楽しい日々

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彼岸という命の岸辺

2017-10-01 10:49:55 | 日本文化
福岡先生の動的平衡を読んで 漠然とですが 生命のありかたをイメージするようになりました。いまだに何処を何処まで理解しているかわかっていませんが。
さらに昨日のテレビ番組で 各細胞が常に各々のメッセージを発し競合して命を維持していることを見せてもらって あらためて岸という言葉が 仏教の悟りのステージに使われてきたことを
思い起こしました。
細胞一粒一粒に いきていることを維持しようとする働きが お互いのメッセージでつながっているというのですから やはり生きているだけで素晴らしいことなんだという感覚を持ちました。

川の流れをたどって山から石ころが流れておち砕石になり砂になり海の岸辺にたどり着きます。
その海から波が寄せて砂は洗われ舞い上がっては沈みして存在します。
その砂つぶが 人間という生き物のの細胞一粒一粒で 岸によっている状態を維持している。
平衡状態にある砂が命ある岸をなしている状態 これが今ある自分の命のある細胞の位置のような感じです。

砂粒はやがて波にうかぶ塵となって消え失せてゆく
岸辺という命ある細胞の集まりは はかないわずかな時間に存在しているといった感じです。

きょろきょろしようが じっとしていようが
破壊されて失ってゆく細胞と 栄養を携え磨かれて生きようとする細胞のぎりぎりのはざまで
人は存在している感じは 深く自分を感じることで すでに感覚的にとらえてきていたということなのだと 思ったりもしています。

この破壊と創造の平衡が ひょっとしたら人間の集団も支配しているように 感じます。