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たぶん,自分の回顧録をまとめて記すのは初めてだと思う。興味のない人はスルーしてください(笑)。
1988年4月に「釣れるバス釣り」を経験してすぐに,中学以来の友人K(以下K・写真右)にTELしたことを今でも覚えている。
「いまでも釣りしてる」「いやあ
」「バスがさ,あのブラックバスがさ,釣れるんだよ
」「なんだってえ
」
そんなTELだったと思う。
友人Kとは中学で知り合い,中学時代毎週釣りに行った友人で,中学卒業後に進路は異なったものの年に数回は会っていたし,たまに釣りに行っていた。
「とにかく免許とってくれ」とKにも言われたものだ。そう,1980年代後半は「免許がない=使えないやつ」だった。これが事実だ。
そして,自分も免許をとったので釣りに行こうと誘ったのである。そう,河口湖に一人ではお金がかかりすぎるからだ(学生だったので片道2000円だったはずの高速道路代がなにより痛かった)。割り勘ができないと釣りに行かなかったほどだ。
最初は道具がなくてふたりとも適当である。「竿は硬いほうがいい」という釣り研の先輩のうわ言(いまだに謎のウソ)をそのまま伝えて,さあ実釣だ
そして河口湖で二人とも「釣れるバス釣り」を満喫したが,肝心の自分のテンションが1990年4月まで下がっていた。誘われれば釣りに行くレベルになっていた。
Kはここから相模湖や牛久沼などに通っており,たまに報告しに来ていたのだが...。
そして運命の北浦釣行
翌日だったか,KにTELで伝えた。「河口湖みたいに夜釣りしなくて済むぞ,魚がデカイぞ」と。
だが,自分は運悪く大学4年で教育実習やらがあり,釣りに行けたのは6月ぐらいだろう。
自分はワームもすでにギドバグなどを持っていたので,最初は一人爆釣だった。
見かねたKが「このルアーでやってみよう」と,TIFAのディープ・ショットJrをスピニングで投げ始めた。ラインはバリバス・スーパーソフトの12LBである(
恐るべき記憶力)。竿はスコーピオン・エアロ2601Aだった。
するとドックの先端で「根掛かりかも...」と必死になっている。が,ルアーの先にバスが着いていた
。
「マジかあ」と二人で驚く。バスはハードルアーでは釣れないと思い込んでいたからだ。
自分もスピニングしか持っていなかったが,必死の思いで買ったダイワ・バスハンター(ぼんやり記憶で600円ぐらいだった)で釣りまくった。
この翌週から,完全に「釣りに行かないとどうかしてしまう」青春時代が始まった。
情報源は釣具屋か釣り仲間しかない時代である。幸い自分は釣り研究会所属だったが,なぜか大学のメンバーが毎週北浦にいるという信じられないような出来事が繰り返された。
広い北浦に,釣り人はせいぜい10名だった。
自分が社会人になってもこれは変わらず,毎週日曜日の朝・日の出ごろに潮来到着,で通っていた。
その後,Basserだったか雑誌の影響で,北浦が混雑しだすと霞ヶ浦に行くようになった。出島付近が釣れるというだけの話で行ったのだが,真夏にバイブレーションで入れ食いになったことなど数え切れない。
そして会社に出入りの業者が「横利根が釣れる」ことを教えてくれた。R51でいつもスルーしていた横利根だった。
試してみると,最初は数匹だった。特段驚かなかったが,バス釣りブームが来てしまって「横利根勝負だ」となったのが1993年だ。
円高差益還元で安かった「ミシマ釣具・北柏店」にてシャッドラップSR-7(1個350円)をまとめて購入していたし,バグリー・バッシンシャッド,スタンレー・バイブラシャフトスピナーベイト,ブルドッグスピナーベイトを中心に,おさえでテキサスリグのギドバグ・G2というところだった。
スピニングなど不要,というのがKとの合言葉で,いかに1本の竿でさまざまなことができるかというときに,スコーピオンEV1652-2などが大いに役立ったものだ。
そんな横利根でも集中的に釣れる場所がいくつかあり,一つが「横利根バットマンタワー」と名付けた,自動車工場裏で「大量のクルマが投棄されて島状に盛り上がっている」エリアだった。
ラトリンラップRNR-7でまずは爆釣(カラーはFTかGで決まり;ファイヤータイガーとゴールドだけあれば十分だった)。次はシャッドラップ。次はスピナーベイト。少し時間を空けてテキサスリグ。そんな感じで1日30匹程度が容易に釣れた時代である。
冒頭写真はまさにその頃のもの。東レソラロームジャンパーを着た自分の20代の若さにビックリするばかりだ。顔が一回り小さく見えるが,これは当時仕事によるプレッシャーで十二指腸潰瘍を患っていたからだろう。
あれから30年以上が経過し,当時の釣り仲間はみな「大人になって」いった。相変わらず釣りを続けているのは自分だけだが,メトロリバーに行くと自分と似たような方々が多く,親近感ばかり湧く不思議な釣り場である。
20代のとき50代の自分を想像しなかった。クルマに乗っていない自分を考えなかった。定期預金もしっかり続けていた一方で,残業代が多く出ていた異常な働き方の時代だったが,若さが上回った。
クルマを含めて,まさに「思うように釣りをした」20代。振り返って後悔なく,楽しい思い出ばかりである。
自分がとにかく「釣り」を続けることは今後も変わらないはず。他にもっと楽しいものをと探した求めたこともあったが,「釣り」より楽しいものなどそうはない。クルマも釣りのための手段でしかなかったことに気づいたほどだ。
いまの若者でこんなに釣りに人生をかけてしまう人は居ないだろう。それが正解だ。間違いなく「釣りバカはただのバカ」なのだ(笑)。
そのうち,その2に続く...のか