韓国のことはどうでもよい。
北朝鮮と仲違いしたホッケーチームは,観ていてやはり滑稽であった。
実は,問題なのは理科である。
相変わらず「実験考察重視」だなんて,アホばかりだ。
結論から言えば「値のわかっている実験」は「捏造」を産むだけ。僕がそうして高校の単位を取得したように。
これは,先日とあるセミナーで理科実験重視に対する批判を聞いたとき,自分の意見とあまりにも同じでビックリしたぐらいだった。
でも,実験も「批判的精神」を養成するためなら問題ない。
「批判」と「非難」の区別ができない人が,マスコミ含めて非常に多い。
この2つは,辞書を調べれば簡単な違いである。
批判は「建設的に対論を提案」する,非難は「悪いといって攻める」である。
したがって,批判的精神というのも「本当にそうだろうかと,いろいろ自分で確かめる」姿勢をいうのだ。
だが,高校理科教育では「値ありき」の実験が横行している。
僕はその経験者であり,それが嫌で数学を選んだ。
だが,先生が「値が違ってもいいから,過程を明確に記すように」と指導してくれたらずいぶん理科への気持ちは変わっただろう。
歴史教育はイデオロギーの集積。
理科教育も実はイデオロギーの集積。
化学の周期表表記(遷移元素を12族まで含めるとか・含めないとか)が最たる例である。
こうしたイデオロギーを批判できる精神を養成する...と,困る(自分の地位が揺るがされる)のは官僚であるから,そういう教育にしないのだ。
この話題,何度書いたか記憶にない。
しかし,大事なことは何度でも繰り返しておくことにする。