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( 沖縄県石垣市 大川 )バンナ丘南方
イシスクヤマ遺跡は、かつて巨大な岩山で数少ない地層例だったが、
良質な建築石材として十数年もの間、
採石が行われたために山が谷と化するほど根こそぎにされてしまった。
今は残丘部だけの姿になってしまったが、
人々の石垣の創生となった場所は、聖地としての信仰の思いは変わらない。
イシスクヤマ遺跡は、その昔、人々が住居も定まらず、
信仰もない生活を送っていたころ、
マタネマシス、ナタハツ、ヒサガーカーラの三兄弟だけは信心深く、人道をわきまえていた。
マタネマシスが石城山に住んで日夜信心に励んでいると、
宮鳥山に神が現れ、「この山にあってお前の守護神となろう」と言われた。
マタネマシスは宮鳥山に拝所を建てて、そのほとりに兄弟とも住み、
ますます敬神の念を強くして行った。
やがて彼らの周辺に次第に人々が集まり住み着くようになった。
以上が石垣島に伝わる集落の創成にまつわる伝説であるが、
このような村の成り立ちや古代社会の神代の伝承と深い関わりをもつ石城山は、
古くから雨乞いの聖地としても知られていた。
さらには、土器や石器が出土しており、良好な貝塚を形成していたと思われる。
イシスクヤマ遺跡へのアクセス
イシスクヤマ遺跡へは、石垣市役所から名蔵方面に進み、
石垣鍾乳洞の先のNHKのアンテナより右側に入り、
1キロほど行くと左側に生コン工場が見える。
そこから左に入ったら左側の工場の手前に山が見える。
駐車は、路上駐車になるが、手前の広い場所に止めて行くと良い。