釣りに対して,50代を超えても変わらないのは「どんな魚種にもそれぞれの趣があって」「釣り方は地域によって千差万別で」「基本的には思い通りに行かない」からこそ面白い,ということが日々実感される。
仕事がキツクて仕方ない。2024年度はそれまでに比べて業務量が倍増。正直,何度も会社を辞めようと思った。執行部への批判など止まらない。
それでも,なんとか釣りに行くと「人生の潤滑油」になるのが自分にとっての「釣り」。
10年前だったら無理して水郷に通っていたのだが,さすがに体調不良を考えるともう無理。片道100キロどころか,できればまったく運転などしたくない。2024年度なら,まだ1回も運転していない。いや,家族グルマもついに8月下旬で処分が決まった。
幸いに,メトロリバーにルアー対象魚はかなりいる。上流にいけばもちろんマス釣りもできるし,最下流ではチニングなどができる「都市河川の奇跡」のような存在。さらには交通至便であり,川べりまで駅から徒歩15分もあればだいたいのところには行ける。
免許をとるまでは「釣りのために免許をとる」のが目的だった。免許をとって,マイカーを得たのもそれはそれでよかった。でも,いま考えると「自動車という税金の塊」を維持する根性(というか給料)などまったくなくなった。そもそも,買い物で困るような田舎ではない。徒歩5分でスーパーもある。
釣りが続いているのは,結局は「独りでも楽しめる」ことが大きい。ゴルフに興味はあるが,プレー代金を聞くだけでも恐ろしくなる。金銭的にそんな余裕などない。
あとは,やはり開放感だろう。よく,メトロリバーでは「何もせず川面を見ている」人がいるが,それが実に心地よいときもある。水面を見ていると,荒れた心が落ち着くし,なにより魚が釣れたらどんな魚でも嬉しい。
子供の頃に「こうなること」はある程度想定していた。高校生の頃は年に数回しか釣りに行かなかったが,止めなかった。放り投げなかった。
あんなに高価だったカーボンロッドがいまや普通に買える。グラスロッドなんて,ダイワやシマノではむしろ高級品に使われている。
「釣りキチ三平」に嵌って,そのまま大人のような子供,いや子供のような大人になってしまった。
潤滑油とも言える「釣り」は,一生楽しみたい。どんなに魚種が変わろうとも,それなりにみな面白いから。