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時代を超えて残すもの

2015-08-05 10:08:57 | Weblog
安部政権の安保法案は どうやら時代を超えて 錆ついたもののようですね。

古い例で これからの法案を審議していては その時欲しかった法案って
今 役立つのでしょうかね。
日本の政治家の能力を国会中継ってのは 発信しているわけで ありがたくないです。

今の時代のニーズの先をみすえなくていいのでしょうか。 
自分たちが今まで困ったことを解決するだけの法案では 出来上がれば古い。

議論というのは 家庭でも仕事場でも否定ではなく まず肯定ですすめるべきで
国会というところは 野党の質問に 政府はこたえるのですが
政府提案の法案の持論がすべてで 野党は質問でけで提案はなく
政府は聞き耳をもたず
新たな提案ができない仕組みで すべて政府自論で丸めこむことが審議なんですね。

建設的な提案は汲みあげない。
修正を考慮した姿勢はない。
これでは 聞いていても意味がない。

軍国主義一色だった日本の敗戦に 民主的なイメージを描くことは無理で
悔しさを 恨みを残して未来を考えることは どんな感じなのでしょう。

母は いまでも分裂します。ひょっとして 安部総理もですか。
 
敗戦で得た憲法で それは アメリカに強要されたものであっても
戦時だけでなく その後も 耐えがたきを耐え 忍びがたきを忍び
いかに ビジネスマンが国の後押しなしに 丸腰で商品で勝負してきたか。
評価される国をめざしていきて やり遂げてきたか。

このことに いま配慮し表現する政治家さえいない。

沖縄で米軍が どのように沖縄の人たちに優遇されてきたか
評価はいただけないような 住民だったのでしょうか。
沖縄の住民が米軍を殴りつけた事件が 何件もあったのでしょうか。

その歴代の功績を忘れて 安易な武器を手に入れて使用すれば
商品に魅力はうすれ 国の魅力も薄れ 希薄な政治家の決めごとによって
平和ブランドは崩壊する。

自負と至誠とを携え 
人は自然の恵みを
調整していきる生き物でしょう。
いまや 水も海も すべてが人間のもののように お金に換算してきていますが
人間だけで なにができるでしょう。
生き物を食し 空気を吸い 水の恵みがなければ いきられません。
生き物の一員としてでなければ 一日たりと成り立ちません。
 
原子炉とともに 漁場は担い手を失い。
わずかに日本に残る 辺野古や地方の美しい海も 埋め立てられ破壊されたら 取り戻せませんよね。
各地の稲浪も 担い手は農業で生計が立たず どんどん安物住宅の宅地となりつつある。

高級な果物も 手仕事の美しさも 木を巧みに使う文化も
いまや 担い手の問題で 疲弊の一途なのではないのだろうか。

ゼネコンが小さな河川工事で経済の息をつないだけれど 
その遺産は漁業資源の枯渇を招いている
そんなことは ないのだろうか。

ウナギの稚魚は いきる場所をきっと探しています。
 河川工事の少しの再修復で きっとよみがえると思うし

安受けの河川工事を見直し 地下の水溜めを
 河川の自然を考慮した拡幅と人間の棲む場所を作ることで 解消したらどうだろうか。

自然に任せる場所を設けて そこを別に管理し区別し
それぞれ 人口の減少に備えた町の計画で見直せば
水道事業も電力事業もコンパクトにし 自然災害も自然にお任せできるようできないのだろうか。

知恵を絞って 限りある資源を大切にして欲しい。

東京のお金にまかせて 乱立するビルを見て思うのは
セメンは 人造ではなく 山をきりだし 自然を拝借していることを
忘れてはいないだろうかということだ。 

木は育ててまかなうけれど セメンは山を切り出せば 山は消えているのだけれど
大丈夫なのだろうか その心配をするのが 国なのではないの。

どうか もっと先を見据えて なにが過去の捨てるべき思いか
どんな思いを大切にすべきか 
勉強して知恵を絞っていくべきだとおもう。 

アメリカの資本主義が 私翻主義にとどまらぬよう
日本が 平和にさらなる交渉と説得というアイテムを手に
民主主義が本物になるよう。