張献功は、?~1638(?~尚豊18) 沖縄に帰化した朝鮮陶工である。
和名は仲地麗伸といい、文禄・慶長の役(1592、97年)で
朝鮮から連れ帰った陶工の一人である。
那覇の市街地にある 「 ナイクブ古墓 」 の発掘調査をしている監督に
渡嘉敷三良と張献功の墓の場所を訊ねると、快く教えてくれた。
渡嘉敷三良の墓は公園の中にあり、大きくて立派なものだったが、
それに比べて張献功の墓は小さく、青いビニールシートの車庫の裏の草むらにあり、
場所を聞かなければ見落してしまいそうな墓であった。
そんな張献功の墓は、墓碑に 「 張氏元祖一六仲地麗進 」 と刻まれている。
一六とは、おそらく張献功のことであろう。
豊臣秀吉の朝鮮侵略の時、南原市から18姓43人陶工が
薩摩の島津義弘軍に連れて来られ、
琉球王朝の依頼でそのうち3人の陶工が琉球へ派遣される。
「 一六、安一官、安三官 」 のうち2人は去ったが、
一六だけは残り、湧田窯の創始者となる。
中国、アジアの影響、朝鮮の上焼きという釉薬をかけた焼物、
そうした中で琉球独特の焼物が出来上がっていく。
後に湧田窯も壺屋に移転し発展して行くのであった。
現在も張献功の子孫の方々が韓国の方に向かって座り、
毎年4月には清明祭を行っている。
張献功の関係者の1人は恩納村仲泊に住むが、その子孫は絶えている。
300年前の話であるが、今も仲泊の島袋家には拝所があり、ずっと祀られている。