雑誌企画として「タックル・オブ・ザ・イヤー」はあるが,僕は「時代が変わったと自分で感じた」観点で取り上げてみる。
とくにこの10年は,「リール超高性能化」による「ベイトフィネスシステムの革新」を感じている諸兄は多いと思う。
このように,「時代が変わった」ことを振り返ることは「歴史を知る」ことになる。そこから得られるものの多くは,つまるところ「ただの思い出」がほとんどだが,振り返ってみると中古屋巡りも面白くなる。なにより,ネタ切れのために苦肉の策で編み出した...とは,けして本心でも語るわけにはいかないだろう。
個別のルアーについてとりあげてもキリがないので,ルアーについては割愛する。ルアーは「温故知新」的要素も強く,大昔のものが現役であること(例:シャッドラップ)は珍しくないからである。ルアーほど「新しいからいいとは限らない」と感じる日々である。
不思議なことに,自分が振り返ると,それは1990年~1992年頃に戻ってしまう。「生まれていないので知らない」若い読者から,「その頃はバス釣りしなかった」経験者まで,参考になれば幸いである。
1.「ベイトリール編」-アメリカ市場から日本市場へのシフトが見られた1990年-
1980年代後半まで,明らかにベイトリールはアメリカ市場優先で開発された。たとえば,初代「チームダイワ」。
ジウジアーロによる流麗なデザインと,いちはやく「インフィニット・アンチリバース」機構を採り入れたことで,80年代末期スターダムに躍り出た。「5ベアリングによる回転系の支持」(シマノでいえばX-SHIPのようなもの)も,この「チームダイワ」によって提唱されたのだ。
1990年当時のカタログ。全米で絶賛とのこと。
それまでのベイトリールは,「ABUの時代」だったと記憶している。つまり,「LITEだ。2500Cだ。4600だ。」と会話されていた記憶があるが,「チームダイワ」の登場は劇的に「バックラッシュしにくい・高性能ベイトリール」時代を到来させた。
だが,日本のバス釣りが大きく変化したのもこの時代。JBTAによるトーナメントフィッシングが流行し(「ビデオマガジン」という「釣りビデオ」販売スタイルも相当底辺拡大に寄与した),トーナメントの釣りが一般に環流されるようになった。その典型技術が「ピッチング」ではないだろうか
ときは移ろい1990年。シマノはそれまでの「アメリカン・バスフィッシング」と訣別するかのように初代「スコーピオン(1000,2000)」を投入した。
日本のための日本のベイトリール。時代の先駆者だ。
「スコーピオン」は,いわゆる「メーカーチューニング」の先駆けである。
ベアリング・グリスレスはいまでは当たり前だが,これをメーカー自身が初めて行ったのだ。
そして,遠心力ブレーキの復権。ピッチングに焦点を絞って,「日本のための日本のベイトリール」を提唱し,「ベイトフィネス」の先駆けでもあった。
実際,当時のシマノ・スコーピオンプロチームメンバーが,「スコーピオンの登場で,ライトリグもベイトタックルで使えるようになった」とカタログに記している。
このように,「ピッチングの普及」「ベイトフィネスの先駆け」「日本仕様」という独創性から,僕は「スコーピオン」をベイトリールの「タックルオブオズマ」として評価する。
2.「スピニングリール編」-糸ヨレとの闘いに終止符をうったのはダイワ-
結論から言えば,これはダイワの「ツイストバスター」「ABSスプール」しかない。
他社は,いまでもダイワのモノマネをしているに過ぎない(パテントが切れても,先駆者の功労を称える)
「SBL(シマノ・バランス・ロック)」はたしかに「回転性能の向上」に劇的進化をもたらしたが,スピニングの宿命であった「糸ヨレ」を激減させた「ツイストバスター」「ABSスプール」に僕は軍配を上げる。
まさに「糸ヨレしない」ことこそ革命的であり,スピニングでフロロを使用することができるようになったのも,ダイワのおかげといって過言でない。
「あなたのラインはヨレている!」。そんな刺激的な広告を思い出す。
3.「ロッド編」-「勝つためのロッド」の到来-
