・・・宗教に関する話題はたくさんある日常の情報の中で、割合耳にすることが少ない、だから、自分から求めないと入ってこない情報である。
その中で、キリスト教とイスラム教に関する話題については、世界情勢等の中で、良く耳にする。
しかしながら、これらの宗教はなじみがないので、本質的なことについて、例えば歴史的な宗派の対立などは、我々にはよく理解できない。
そこで、日本人の宗教についてであるが、
先日、瀬戸内寂聴さんの「いきいきと生きる10の秘訣」と云う、お話の中で、「和顔施」と云う言葉に初めて出会い、興味を持ったので調べてみた。
以下の文章は、インタネットなどで調べた文章の一部も引用した。
「施」とは、布施のことで、ほどこしをすることです。
読経のお礼としてお寺さんにさしあげるのも布施の一つで、そのことだけをさす言葉ではありません。
仏教では布施を施すことを最も大切な仏道修行としており、「施しは無上の善根なり」と云う言葉もあるくらいです。
施しとは、物でもお金でも、今それを必要とする人々のために捧げることでありますが、無いものは捧げることが出来ません。
ここに財が無くても出来る施しがあります、その中に、「和顔施」と云う施しがあるのです。
「和顔施」とは、「いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対することである」。
こんな話を知ると、「和顔施」と初めて聞く言葉も、単語としては、初めて見るが、日本人である我々は、子供のころから、人として良い行いと云われることを説いた言葉である。
他に書いてある、仏教の教えの中で同じように、子供のころから、聞いている言葉としては、
① 縁、すなわち、出会いを大事に生きる。
② 身の丈に合った望みを持ち感謝する気持ちがあること。
③ 自分が存在するのは、自分以外の誰かを幸せにするためであ。
・・・・などと、仏教の教えがいろいろとあった。
これらは常日頃、私たちが人間として、遣らなければいけないこととして、親から、教育を受けてきたことである。
キリスト教などの宗教的な教えは、まず神様ありきで、神の教えで、それらは我々の生活の中で道徳観とか、考えとは、明らかに異質と感じることがしばしばある。
改めて、私たち日本人は、無宗教と云いながら、こうして、宗教を改めて、勉強してみると、生活の中に、仏教の考えが、深く浸透して、身についているように感じた。