
『寅さん』を毎週土曜日に観て,実はその影響もあって小さな旅行というか,特段あてのない旅というか,そうした「行き当たりばったり」の小旅行を楽しんでいる。
そして気がつくのは,たった2回しか行っていない週末日帰り旅行なのに,もうすでに「昔の面影などない」ということだ。諸行無常である。
実際,毛越寺跡に行ったのは2004年の9月末だったが,「これぞ,まさしく,兵どもが夢の跡,か...」とつぶやいた記憶がある。
山田洋次が『寅さん』を企画して撮影を続けたのは,もしかしたらこうした思いがあったからではないだろうかと,私的に考察する。
『寅さん』の時代は高度成長期。1970年は公害元年だった。この中原理恵がマドンナとなる作品ではサラリーマンが「東京通勤のために牛久沼に家を買った」という話がある。正確には「牛久」だろうが,まあ同義である。
1980年代に長距離通勤が加速したのではないだろうか そして,郊外だった土地が開発されて,どこも同じような町並みになっていく。
撮影する度,いやさ,移動する度に「ああ,変わってしまった」と山田洋次も実感したのだろう。でも,映画監督として出来ることがある。それは風情と風景を撮影して記録することであると。
いまでこそ,スマホでいくらでも撮影できるし,バックアップなどたわいない(自分の場合,ヤフー・アマゾン・グーグルと3つのクラウド
にバックアップという念の入れようだ)。しかし,ほんの20年前の写真は気軽に取り出せない。もっとも,重要なときにしか撮影していないので,一生懸命にアルバムをめくると記憶はフラッシュバックされるよさもあるのだが
。
「人間の引き際はどこか」も訴求した『寅さん』でもある。
以上は,繰り返しになるがあくまで私的考察に過ぎない。
柴又にはもう5年ぐらい行っていない。もしかして,また何か変わっているのかどうか,2025年元旦に,家族が元気であれば再訪したいものだ。