横山白虹は東京生まれで、九州大学医学部に進み、
大正13年 ( 1924年 ) に友人たちと 「 九大俳句会 」 を創立し、
吉岡禅寺洞主宰の俳誌 「 天の川 」 に投句を始める。
卒業後は北九州に住み、病院長を務めた俳人で、
後に、 「 天の川 」 の編集長となった。
昭和12年 ( 1937年 )、俳誌 「 自鳴鐘 ( とけい ) 」 を創刊、
「 出航 」 と題して発表した連作五句の中の一句が、次の句である。
『 雪霏々と舷梯のぼる眸ぬれたり 』
雪がしきりに降る中を船のタラップを登ってゆく。
その女の人の目が雪でぬれている、という句である。
門司港は古来から九州の玄関口として栄え、
国内外からの船の往来が盛んだった。
客を迎えるか、見送りに門司港へ行った白虹が目にした光景であろう。
この句は白虹の第一句集 『 海堡 』 ( 昭和13年、沙羅書店 ) に収められ、
山口誓子は、その序文でこの句を 「 近年における傑作の一つに数へてゐる。
この作品には白虹君の志向している詩性が、瑞々しく、
しかも的確に描かれてゐるからである 」 と絶賛している。
白虹のこの句碑は、山口誓子の 「 七月の青嶺まぢかく熔鑛爐 ( ようこうろ ) 」 とともに、
北九州市八幡東区の高炉台公園の熊本山にある。
横山 白虹 ( よこやま はっこう )
明治22年(1889年 ) 11月8日 ー 昭和58年( 1983年 ) 11月18日。
俳人、医師 。本名は健夫 ( たけお ) 。
本籍地は山口県大津郡深川町 ( 現・長門市 ) 。
東京府生。父は評論家・ジャーナリストの横山健堂 ( 本名健三 ) 母菊子の長男。
東京府立一中、一高を経て九州帝国大学医学部を卒業。
九州帝国大学医学部講師、三好中央病院長、日炭高松病院長を歴任の後、
小倉市 ( 現・北九州市 ) で横山外科病院を設立。
1930年1月、俳人仲間の美都代と結婚。美津代は次女郁子出産後、産褥熱で死去。
1938年、周囲の反対を押し切って房子と再婚。
1946年、病院が焼失。
1947年小倉市議会議員のち同議長。全国市議長会副議長を歴任。
北九州市誕生と同時に北九州市文化連盟会長。
長男は高分子化学者の横山哲夫 ( 長崎大学工学部教授 ) 、
四女に寺井谷子 ( 現代俳句協会副会長 ) がある。