父 ミスターシービー
母 ヤマニンベニー
生年月日 / 1987年4月11日
調教師 / 浅見国一 ( 栗東 )
馬主 / 土井 肇
生産者 / ヤマニンベン牧場
産地 / 静内町
通算成績 / 29戦5勝 [ 5-1-4-19 ]
主な勝鞍 / 92'目黒記念 ( G2 )
近親馬 / ヤマニンエリプス、ヤマニンスピリット
デイリー杯3歳ステークスでは、重賞初出走ながら単枠指定された。
ここも好位から抜け出すと、最後は武が手綱を抑えるほどの余裕を見せながら
2着に2馬身近い差を付けて優勝。
重賞初勝利を挙げた。
優勝タイム1分23秒1はレコードタイムから0.2秒差という好タイムだった。
しかし、入線後に武が馬を止めようとした際、
ヤマニングローバルは馬場の窪みに足を取られ、
バランスを崩した際に右前脚を骨折。
その場で馬運車に収容された。
検査の結果、右前種子骨が縦真二つに割れており、
通常ならば安楽死の措置が取られる重傷であった。
この骨折に武が「来年のGIを4つ(クラシック三冠、有馬記念)損した」と発言するなど
期待も非常に大きかったことから、
陣営は治療を選択。割れた骨を2本のボルトで繋ぐ手術が行われ、
以降は復帰に向けて厩舎内での回復が図られた。
1990年初頭には、左前脚に蹄葉炎を発症するなど一時状態は悪化したが、
以降は徐々に良化に向かい、秋頃から調教を再開するまでに回復。
年が明けた1991年1月に、オープン特別戦の洛陽ステークスで復帰を果たした。
この緒戦で4着となると、以後は順調に月1走のペースで出走を続け、
6月にはGIIIの阪急杯で2着、次走・GIIの高松宮杯でも3着となる。
そして復帰後10戦目のアルゼンチン共和国杯で、
デイリー杯以来およそ2年振りの勝利を挙げた。
2016年9月6日 死亡