叔父が87歳でなくなり,体調不良の続く父の名代として1日参列してきた。
結論は「やってみるとわかること・やってみないとわからないこと・年齢を重ねないとわからないこと」があるということに尽きる。
母方で強烈に印象深いのが,祖母99歳の葬儀だった。それはもう「お祭り騒ぎ」で,祖母からしたら孫にあたる僕らがいくら社会人とはいえ,花輪まで出すことになっているとは しかも,花輪の真ん中に「缶詰・ビール一式」が飾られるという,とても東京では考えられないものだった。いまでも「ゾッ」とする田舎の葬式である。
父方ではそれほど強烈な葬儀の記憶がない。祖母が30年近く前に亡くなっているのだが,まだ自分は「傍観者」に過ぎなかったからだ。
今回の叔父の件では「子どもの居ない夫婦」の葬儀の大変さを実感した。端的に言えば,位牌・遺影・お骨をもつ人数が必要で,この時点で3名の協力者を要するのだ。
自分は,当初献杯の挨拶だけかと思っていたら,要所要所で「これは親族である自分がやらないと」という場面に出くわした。たとえばお金の精算,骨壺に収める役目も名代としては当然やるべき任務ということである(もっとも,終始「貴重な勉強なのだ」と思っていたから辛くなどなかった)。
若くして父母を失った人も多いだろう。その大変さが想像できないが,いま本当にわずかながら「ちょっと足元まで寄って」きたという実感がある。
そんな叔父は1ドル360円時代に海外勤務が7年間あった。だから,後期高齢者なのに保険料自己負担が3割だったこともわかった。自分の父母など年金暮らしなので1割だが,こうして身近に3割負担の人がいることも知った。
僕がフォローしている方の最近の記事ではとてもよい言葉が紹介されていた。それは「つらい人選手権」である。
みんな生きている限り辛いことはあって,その感じ方は人それぞれなのに,やれ「そんなの辛いうちに入らない」とか「こっちの方がもっと大変だった」などという。そんな不毛な争いは「つらい人選手権が開催されましたね」といえば比較的丸く収まる,というものだった(と理解している)。
釈迦も同じ考えだったのではないか。
だからこそ,如来になるため弥勒菩薩は56億7千年という年月を経て衆生を救いにくるという解釈がされたのではないか。そう,逆説的だが「天文学的な数字」だからこそ「弥勒菩薩に頼りきるなど愚かなこと」であり,そもそも人間はいつになっても悟りなど開けないということが暗示されているのではないか
また何かの機会,というより父の様態が落ち着いたら(手術を近々に行う;おそらくこれが最後の手術だろう),叔父の住んでいたところに行ってみよう。けして近くないが,国外でもないわけだしね。