「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

エッセイ走馬灯より  「 雨の季節 ・ 泥んこの馬場で輝いた馬たち 」

2016-09-29 22:22:22 | 競馬・ボート

    「 雨の季節 ・ 泥んこの馬場で輝いた馬たち 」  



 酔って店を出る時には、もう雨は降っていた。
「 雨が小降りになるまで、もう少しここで飲もう 」と、また舞い戻って来た。
河岸を変えるつもりだったのに、
この雨でズブ濡れになれば、せっかくの酔いもさめてしまい、
なんだか今まで飲んだ分がもったいないような気がしてきた。
『 ホント、雨だ。 きっと地球が悲しいって、泣いているのよネ 』 と言いながら、
ママはカウンターの隅の小窓をのぞき込んだ。

 雨・・・ 雨は昔からイヤなものだった。
 小学生のころ、雨の中を傘を差して学校まで歩いて行くのが億劫でたまらなかった。
そういえば高校生のころもそうだった。
ちょうど競馬をおぼえ、ひんぱんに競馬場へ足を運んでいた高校生のころも
何故か、毎週雨が降っていた。

 雨は、何かを責めるように降りつけてきた。
だけどそれにメゲず、城野からチンチン電車に乗って北方まで行き、
北九州大学の中を近道して通った。
行きは人もパラパラの状態であったが、
メインレースが終わって帰るころは、いつも傘の波で前方を見通すことができない。
勝ったときは気分も少しはいいもんだが、
馬券をスッたときは沈んだ気持ちでトボトボとオケラ街道を歩かねばならない。

 北方から城野までの道程は遠く、立ち通しで疲れた脚は重く、
道沿いのトタン屋根にパラパラと空しくこだまする雨音が、
心を一層重く灰色にしていくのだった。
でも、いつも泣きたいくらい惨めな気持ちだったわけじゃない。

 雨の日の競馬ばかり見ていて、嫌な雨なのに好きな馬ができた。
その馬は、いずれも重馬場得意の馬で、
まるで水スマシのようにスイスイと水の浮いた馬場を駆けてしまう。
 
 最初、カンカンに晴れたパンとした馬場で走るスピードのある馬が好きだった。
その反対に雨の日の重馬場に強い馬は、どことなく垢抜けしてないような
暗いイメージがするのがとても嫌だった。
ところが、 “ 雨に咲くバラ ” ハジメローズ と、
 “ 雨の鬼 ” といわれたマサイチモンジの活躍が、
雨の日の暗いイメージを吹き飛ばしてくれた。
この馬たちは雨に濡れ、
勇者のように泥んこになって引き上げて来た時の勇ましさと力強さに、
小さな胸は高鳴った。

 そんなことを思い出しながら水割りを口に運んだ。
 雨の思い出と一緒に飲んだウイスキーのボトルが空になったのを確かめて店を出ると、
雨はすっかり止んで、なまぬるい風が吹いていた。




第8位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 500円玉 」

2016-09-29 06:00:51 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

      今朝の真っ暗な空は予報された雨も風もなく、
      漠然とした中をムサシと一緒に歩いた。

      昨夜、 「 唐津、多久地方に大雨洪水警報 」 が出ていたので、
       「 明日の明け方にはこっちも大雨だろうな 」 と、思いながら床に就いた。
      遠くなっていく記憶の片隅で雨音を聴きながら
      睡魔に襲われた頭のスイッチがストンと堕ちた。      

      昨夜、大谷の快投で日ハムの優勝が決まった。
      これでソフトバンクは2位が確定したわけだが、
      ソフトバンクは2位という現実を真摯に受け止め、
      これからは挑戦者として、
      クライマックスに向けて気持ちを新たに臨んでもらいたい。

      そんなホークスの涙雨ではなかろうが、
      昨日は朝から晩まで雨が降り続いた。
      
      連続して発生した台風が秋雨前線を形成しているのだろうが、
      しばらく九州に影響を与えそうである。
      そんな今日の順位は8位で、
      ラッキーポイントは、
       「 500円玉 」 である。

      パソコンの故障でピンチ!
      小まめにバックアップを・・・


長崎県佐世保市小佐々  「 楠泊橋 」

2016-09-29 04:06:17 | 橋 ・ 鉄橋 ・ ダム ・ 隧道・道



傾斜のついた橋を路線バスが走る








楠泊港から見た楠泊橋







実際に走ると思ったよりも急勾配だった





所在地  /  長崎県佐世保市小佐々町楠泊
架橋   /  1983年
橋梁延長 /  99.0m


橋の規模は小さいが、なかなか絵になる橋である。
個人的には関門橋や瀬戸大橋のような大きな橋よりも、
どちらかというと、南島原市口之津にある南蛮大橋や、
五島列島の福江島にある戸岐大橋
長崎の樺島にある樺島大橋
さらには、耶馬溪ダムの近くにある柿瀬橋
宝泉寺にある宝泉寺大橋など、こうした規模の橋が好きなのである。



長崎県五島市  「 金剛曽根灯浮標 」

2016-09-29 02:24:19 | 長崎の灯台







灯台表番号 / 6144.7
ふりがな / こんごうそねとうふひょう
標識名称 / 金剛曽根灯浮標
所在地 / 長崎県五島市 ( 赤ハエ鼻灯台の北方約820m )
北緯  / 32-45-25.3 
東経  / 128-53-02.0 
頭標 / 黒色円すい形頭標2個付 ( 縦掲 ・ 両頂点下向き )
塗色 / 上部黄色下部黒塗
灯質 / 群閃白光 毎15秒に6閃光と1長閃光
光度 / 実効光度 40カンデラ
光達距離 / 4.0海里
水面上~灯火の高さ / 5.2m
業務開始年月日 / 平成3年12月4日
光源 / LED浮標用灯器 ( Ⅱ型白 )
電源 / 太陽電池装置


下五島の福江港を出て奈留島や久賀島へ向かう途中、
左手に赤バエ鼻灯台が見え、その沖に黄色と黒の灯浮標が目を惹く。
それが 「 金剛曽根 」 の灯浮標である。

鹿児島市祇園之洲町  「 祇園之洲砲台跡 」

2016-09-29 00:54:15 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣








祇園之洲は、稲荷川の河口に川浚いの土砂を集めてできた州で、
これを台場設置場所に注目し、着手したのは当時の家老調所広郷である。
広郷の死後その意志は、海防の急務から斉彬の藩政に活かされ、
台場は、嘉永6 ( 1853 ) 年10月に完成し、
文久3 ( 1863 ) 年の薩英戦争の際には、
7月2日午後2時過ぎ、東側から迫ってきた
イギリス艦隊のアームストロング砲の側射を受け、
諸台場のうち最も損害の大きかった砲台であった。
「 薩藩海軍史 」 によると、
この時祇園之洲台場には6門の砲が配備されていた。
薩英戦争時に守備にあったのは、 「 祇園之洲台場大砲賄 」 によると、
台場物主島津権五郎久馨以下6番組士族70余名で、
攻城砲5門、臼砲1門をもち、1門につき、十数名が配置されていたという。
この戦闘で、西側の1門を除いて全て使用不能になり、
有一の戦死者 ( 伍長税所篤風 ) を出した。

砲台はこの祇園之洲以外にも、鹿児島港新波止砲台がある。