







那覇の国際通りと美栄橋との間の緑ヶ丘公園の中に渡嘉敷三良の墓がある。
この緑ヶ丘公園がある場所は、周囲の地形を見ると王朝以前は、
ガーブ川が作る谷にそびえていた山であったと思われる。
また、十貫瀬 ( 今の久茂地川の流域辺り ) の海岸線を形作っていた断崖で、
沖縄戦で地形が多少変わっていると思われるが、
その山の頂上の平坦地が今の緑ヶ丘公園だと思われる。
その公園内の一際高い丘陵にあるのが渡嘉敷三良の墓である。
渡嘉敷三良は、久米36姓と呼ばれる明からの帰化人で、16世紀の生まれである。
琉球に産業を興した久米人の中で、彼は瓦職人であった。
彼の偉業は、琉球の地に瓦産業を興したことにある。
その技術は子孫に受け継がれ、四世の安次嶺ペーチンは、
当時板葺き屋根であった首里城正殿を瓦葺きに変えた人物だと言う。
当時は内地風の黒い瓦で、赤瓦登場は江戸時代まで待たねばならない。
渡嘉敷の墓は、1600年以前に造られたことはハッキリしているらしい。
400年以上前の墓にしては、豪奢なつくりで彼の人物像が伺い知れる。
渡嘉敷の墓の周囲はきれいに整備されていて公園と一体化しているため、
墓というよりも公園内の丘陵と言う感が強く、
その墓壁には沖縄戦での銃弾の痕跡がいくつも遺っていた。