サスケ(キングレコード・オリジナルバージョン)
光あるところに影がある。まこと栄光の影に数知れぬ忍者の姿があった。命をかけて歴史をつくった影の男たち。だが,人よ,名を問うなかれ。闇に産まれ闇に消える,それが忍者の定めなのだ...。
このOPナレーションで有名な,白土三平原作の『サスケ』。
ここのところ,『寅さん』を観ていたりすると,違いは何だろうと考えてしまう。
それは,「生きることへの欲求」の強さだ。
白土三平作品の強さは,「自然というものに逆らえず人間は生きていくが,定めに逆らったものには死あるのみ」という原則が貫かれていると解釈している。
これに影響を受けた矢口高雄作品は「自然に抗うことはできないが,自然と共存していくのが人間の定めである」という解釈である。
ともに共通しているのは,もちろん矢口高雄先生が白土三平に影響を強く受けたせいもあるのだが,「圧倒的な自然描写力」である。圧倒的というのは,「美しい」といったなまぬるいものでなく,「厳しい」だ。
秋田県でクマが出没して大騒ぎである。しかし,ここへの警鐘を促した矢口先生は『釣リキチ三平』マタギの三四郎にて40年以上前に,その「深刻な意味」を描いていた。
人間の食べ物・人間の味を知ったクマは,再び人間を襲うようになると。作品内ではヒグマだったが。
マンガ内では,役立たずの猟友会に対して,マタギの三四郎が仕留める。そこへついていく三平の運動能力といったら桁外れだが,そこがまたよい。
「成仏しろ!」と叫んでヒグマを仕留めた三四郎のシーンで終わる『三平』だった。
最近新聞で「人間は死ぬことに恐怖する」が「野生は生きることにのみ執着する」という鋭い考察があった。朝日新聞なのだが,その記者は山暮らしでマタギのようなことも行っているようだ。
僕もそうだが,「人生が終わりそう」なこととして「たかが仕事」に恐怖することがある。その恐怖は,大自然に言い換えるとちっぽけでまったく意味のないこと。そうでなく「生きることにのみ執着」すれば,自然とよい仕事にめぐりあうだろうし,そうした仲間が増えていく。
そうしたことを『寅さん』にさえ見る。ヤクザな稼業だという寅さんは「死」を恐れていない。「いま生きること」だけにこだわってもいない。旅先での優しい寅さんに,みな「ああ,なんて素晴らしい人だろう」と感じる。
マドンナ役は,心労のところに寅さんと出会って人生がいったん明るくなる。そして柴又に行くと,旅先で見えなかった寅さんの姿を見て,「ああ,自分はやっぱり自分で生きないと」と旅立っていく。
人情の機微に通じた山田洋次作品。自然原理に通じた白土三平・矢口高雄。
みな,「それぞれの得意分野」で「いま,生きていくことに」熱心なのだと感じる日々である。