楽しい日々

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街路樹

2013-03-10 10:29:39 | Weblog
また その話か というわけで街路樹の話です。

年々枯葉が落ちない 枝がない街路樹に なって
いまや木は丸坊主です。
恰好は悪い。 気の毒だ。見ていても 明日枯れるかと
気が気ではない。
 田舎町では特に
人件費 維持管理費がないとか といった理由でなのだろうか
それとも 庭師が 庭師でなくなってしまったからなのか。
疑問がわくばかり、植樹しなくても 刈り取る手を休めば 木は育つし
生きていけるように 自分で身の丈に生活すると思うけど。

いまや
小鳥も棲む場所を奪われて 畑に繰り出して 小さな木も
あらゆる木が マンション状態で こまりますよね。
ホウレン草も 編みかけしないと 食べられちゃうほどです。

これって もっと いい活用法が あるのではないだろうか
街路樹でカイガラムシを育てたり
 精油を採取したりして 蝋燭を作っていた時代もあるとききます。
アロマ蝋燭にすれば フランスのようにおしゃれだなあ。
 切り倒したり 掃った枝で 工芸品を作ったり
精油の採取後の残渣は とてもいい肥料になるだろうし
銀杏だって もっと利用できるはず。生活保護費を支払うのも
こういったものを いかして支払ったら どうなのかしら。 
虫除けの木だって 使ってもいい。

街路樹だけでも
人をいかして 人を採用して 環境にも長ーく貢献できる方法が あるはず。
ただ 景観のためだけに 維持しようという発想は 日本になじまない。
日本人は ケチくさいので 利用して存続を目指すといいと思うのです。

知らぬということ 工夫が足りぬということは 
こと 生物学や 植物学の先生が 分類や新種に目くじらを立ててきて
人類や地球への貢献度が低い研究が中心だったからだと思うのは 私だけでしょうか。
これは改善の余地があるとおもいますよ。

主婦のおばさんでも こんなことを 考えているのだから
世間の研究者は 研究費をまかなう材料など ごまんとあるだろうね。
これは ちょっといやみだけれど 

ぜひ 頭を切り落とされ 再生する芽を
徹底的に刈り取られている 木の身になって考える人が 増えてほしい。

 困り果てている自立していきる動物たちの 残りわずかの ほんの少しの生活圏を
譲ってあげられる日本人に なっていただきたい。