楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

教育の無償化

2017-10-10 07:55:22 | むかしばなし
自由で闊達な経済活動をうみだすには 広い分野で 互いの特化した経験や発想をやり取りして
行く必要がありそうです。
いってみれば 古くて新しい生活をしていくことを めざすのがいいのではとも思っています。

生命を食べ 空気を吸い生きています。
 人間ももつ遺伝子を より良い状態で継承して保つためには
何が必要かと考えれば もう少しいますべきことが見えてくるのではないでしょうか。

子供のころ 同級生に網本の漁師の息子がいました。
彼は勉強も良くでき おおくの人から信頼されていました。
漁師になるのだから 大学へは進学しなくともよいといわれていたのですが
時代が高学歴を良しとするふうちょうでしたし 優秀でしたので進学したようでした。

一方 あみもとではありませんでしたが 毎日網の手入れをし 着々と漁をする父親を持つ人がいました。子供ながらに その親子の誇らしいほどの手さばきと 沈着な視線を今でも思い起こせるほどです。

ここまで各間に何度もチェックが入るように 記事が破棄復元を求めてくるのですが これって言論統制ですか どうなってるん。

網本の嫡男は 時代にのって職を得て幸せになりましたが
性として漁を受け継いだ方は 海岸の埋め立てで 漁場は漁協に従うこととなり
どうしても 漁をなりわいとして 売りに行ってしまい 自分を失ってしまわれました。

人と同じことをして育つことが これからの世代を 本当の意味で幸せにするか
勉強の内容をどうすれば 多くの生き方を肯定して 互いを高めていける世の中になるのかを
一度確認しておかないと いけないような気がしています。

無償化となれば 誰もが学べるように感じ 聞こえはよいのですが
そのことで 一辺とうな教育になることは否めません。
遺残 国の統率のもとで 戦争をしていた時代勝つまではと教育していたことを 忘れてはいけません。
さらに 農業を家庭で継承し 漁業を親子で伝授することが 失われたことも
思い起こして 国の施策をきめてほしいものだと 思ったりしています。 

千手観音

2017-10-05 00:16:25 | むかしばなし
千手観音

高校受験のころ 合格祈願に訪れた時は 荒れたちいさなお寺でした。
かわいい地蔵様が並ぶ 明るい寺となり さっぱりしすぎた感があるほどです。
今日は 娘の安産を願って お参りに来たのですが
あまりに稲穂が美しく スズメバチやトンボ とんび モズにヒヨドリと
人は見当たりませんでしたが 多くの動物に出会えて 豊かな一日となりました。

夕方 散歩にでかけると 満月がきれいに大きく見え 
夕焼けがきれいに広がっていました。

彼岸という命の岸辺

2017-10-01 10:49:55 | 日本文化
福岡先生の動的平衡を読んで 漠然とですが 生命のありかたをイメージするようになりました。いまだに何処を何処まで理解しているかわかっていませんが。
さらに昨日のテレビ番組で 各細胞が常に各々のメッセージを発し競合して命を維持していることを見せてもらって あらためて岸という言葉が 仏教の悟りのステージに使われてきたことを
思い起こしました。
細胞一粒一粒に いきていることを維持しようとする働きが お互いのメッセージでつながっているというのですから やはり生きているだけで素晴らしいことなんだという感覚を持ちました。

川の流れをたどって山から石ころが流れておち砕石になり砂になり海の岸辺にたどり着きます。
その海から波が寄せて砂は洗われ舞い上がっては沈みして存在します。
その砂つぶが 人間という生き物のの細胞一粒一粒で 岸によっている状態を維持している。
平衡状態にある砂が命ある岸をなしている状態 これが今ある自分の命のある細胞の位置のような感じです。

砂粒はやがて波にうかぶ塵となって消え失せてゆく
岸辺という命ある細胞の集まりは はかないわずかな時間に存在しているといった感じです。

きょろきょろしようが じっとしていようが
破壊されて失ってゆく細胞と 栄養を携え磨かれて生きようとする細胞のぎりぎりのはざまで
人は存在している感じは 深く自分を感じることで すでに感覚的にとらえてきていたということなのだと 思ったりもしています。

この破壊と創造の平衡が ひょっとしたら人間の集団も支配しているように 感じます。