、締めてもらうのが目的だった。その後電話があって、開けると他に部品交換もあって7万円以上になると。・・・・どんどん高くなる。 まあこれで一生使えるだろ。後十年ほどだから。
サービスセンターに着いたら閉まっている。・・・・日曜は定休だとドアに。・・・ますますボケできた。
何も突然の思い付きで来たのではない。前夜にはスマホで調べた。これが年齢と言うものか。他に私の言い分もあるが、単に弁解と思われそうなのでよしておく。
今朝の大阪城公園、雨がパラパラと降ってきた、見上げると青空。濡れてもいいとそのままでいると、雨はすぐに上がってセミがうるさい。もう真夏になっている。
■■イソヒヨドリ (2011.6.17 空堀上本丸)
フランソワーズ・アルディの 「さよならを教えて」 やダリダ と アラン・ドロンの 「パローレ・パローレ」 日本語では絶対にないフランス語の甘い発音。日本風で言えば 「色っぽい」 しかしそれとも違う。
You tubeで聞かれるのが分かって、よくBGM代わりに流して作業をしている。
イソヒヨドリの写真と関係ないようだが、本丸の南端、空堀を見降ろす場所で一人イソヒヨドリの現れるのを待っていると、いろいろと思いが浮かんでは消える。私にとって鳥見は人生、趣味ではない。
64歳いろいろあった日々。明日死んでもいい。一通り経験した。そんな思いもある。
今日は♂がよく現れる。5~6メートルほどの距離でこちらを見ている。イソヒヨドリは子育てで頭がいっぱい。鳥カメラマン達が餌付けしたのだろう。現場にいた事がないのでよく分からないが、私に餌を要求しているようにもみえる。
いい意味でも、反対の意味でもデジタルカメラの出現で、鳥の写真の世界は一気に変わった。特にデジスコの出現は革命的だった。
十分に撮れなかったイソヒヨドリが簡単に撮影できた。うれしさも半分、悲しさも半分。
私はそれほど変われない。これまでの思いを持って撮影するだけ。多分、先達の老人たちも同じ思いを持っていったのだろう。そんな事が分かるようになった。
生まれ変わるとしたら、再び人がいいか、それともイソヒヨドリの方がいいか。最近疲れ気味。