野首教会は、五島列島の北に位置しながら、平戸藩だったので、
小値賀島や宇久島とともに北松浦郡になる野崎島には、
野首と船森集落があった。
野首は、寛政年間の大村から五島移住で野崎島に定住した二家族に始まり、
瀬戸脇は、大村の海岸で明日処刑されるという三人を小値賀の船問屋が連れ帰り、
移住させたのが始まりという。
禁教令廃止後も貧困の連続だったが、それぞれに木造の教会を造り、
その後、野首では明治40年(1907年)に18戸の信徒が結集して
本格的な教会建設に向かう。
明治41年(1908年)に、教会建築の名工、鉄川与助によって設計・施工されたもので、
鉄川与助としては初の煉瓦造りの教会であった。
鐘塔はもたないが、正面全面を玄関部とし、正面の柱頭の頂部などには、
城壁の物見櫓のような装飾物があり、正面両脇の頂部にも百合の紋章に似た装飾物がある。
これらは中世ヨーロッパの建築を思わせる。
教会建築が木造から煉瓦造に変わる時期の建築で、創建当時の原形が保たれており、
全国の教会の中でも秀逸したものと高い評価を受けている。
この教会が創建された背景には過酷な環境の中で生き抜いた
この島の隠れキリシタンたち18世帯の歴史が刻まれている。
無人状態の島になってしまった今もなお人々の祈りの象徴として、
小高い丘の上からこの集落を見守っている。
瀬戸脇は昭和41年に、野首は昭和46年に全員が移住して、
平成13年には残った一人も島を離れ、野崎島は廃村となった。
無人となった教会は一時期は荒れ果てた状態にあったが、
小値賀町が重要な文化財として昭和60年に巨額を投じて全面改修し、現在に至っている。
平成元年3月に県の文化財に指定され、
平成19年には 「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として
ユネスコの世界遺産暫定リストに追加された。
所在地 / 長崎県北松浦郡小値賀町野首郷野首
教会の保護者 / 聖フランシスコ・ザベリオ