オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【エール】下駄屋の娘...いやさ,この女優さん,好みなんですけど!

2020年09月12日 08時29分50秒 | オズマの懐かしいTVアニメなど

 『エール』放送再開が9/14ということで。

 個人的に一押しなのは,下駄屋の娘こと井上希美さん

 もうね,最初にみたときから一目惚れ

 伝統的な日本人の顔立ちというか,安心感というか

 まるで,若き日の誰かを見ているようなのだ。その誰かがわからないが,とにかく安心するタイプ

 そういえば,会社の先輩でもこうした女性がかつては何人も居た。

 僕はそういう先輩からの指導も好きで,怒られても怒られている気がしない。なんていうか,お母さんに叱られているような...そんな感じかな。いや,もっと素直に聞けていたよ。だって,相手は美人の先輩だもの。美人には弱いんです

 そして。

 今年入社してきた若い子に,こういう雰囲気のある子が来た。いやいや,若いのに出来すぎだろうと思っているけど。

 それにしても,『エール』再開まで長かった。後半になって盛り上がったと思って辛かった。

 紅白歌合戦も無観客で行うという。ミュージックティーチャー御手洗プリンス久志の共演とか,観たいね


2020/09/09 救急の日 「マジで救急車に乗ってました...老親と」の巻

2020年09月12日 08時11分52秒 | オズマの独り言

 9/9,これは深夜の病院で撮影したもの。

 老親と暮らしていると,何度目かわからない救急車搬送。

 まあ,一番びっくりこいたのは2016年,父が心肺停止になったときだったけど。

 その後も細かい救急搬送があったり,もしくは自分で運転して運んだり。

 地方移住が言われているが,地方と都市との医療格差を忘れている若者・富裕層の戯言かもしれぬ。

 若いうちはいい。30代まで気にしなかったもの,自分も両親も健康を。

 父は67歳でペースメーカーをつけて84歳のいまも元気になっている。もちろん何度も入院したりしたけど。

 閑話休題。

 母も父も循環器系に支障がある。振り返ってみれば,親戚で「がん」で死亡した人が少ない。そういう家系なのだろう。自分も,そういえばがん検診なんてなんでもない。そういう家系なんだろうな。

 今回も母は意識がしっかりしていた。意識はあるが苦しいという世界である。

 帰宅したのは9/10の1時頃。心不全はあるかもしれないが症状が出ないので,ということで点滴をうって戻ってきた。

 田舎暮らしを夢見る自分も居るが,救急搬送先が選べるのは都会のアタリマエ。救急車とはいえ10分あれば近所へ行ける。

 そんな自分も50を越えて,冷静に考えるようになった。20年前ならともかく,やっぱり都会での暮らしは「便利」なのだ。

 救急の日。

 ホント,なんで救急車に乗るのっていつも夜間なんだろう...。


【オーイ!とんぼ】追い詰められたときこそ,自分のできることだけを100%発揮する...か!

2020年09月12日 00時00分00秒 | オズマの読書感想文


まだまだ続くぞ25巻。

 刊行ペースが2ヶ月に1巻なのでちょうどよい

 さて,今回も語録から。


実力を100%出す。それはどんなことにも勝る実力。

 この漫画を読んだりして「バス釣りと同じだと考えているのは,いまのところオズマたる自分と哲さんぐらいしか居ない

 そういう「漫画とかアニメとか」に影響を受けて釣りを続ける自分をさらに問いかける。そんな偏狭な人物は,たぶん自分と哲さんぐらいだ(哲さん,ゴメンナサイ)。

 でも

 だが。少なくとも『オーイ!とんぼ』はいろいろな人に高く評価されている。内容で評価されている。ゴルフだけにとどまらない人生論が高評価だ。


タイトル獲得をゴールにするか,スタートにするか。

 自身のバス釣りでいえば,53.5cmという記録を15年超えられないでいる。過去の八郎潟遠征でもライギョ水路で53.5cmだった。もしかしたらこの値が「ゴール」になっているからではないだろうか

 メトロリバーにだって55cmクラスがいる。なぜかといえば,観ているからだ。激流を登っていくバスを観たことは一度ではない。

 今後は,スタートにすべく,通って・見つけて・釣っていくことが,僕の「釣り人生」なのではないだろうか

 八郎潟のような楽園のあとにメトロリバーへ行くと落差がある。しかし,落差でなく「楽さ」と考えたら違ってくる。遠征費用もかからない。そこで勝負するか・しないかの違いだ。

 こうして,変わらずマンガを釣り人生にたとえてしまう自分の,本当の釣りキチ友人は,きっと哲さんだけなのだけかもしれない(一方的な思い込みでゴメンナサイ)。