1980年代までは,バスロッドに「勝つため」というわかりやすい目的を備えたものはなかっただろう。チームダイワは「アメリカントッププロ」仕様を日本で売っていたため,たしかに「これが本場のものなのか」と納得はできたが,「トーナメントで使えるかどうか」は別問題だった。
いまは,オカッパリにはオカッパリのよさが,などと言えるが,当時はそれほどにJBTAでの結果が商品に影響を与えていたのだ。
そんなときに登場したのが,初代「コンバットスティック」。いうまでもなく今江克隆プロデュースのロッドであるが,他社と大きく違ったのは「勝つための性能」を磨き上げたこと。
1992年度カタログより。サイン入りなのはオズマの家宝。
代表作「ガニングシャフト」は,「電撃アワセ」のために生まれた竿であり,当時も「棒」のように感じられた。しかし,実際に使ってみると,僕は少なくとも92年当時新品購入したが,ラバージグでの釣りが劇的に向上した。
いまでこそ「反射的にアワセていた」ことが多くなったワーム・ジグ系の釣りだが,80年代後半までのバス雑誌には「ワームのアワセは一呼吸おいて,糸をしっかり巻き取って」アワセるものだったと思う。いまもその基本はずれていないと思うが,現実に「違和感を感じてアワセたら釣れた」経験がある人は多いだろう。それは無意識のうちに電撃アワセをしているのだ。
つまり,「電撃アワセ」は「即アワセ」ではなく,「神経を集中し,わずかな違和感を感じたら一気にアワセ」るものである,というのが,今江プロ提唱時のコンセプトであった。
「コンバットスティック」以降,シマノは「早い釣りと遅い釣り」で「F,R,SS」といったアクションの差を追求。ダイワは,ソリッドティップも導入して,チームダイワブランドを磨き上げた。
このように,「コンバットスティック」以降とそれまでではバスロッドの流れが大きく異なっている。
いまはそれがより細分化されてしまったということで,ここまでの道筋を作ったのは間違いなく「コンバットスティック」だろう。
4.「ライン編」-スーパーハードによりライン新時代到来-
僕がバス釣りを始めた頃のラインは「ストレーン/トライリーン」か一部の国産ものという,なんとも奇妙で単純なものだった。
個人的にはナイロンラインが好きである。ナイロンラインが時代を変えたか,という問いかけに対して,僕は残念ながら「ノー」と答える。もっとも使いやすく,違和感なく,安価でもあるが,それゆえに「時代を変えた」とまでは思えない。
やはり,時代を変えたのは間違いなく「ソラローム・スーパーハード」だろう。今江プロの1992年度琵琶湖プロ戦全戦優勝も,このラインのおかげだったと,ご本人が当時力説していた。
林圭一もソラロームプロチームになったりした。
PEは,スーパーハード登場とほぼ同時期に,ダイワ在籍時代の並木プロが紹介していたが,いまだメジャーな使い方には至っていない(釣具店で初心者に勧めるラインではない)。たしかに,フロッグ・パワーフィネス・ドラッギングには有効であろうが,全体を大きく変えたのは,スーパーハードではないだろうか。
しかし,僕がフロロラインを投入するには,発表から数年を要した。わかりやすく言えば「普及品が出始めて価格が手頃になりかけ」てからの導入である。
4.おわりに
2015年度の釣りも終わりである。
水郷に通い始めて25年を超えた。通い始めたときは20歳そこそこだったのに,とてつもない時間が流れていった。
出会いと別れがあった。竿は折れたり売ったり一体何本使ったのだろう。ルアーの衝動買いもいまだに続いている。中古店の出現は,浪費を拡大させたとも思う。
いままでに何匹釣ったのかも明確に覚えていないが,「印象深い釣り方」がたしかにあった。たとえば,スピナベによるテクトロという「ドラッギング・スピナーベイト」釣法。このときは,「テクトロにしか反応しない」と思っていたが,いま考えると「一定層を引き続けること」の大切さを痛感した。
さあ,2016年はどんな釣りが待っているだろう。
末尾ながら,2016年度もよろしくお願いいたします。