志賀海神社は、古来、玄海灘に臨む交通の要所として聖域視されていた志賀島に鎮座し、
「 龍の都 」 「 海神の総本社 」 とたたえられ、
海の守護神として篤 ( あつ ) く信仰されている。
御祭神は伊邪那岐命 ( いざなぎのみこと ) が
筑紫の日向の橘 ( たちばな ) の小戸の阿波岐原において
禊祓 ( みそぎはらい ) をされた際に、
住吉三神と共に御出現された綿津見三神で、
神裔阿曇族( しんえいあずみぞく ) によって奉斎 ( ほうさい ) されている。
御祭神が、禊祓で御出現された神であることから不浄を特に嫌い、
諸々の穢 ( けがれ ) ・厄 ( やく ) ・災 ( わざわい ) ・罪をはらい清め、
また、海の主宰神であることから水と塩を支配し、
私達の生活の豊凶をも左右する御神威を顕現(けんげん)されている。
当社の創建は明らかではないが、
古来、勝馬の地に表津宮・中津宮・沖津宮の三社で奉斎されていた。
2世紀( 遅くとも4世紀 ) に表津宮(底津綿津見神)が当地勝山に遷座、
あわせて仲津綿津見神・表津綿津見神が奉祀 ( ほうし ) されたと伝えられる。
むかしの社殿は壮麗で、末社三七五社、社領五十石有し、
奉仕する者も百数十名いたなど繁栄を極めた。
社伝には神功皇后の伝説を多く残し、
元冦の役(げんこうのえき)など国家の非常の際に
嚇々 ( かくかく ) たる御神威を顕示されたことから、
社格も貞観元年 ( 859年 ) 従五位上、 『 延喜式 』 には明神大社、
大正十五年 ( 1927年 ) には官幣小社の処遇をうけている。
志賀海神社略記より